「それ、自分のためでしょ!」と意外にバレている!

 「信頼される介護士」の条件とは?

人間が日常生活を送る時、すべての希望がすぐに叶う訳ではありません。

例えば、月額利用料が100万円の有料老人ホームだったとしても、すべての希望を叶えることは難しいことです。

つまり、「いい介護士」を演じ続けることは難しく、どこかで限界を迎えて「できません」と答えることになります。

または、「できません」と言い難いために、一時的に接触を遠ざけてやり過ごすことになるのでしょう。

中には「いい介護士」を続けるために仕方ないことと介護士自身が思い込んでいるかも知れません。

しかし、利用者にとって必要なのは「いい介護士」ではなく「信頼できる介護士」なのです。

言い難いこともしっかりと向き合えるような介護士は、結果的に利用者から信頼を得るでしょう。

一瞬でバレる「自分のため」の言動

ほとんどの利用者は、気づいても黙っています。

それは介護士の言動についてもそうです。

特に、介護士の接し方を見て、「それが誰のためなのか?」はわかっています。

つまり、介護士が自分の都合で行う言動は、どんなに良いことでも利用者は自分に向けられたものではないことを本能的に感じとります。

何も利用者だけではなく、我々もまたふと気がつくものです。

最初はとても良い人と思った相手が、何度か接していると「裏がある」ということに気づいたりするもので、それが分かった後は何をされても「それ、貴方の都合でしょう!?」としか感じられなくなります。

むしろ派手さはなくても、必要なことをしっかりと行ってくれる介護士は、時間を経て信頼を築いていきます。

一方で、自分都合の行動が多い介護士は、「私は評判のいい介護士だ!」と都合よく思ってしまうでしょう。

しかし、結果的にどうかというよりも、その言動が自分ために行われているのか、介護士のためなのかは簡単にバレているものです。

声のトーンや話すスピード、体に触れる時の雰囲気などなど、ふと「アレ、ちょっと違うかも」と感じるものです。

つまり、下手でも自分のために向けられた場合、多少の手間取りを気にするよりも、苦手ながらに行ってくれる介護士を労う気持ちになり、「大丈夫よ!」と言われたりします。

まだ不慣れな介護士は、時間が掛かり過ぎて拒絶されたと思ってしまいますが、そうではありません。

むしろ、手慣れている介護士でもそれがどこか自身の評価のために思える場合、利用者は「ありがとう」とは言いますが、心では「自分のためでしょう!?」と冷めていたりするものなのです。

介護士として働く人は自分が受けたい「介護」なのかで判断する!

ある利用者は片麻痺があって、食事中苦労しています。

こぼしてしまうことも多く、でも食べられない訳ではありません。

「自立支援」という観点からすれば、介護士が全面的に支援するのはおすすめしません。

一方で、全くサポートを行わず、放置さらたままも避けたい状況です。

もしもこみち自身がそんな利用者だったら、こぼしたとしても自分で食べる喜びを感じたいですし、少し体を動かすのが辛い時には介助も受けたくなります。

つまり、食事というと「絶対に自分で食べるもの」とか、「こぼすから介護士が無理やり食べさせるもの」と簡単に括って欲しくはありません。

「まずは少し自分で食べてみましょうか?」

そんな声掛けから始まり、利用者の様子を見て継続するべきか、支援に入るべきかを適宜変更させるのが理想的です。

「甘えないで、自分で食べて! ほら、食べられるじゃない!」

という声掛けは、結果として利用者のADLを使えたかも知れません。

しかし、食事の時に介護士から怒られてしまうという体験を望んでいる利用者っているでしょうか。

こんな話を聞くと、「そんな介護士などいない」と思うかもしれませんが、こみちが目にした介護士の中でも、こみちを含めて自己都合の介護士が大半です。

ただその割合に違いがあって、利用者とも接点が増えるほどに信頼度は増していきます。