介護士になって考える「生きる目的」

「 生きる目的」はあるのか?

こみちとしての結論を言えば、「ある」と思う。

というか、「ある」にしなければいけない。

日頃、介護施設で働いているこみちは、利用者と呼ばれる高齢者のほぼ全員が、自宅で暮らしたいと思っているを疑わない。

現実的な話をすると、子ども世代の多くはすでに独立していて、それぞれの生活を営んでいる。

もしも、日常生活が一人では行えない高齢者がいると、彼らのライフスタイルもいろいろと工夫しなければいけなくなる。

これが昭和の頃なら、母屋に寝たきりの祖父母がいるというのも珍しいことではなく、3世代、4世代が一緒に暮らしていた。

もちろん、今でもそんな風にして老いた親の面倒を家族で支えている家庭もあるだろうが、共働きも多いから支えられる環境もない。

それだけに、介護施設の役割は重要で、入所されている高齢者もまた自身の居場所として理解している。

つまり、自宅に帰りたい気持ちもあるが、子ども世代の負担を考えて、施設暮らしを選んだ人も多い。

老いてしまう自分自身のを想像するのは苦しいことではあるが、誰もが避けられないことであり、だからこそ活動できる時間を「生きる目的」にしなければいけないのだろう。

若い人で70代くらいも入所しているから、こみちのような中高年が自宅で暮らせるのも残り20年くらいということになる。

残り約20年をどう生きるのか?

正直なところ、我々中高年とまだ未来が広がる20代では、生きる目的さえも違う。

このブログを立ち上げた当初から生涯働ける仕事探しをテーマにこみちなりの気持ちを綴ってきた。

そして、中高年は高齢者ほどではないけれど、いろんな意味で若い人とは異なるし、考慮しなければいけないポイントもあると気づく。

それは生きる目的を考える時にも言えて、できることなら30代までに生涯活かせる資格や経験を身につけておくことが望ましいと感じる。

なぜなら、中高年になると選べる職業も制限されたりするが、若い人をみて、こみちの老化を多々実感するからだ。

日常生活にはまだ支障がないにしても、働くうえでは多方面に配慮しなければいけない働き方は負担も多く、また日々新しい技術や知識を補う仕事を若い人と同じペースでこなすのは大変になる。

つまり、新たな可能性を開拓するというよりも、我々中高年は今あるベースにちょい足しして、気負わずに働ける仕事を探すことが理想だろう。

こみちで言えば文章やイラストのような仕事だし、運転に長けた人、調理に長けた人、音楽やパソコンに長けた人など、その人の好みやこれまでの経験を考えて、「仕事にする」ために不足していることを加えればいい。

もしも、そんな意識を持たないまま中高年になったのなら、こみちは「介護職員」の仕事をおすすめしたい。

このブログの別記事を読んでもらうとすぐに気づくだろうが、介護業界も万全ではない。

不満もある。

しかし、中高年の我々が「生きる目的」を考えた時に、自身を見直す意味でも高齢者と接することに意味がある。

若い世代のスタッフは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」という感覚かもしれないが、きっとこみちの世代なら「彼らは20年後の姿なのか…」と思うだろう。

介護スタッフになると「接愚マナー」向上から、言葉遣いを意識するように言われる。

でも、根底にあるのは、老いた自分自身が言われて嫌な言葉を使わなければいい。

「早くできませんか?」

「またですか?」

忙しいのは分かるが、利用者の立場で聞きたくない言葉だろう。

なぜ介護スタッフの仕事がおすすめなのかというと、「今できること」にプラスして仕事を与えてくれるところにある。

こみちの勤務している施設には、70歳を超えるスタッフも働いているが、ベッドメイクや納品物の倉庫への運搬、在庫管理など、介護施設という職種でも年齢を問わず働きやすい仕事がある。

それこそ、施設によっても違うと思うが、全く未経験では応募にも気が引ける時でも、中高年で働いていれば、「〇〇ならできると思います」と積極的に売り込むこともできるだろう。

以前にも書いたことがあるが、「介護職員初任者研修」の資格に「普通自動車二種免許」と加えれば、介護タクシーも始められる。

代わりに「中大型自動車免許」なら、コースターのようなバスを運転できるから、介護施設と各家庭を結ぶ運転手の他、工場やゴルフ場などの移動で仕事が見つかるだろう。

慣れたことにプラスして仕事にできれば、それだけ長く働けるし、働けることで資金も得られ、生活を改善させられる。

その意味では、次に活かせない仕事を選ばないこともポイントだろう。

もちろん、ローン返済などでまだまだ当面のお金が必要なこともあるが、それこそバランスを考えて、身体を壊さないように注意したい。