介護施設の休憩室で耳にした話
最近、と言っても1ヶ月くらいになるだろうか。
人手不足解消のために、派遣スタッフを積極的に導入している。
しかし、介護施設も健かなもので、契約的には「紹介案件」として派遣会社に通してある。
相場よりも少し上乗せされた金額に釣られて、雇用契約の意味も深く考えないまま、気づけば「施設直の雇用契約」にされてしまう。
けれど、「ボーナスが出るのだから」と職場の先輩たちから宥められて、そんなものかと思ってしまうのだから、いい意味で「若くて素直」なのだろう。
一方で、そんな経緯で従業員になった人だが、若い故に夢がある。
こみちは直に聞いていないが、そこら中で話しているから、もうだいたいの話は周知されてしまっている。
目指しているのは、「社労士」の資格を取って独立すること。
中高年になったこみちからすれば、あれこれと考えている内に、行動しないと中高年になってしまうぞと言いたい。
中高年の仕事探しと若者の仕事探しは違うのか?
こみちが本音で思うのは、夢を本気で語るのは「中学生」までの話ってこと。
つまり、何か目的を見つけて行動するなら、高校選びから重要になってくる。
さらには、大学ってところをどう自分の人生で武器にするか。
そう思うなら、どこでも「大学」とついた学校に入ればいいと言うようなものではない。
なぜなら、「〇〇大学卒業しています!」と言った時に、相手が「コイツなら何かしてくれるかもしれない!」と感じてもらえなければ意味がなくなってしまう。
つまり、多少の例外はあっても、大学で学ぶことで築くことができる「道」がある。
医師もそうだが、一流企業の中でも面白い仕事ができるポジションにつくには「大学」が役立つ。
つまり、大学さえ必要がないくらい飛び抜けた才能があるならそうとは限らないが、多くの人が大学で学ぶ「意義」は、「自身の可能性」を広げるためなのだ。
結論を言えば、「凄いと思ってもらえる」からそこ大学なのであって、真面目にコツコツと勉強ができるなら、高卒から受験に制限のない資格を片っ端から取得して、本当の意味で「使える奴」になることだ。
その意味では、高卒資格だけでは受験できない「社労士」になる夢に、若いとはいえ10年の歳月を費やす価値があるだろうか。
社労士に合格した時、例えば年齢が30歳を過ぎていたら、そこから事務所で雇ってもらうことはできないだろう。
「できる」としたら、「コイツなら何かしてくれるかも!」と採用担当者に思ってもらえる人だけだ。
その1つが「難関大学」のネームバリューだし、別の意味では「独創的な経歴」だろう。
もしもこみちが20代で社労士を目指すなら、安くても事務所に拾ってもらえるように頼み込む。
それこそ最低時給でも構わない。
事務所で働き、社労士の仕事を見ることができたら、すべてが自分の財産になるからだ。
面白いもので、半年も彼らの仕事ぶりをずっと見ていれば、「社労士」の良さも限界も分かって来る。
それでも自分がこれから時間を掛けてでも社労士になりたいなら、本気で合格するまで努力することだ。
その手法こそ、難関大学突破を果たした連中と同じであって、優秀な彼らは一年とか二年と言うスパンで乗り越えてしまう。
そして、今度は「社労士」を踏み台にして、次の展開へと進むだろう。
攻めて行くなら、法律事務所に移籍して労務関係の訴訟問題を得意とした社労士になるだろう。
まだ若いなら司法試験も視野に入れて勉強する。
そんな時間に使い方ができれば、きっと30代や40代になっても面白い仕事をしているでしょう。
しかし、考えても見れば、それができてしまうような人なら、割と名の通った大学にも合格しているはずです。
つまり、こみちが思うのは「学歴を気にしてしまう人」は、「そんな生き方」を生きて来たからです。
社労士に合格することと、独立開業できるかは別問題です。
単純に独立開業するだけなら、資格なんてなくてもできてしまうでしょう。
つまり、これまでの話で言う「大学」は「資格」にも置き換えられます。
必死に努力して合格した人は、とても頑張った人に違いありません。
しかし、先を見ている人なら、資格もさっさと取得して、その先(開業後の経営)に目が向いているでしょう。
どうやって顧客を掴むのかは、試験の成績の良し悪しではどうにもなりません。
少なくとも社労士が相手にするのは、企業や経営者、その会社の総務などです。
彼らを前に、「コイツなら何かしてくれる」と思わせるには、「今年、合格しまして」で十分なのかと言うことです。
もしもこみちが経営者で、「私、昨年、プロゴルファーの資格を取りまして」と言い出されたなら、「社労士ではなくて?」と興味を持ったでしょう。
「もちろん社労士も持っていますけど、接待でゴルフをすると聞いたので練習したんですよ」と言い出し、「合格しました!」と笑顔で言われたら、商談の掴みは上々です。
一方で、「東大です」とか「一流企業に勤めていたんですが」と持ち出されても、興味は湧きません。
でも、中高年になって思うのですが、「ギリギリ合格しました!」では独立はできません。
だったら無難に下積みさせてくれる事務所で、実務を磨くことです。
それをするなら、20代、遅くとも30代の前半でないと、相手も興味を持ってくれません。
「すいません。今は募集していないんですよ」と当たり前の回答がくるでしょう。
これが中高年になると、未来の可能性では勝負できませんから、過去の経歴や職歴をチラつかせて、少しでも「何かしてくれそうだ」と思ってもらう必要があります。
その意味で「介護職」の位置付けとは?
これまでの職歴や年齢を問わないことが多い介護職の採用枠は、中高年になって嬉しい条件です。
なかなか採用されない時期が続けば、「年齢不問」のひと言はありがたいでしょう。
しかし、若い人にとっての学歴や資格で触れましたが、「問われない」とは「考慮もされない」と言う意味です。
つまり、そもそも「何かをやってくれそうだ」と可能性に期待しているのではなく、すでにある仕事を真面目にこなして欲しいのです。
まだ可能性がある若い頃なら、安泰を突っぱねても自身の夢に賭けた方がいいとも言える状況です。
しかし、中高年の場合は、そもそも可能性もほとんど残されていないので、「雇ってくれる」と言うことに自分が納得できるかに尽きます。
「安い」なら、どうすれば高くなるのかを調べて、キャリアを積み重ねることです。
いい例として、業界に10年いる人がどんな働き方や満足を得ているかを調べてみましょう。
ある意味、これから10年頑張っても、だいたいその辺が限界だと分かります。
それでも良いと思えるなら、そこでしっかりと頑張るべきです。
一方で、何か改善できることが自分に残されているなら、生きるための仕事を未来を掴むための仕事を手に入れましょう。
若い頃ならそれ一本でストイックに突き進んでも良いですが、中高年になると保険も必要です。
負担の少ない条件で、効率的に稼げるなら残しておけば良いですし、楽しくてしょうがない仕事も残しておけばいいでしょう。
しかし、ただただキツくて大変なだけなら、仕事が切れる状況を作ることです。
できれば、自分が生き抜くための仕事を1つ作っておけば、それ以外に挑戦しても戻って来られます。
こみちにとって、「介護」がそんな生き抜くための仕事になってくれたら嬉しいのですが。