なぜ、私が「東京」に出て来たのか?
介護施設に入所される高齢者の多くは、70代から90代、100歳を超える方もいます。
中高年の方にとっては、親かそれ以上の世代で、「戦争」経験者でもあるでしょう。
もちろん、こみちは戦争経験者ではありませんし、国と国が戦うことで国民の平和がどれだけ奪われたのかを目撃したこともありません。
しかし、今の高齢者はそんな激動の時代を生き抜いた経験を持っていて、少なくともそれらがその後の人生に大きな影響を与えたことでしょう。
ある利用者は、詳しいことは個人情報にも関係するので伏せることにしますが、地方で優秀な成績が認められて東京で学生時代を過ごしたそうです。
高校進学でも凄いと言われる時代に、大学へと進学したのなら、今でいう「院卒」以上に狭き門を潜って勉学されたのでしょう。
何より、その時代に学んだ人は、今以上の確率で官僚のような国のポストに就いて、普通の人では経験できないようなことをして、それこそ激動の中を生きてきたのです。
ある利用者は、北関東にある小さな町で生まれて、地元ではちょっと有名なくらい成績が優秀だったそうで、「とにかく、勉強はできた」と教えてくれました。
そして、東京に出て、多感な青春時代を過ごし、ますます勉学のめり込んだのでしょう。
田舎にいた頃よりもずっと多くの時間を割いて勉強しなければ、同じように田舎から出てきた連中に負かされてしまうと思ったに違いありません。
気づけば20代も30代もずっと頑張り通して、働き抜いたそうです。
訳あって介護施設に身寄せて思うのは、「なぜにあんなにも勉強しかしなかったのだろうか?」ということ。
たくさんの知識を得たことで、何か尋ねられた時にその限界値もまた何となく想像できてしまうそうで、何かあってもモチベーションが起きないのだそうです。
実際、子どもにも同じようなことを言い、夢さえも自由には与えなかったといいます。
少し利用者の話に一貫性を欠く部分があって、別の話と混ざっているのかが分かりませんが、もしも同一人物であるなら「先生」となった自身の子どもが先にこの世を去ってしまったそうです。
事故なのか病なのか、戦争だったかも知れません。
いずれにしても、その人よりも先にこの世から姿を消しました。
「先生は泣いて言うんだ。あなたのようにはなれないとね」
そして、「なぜ、許すことができなったのか、今でも後悔している」とも。
さらに「もしも何か手に職を付けてあげていたら、もっと自由に生きられたのかもしれない。私は勉強し過ぎて、いつの間にかもっと楽に生きることを知らずに生きてしまった」と続きます。
ほんのひと握りの人はたくさんのこと勉強して知識を身につけ、社会でそれを活かして活躍すれば良いそうです。
しかし、大半の人は、知識ばかりを身につけると、何もできないだけの人間になってしまうとも教えてくれました。
「難しいことなど知らなくても、手に職があればご飯も食べられるし、家族も養っていける。本来ならそれで十分なのさ。本来なら」と。
知識に生きた人が、その道からドロップアウトした時、その後の人生で苦労するし、何より知識が邪魔になるのだそう。
中高年の就活が難しい理由
その利用者の話を聞いていて、我々の就活が大変になってしまう理由を知ったように思いました。
インターネットで何でも調べられる時代になり、それぞれの職業がどれだけ伸び代がある有望な仕事か簡単に確認できます。
昔なら、手に職を付けたくて料理人や大工、看護師もそんな仕事の一つでしょう。
今なら介護士も含まれるかもしれません。
情報が集めやすくなったことで事前に知っていることも増えた分、知らずに頑張れることも減りました。
「それで良いのか?」と誰かから言われる度に、どこか不安に感じます。
それだけ一つのことに集中できない時代とも言えます。
でも本当は、何か手に職を見つけて、たとえその仕事が嫌いでも、養うためだと思えば仕事などは続けられるなら何でも良いのかもしれません。
誰かから聞かれて、「スゴイ」と言われなくても、それで暮らせて少しの喜びがあるなら、その人生はとても有意義だと言います。
中高年になって、こみちもそんな風に感じます。