職場にちょっとした「事件」が起こった!?

もうどこか覚めている!?

本当にコロナ禍で人生が変わったと感じる。

こみち自身、介護の仕事は一年ごとに異なる施設で働きたいと思っていた。

理想は、介護福祉士の受験資格「実務3年以上」に合わせて、3カ所ということだ。

ただ、それには理由もあって、介護士の仕事で食べて行くのではなく、介護業界のネタに「ライティング」で生きていくためだ。

遡ること数年前、こみちは異業種で働きながら独立の道を模索していた。

すでにサラリーマンとしてのキャリアでは通用しないから、スキルを使って独立するしか手段は残されていなかった。

個人的には「イラスト」か「ライティング」か、他の幾つかある特技にすがるしかない。

こみちがどんなイラストを描くのか興味を持った人は、姉妹ブログを見てもらうといいだろう。

そして、ライティングを軸にするとしても、それこそ「書く」だけなら「国語」や「日本語」を学び直すのがいい。

でも仕事として考えるなら、名刺代わりになる「専門分野」を見つけることだ。

実際に介護士として働いた経験がある人なら共感してもらえると思うが、実は介護士の仕事は多彩だ。

例えば経営やコンサルタントにも枝葉を延ばすことができる。

同様に建築やデザインとの結びつきも強い。

なぜなら、介護士の担う仕事は「人が生きること」のすべてだからだ。

そう考えると、ライティングという仕事を始めるなら、介護士の経験は無駄にはならないだろう。

特に、形式的な用語説明のような視点ではなく、「生きる」を根底から考えてくると面白い発見も多い。

実は最近、現場仕事に身が入らない。

理由はとても簡単で、今の仕事をどんなに頑張っても期待しているような結果にはならないことに気づいたからだ。

しかし、大切なのは「そこに直面した後」の対処法だ。

多くの人は介護士として、様々な疑問やトラブルを抱えて働くことになる。

初任者研修だけでどんなに頑張っても、到達できる限界値は変わらない。

現場仕事だけに目を向けていると、ついついそれが当たり前になって、例えば介護福祉士の資格など必要ないと感じるだろう。

でも、現場を変えるには様々なプロセスを経なければならず、その一つが発言の根拠になる。

初任者研修と介護福祉士の違いをひと言で言いのけるなら、「施設運営者が納得出来るか否か」となるだろう。

「人手が少ないから業務が回らない」

そんな不満や苦情を訴えても、施設運営者はなかなか動いてくれない。

もちろん、介護福祉士の言うことなら何度も聞いてくれるということではなく、「動きたくなる提案」ができるということだ。

つまり、介護福祉士の試験に合格するための知識をおすすめしているのではなく、それを学ぶ過程の中で、もっと幅広い視野が身につくと思うのだ。

「このままでは職場環境が変わらない」と感じたのも同じ理由で、だからこそ改善するには耳の痛い話も出てくる。

職場で起こった「事件」とは?

マウントを取る「サイコ」先輩のことを上司に相談したのだ。

実は先日、同じ時間帯のシフトになり、「マジか!」と思うほど仕事を押し付けて来た。

自身の仕事をどう考えているのかと、流石に思って上司に事情を説明した。

すぐさま、「サイコ」先輩は呼び出され、30分いくら戻ってくることがなかった。

「そんなに嫌だったとは…」

戻ってくるなり、こみちの所に来て何か言い始めたが、個人的には全く納得していないのだろうと思った。

なぜなら逆の立場なら、こみちを嫌な奴だと避けるはずだ。

しかし、戻ってくるなり「お前がチクったんだなぁ!」とでも言いたげにこみちに近寄って来たのだろう。

でもね。

もうどうでもいいと思っているのが本音。

根本的に今の職場で長居することは無いし、今の環境で良くなるはずはない。

そう考えると、サイコ先輩が居ても居なくてもどちらでもよくて、こみちとしては介護福祉士の試験を待つだけだ。

それさえ済んだら、もう何時だって辞める覚悟はできている。

そんな風に気持ちが大きく変わって、仕事の受け止め方も違って来た。

思えば、始業前30分のサービス出社に始まり、始業後も切りのいいところまでサービス残業をしていくものだと聞かされた時から「介護業界」って変わったところだと思っていた。

もちろん、全ての施設で同じようなことが起こっているとは思っていない。

しかし、経営やコンサルの視点から考えると、末端の介護士に業務の皺寄せを被らせるのは最もしてはいけない方法だ。

なぜなら、少なくともこみちは「このままならこの施設に未来がない」と思ったし、実際に経営は右肩下がりなっている。

しかも、物品やサービスの質を低下させないように介護士に負担を強いることは増えて、さらに間違えた経営へと進んでいる。

いずれにしても、介護ライターとなるうえでは、いい経験をさせてもらった。

今はもうそんな感覚で、もちろんサイコ先輩のことなども特に考えていない。

その後、一緒に仕事を組まされたが、正直なところ「根底はサイコのまま」だ。

そんなに人間の本質など変えられるものではない。

こみちは「シゴキ」とは受け取らなかったけれど、人によっては苦しむくらい辛い仕打ちだった。

「そこまでされるものか?」と思わせるほど、理解に苦しんだし、初めての経験でもあった。

今はもうトンネルを抜けて、晴れ晴れとした気分。

上司が理解してくれたことが本当に救いだった。

でもこみちの大人ですから、あえてもう突っ込んだりはしません。

このままのらりくらりしながら、時が明けるのを待つだけだと思っている。