「スタート」をどこにするのか?
中高年くらい長く生きていると、健康面や経済面など、いろんな面で恵まれていたり、アンラッキーなことがあったりとします。
何かビジネスで大儲けしたけれど、家族とは不仲で、晩年を孤独に暮らすと言う人がいる一方で、これと言った出来事もなく、平凡に暮らしてきた人もいるでしょう。
こみち個人としては、振り返った時に「あの頃はこれをしななぁ」と懐かしく思い出せるくらいのエピソードが欲しいです。
その分だけ、苦労することも伴うのでしょうが。
例えば、こみちが働いる介護施設に入所するなら、月額20万円くらいは用意していないと心許ないかもしれません。
実際にはいろいろな裏技も駆使できますが、表向きは施設を利用するのも無料ではありません。
月額20万円となると、フルタイムで働いても介護士として働いても捻出できるでしょうか。
自身の生活費を考えたら、親が年金でも受け取っていなければ、とても子どもたちだけで補うのは大きな負担です。
でも、そんな施設で暮らしていても、不便な部分はあって、利用者には申し訳ないなと感じます。
では、施設に入ることができない高齢者や、介護サービスの存在や手続き方法に詳しくない人たちはどうやって暮らしているのでしょうか。
実際、朝のゴミ出しをしていると、かなり遠くから大きなゴミ袋を引きずるようにして運んでいる高齢者を見かけます。
中には壁伝いにふうふうと休憩を挟みながら、朝の重労働をするのです。
しかし、中高年のこみちだって、これから20年、30年もすれば、同じようにゴミ出しが重労働になるでしょう。
しかも、転倒し足の骨でも折ってしまえば、多くのケースで車いす生活ですし、その後は歩行もかなり制限させるでしょう。
そうなれば、自宅生活を継続するのも大変で、つまりは施設の利用も検討しなければいけません。
その時には、経済的な面で月額10万円以上の負担ものしかかってきます。
お金に恵まれれば施設を利用すればいいですし、人に恵まれれば自宅で不便を感じつつも自分らしく生きることになります。
つまりはどちらがいいではなく、自ずと選択肢は状況によって決まってしまいます。
人は人に優しくなれない!?
例えば、苦労しているゴミ出しの場面で、こみちが高齢者を手伝うのは簡単なことです。
しかし、そんな高齢者世帯が10軒、100軒と増えたら、個人の頑張りだけでは補いきれません。
それこそ社会的な問題です。
その場で助けることを「優しさ」と評することもできれば、社会的な問題点として動き出すことを「優しさ」と感じる人もいるでしょう。
一方で、介護保険を使えばゴミ出しサービスがあることを知っていたなら、そもそも苦労してゴミを運ぶこともありません。
つまり、「なぜ、そのような状況になったのか?」を考えると、その現状に至るまでにはさまざまなポイントを経ていたことも分かります。
若い頃に「国民年金は負担ばかりで見返りが少ない」と言う話をしていた人がいます。
それ以前に国民の人口が減少すれば、高齢者を社会が支えられるのかと言う現実も迫ってくるでしょう。
その対策としては、出生率も関係しますし、外国からの労働力をどのように活用できるのかも考えなければいけません。
その上で、本当に高齢者と呼ばれる年代になって年金だけで暮らしていけるのかが問われます。
やはり生涯働ける仕事を見つける大切さも見逃せませんし、何より健康管理を抜きにしての高齢者世帯は大変です。
ついでにできるような「優しさ」なら、それはちょっと手を貸してあげればできてしまうので問題はありません。
しかし、高齢化問題と言う大きな括りでは「優しさ」も容易には期待できません。
「自分も手がいっぱいだ!」
言えば、みんながそんな風に感じていて、他人に対して無関係になりやすいからです。
全然話が飛びますが、今、バイク本体の金額は、こみちが学生時代の頃と比較して2倍くらいになっています。
125ccの割と手頃なバイクでも30万円を超えていたりして、ちょっと乗ってみるかと言うにはなかなか手が出せない金額です。
その理由は、乗り手が減ったこと。業界の規模が縮小されれば、当然ですが販売価格に反映させてきます。
その構図と同じようなことが高齢化社会でも起きていて、以前なら見通せたことも、数倍大変になっているということも起こり得るのです。
個人が個人を助けることができれば、社会として大きな予算にはなりません。
しかし、それが難しくなれば、議会で決めて予算を取り、結果して税金額が増加されるという流れが起これば、「自分のことで手がいっぱいだ!」になるのでしょう。
そうなってしまうと、簡単には他人に優しくしたくても、そう簡単にはできなくなってしまいます。
コロナ禍が継続されるこのご時世で
コロナ禍の影響が一年どころか先行きがますます不透明になりました。
こみち自身で言えば、将来の展望にも大きく影響しています。
また、介護施設の利用者たちも変化があって、特に退所される場合の他、最期を迎える人も増えています。
単純に寿命といえばそれまでですが、中には急に亡くなる人もいて、そう考えると「この辺が潮時かなぁ」と察しているのではと感じます。
ターミナルケアが開始される利用者も増え、もう自宅復帰ではなく、迎えるが来るまでを少しでもストレスなく生活してもらうというケアに変わります。
誰もが日々、迎えが来る日に向かって生きているのですが、せめて楽しく生きたいものです。
そんな光景ばかり見ていると、こみち自身も老い先は短いのだなぁと思ってしまいます。
重い荷物を代わりに持つだけならできますが、段々と世知辛い時代が続けば、それくらいでは補いきれなくなってしまいます。
介護の仕事って向いていないと思うことも多いのですが、それでも誰かの役に立てるならと思って働けるのは嬉しいことです。