不甲斐ない結果と意外なひと言

 今日、ひとりの利用者が施設を去って行きました!

これまでにも、施設を訪れる人がいれば去って行く人がいました。

高齢者の施設ということもあって、行き先が別の施設だったり、自宅だったり、天国だったりするわけです。

入所している方々の年齢というと、最高齢は100歳を超え、平均でも80代後半くらいになるでしょう。

もちろん、70代の方たちもいますが、街で見かける以上に、彼らはまだまだ未来ある人に映るのです。

つまり、90代を迎えた利用者にとって、住処を変えるという決意は相当な覚悟を伴うことで、できればこの先も同じ所で静かに暮らしたいと思っているでしょう。

「こみちさん、これからもっと立派になってくださいね!」

「すいませんでした。何も力になれなくて…」

これまでにも何度か別れを経験して来ましたが、嬉しい旅立ちを見送るのではない時ほど、胸が苦しくなることはありません。

その利用者一人では到底荷物をまとめることも難しく、結果として選任されたスタッフだけが参加して荷造りを行ったようです。

段ボールに10個ほどの荷物が、その利用者の「全て」です。

あるスタッフは、とても多い荷物でびっくりしたと言っていましたが、90年を生き抜いた人がたった10個分の荷物だけしか持たないことに、こみち自身は深く考えさせられました。

というのも、訳あって以前の住まいから今の住まいに引越しする時に、本当に大切なもの以外はほとんど捨てて来た経験があって、今でも取っておけばと思う物もたくさん失ったからです。

例えば、これから施設に入るとすると、最低限なら段ボール2つくらいの荷物を持っていくことになるのです。

生活に必要な着替えやタオルの他は、ほとんど持っていけない分量なので、思い出の品ですら置いていかなければいけないほどでしょう。

もちろん、貴重品は持っていけませんし、壊れやすいものだって難しいくらいです。

そこには当たり前が通用しないと考えると、施設に入るという意味は生活スタイルだけでなく、自身の生きてきた証すら捨てることになるのです。

なんとなく高齢者は優しくて温厚で、物静かで聞き分けよくてと勝手な想像をしてしまいます。

しかし、我々中高年も早ければ20年後くらいには施設で暮らしているかもしれません。

そう考えると、高齢者に対する勝手なイメージを持つべきではなく、むしろ今の自分の行く末と同じです。

改めて思うと、大小合わせて10個分の段ボールって多い荷物でしょうか。

実はもう一人の利用者も退所が決まりました。

認知機能が低下し、時々不思議な行動をするとして入所となった方ですが、施設での生活にすっかりと慣れて、今やスタッフだけでなく利用者たちからも人気です。

この方の場合には、自宅復帰ということもあって、嬉しい旅立ちだと思います。

介護施設という場所は、人生最後を過ごす所でもありますが、一時期を過ごした後は新たな所へと向かう休憩所のような所でもあるわけです。

昔、ここで無くしたものがあるの!

また別の利用者との会話です。

「野球のルールをご存知なのですか?」

80代後半の女性利用者が、野球放送を真剣な表情で観ていました。

「全然、でも亡くなった旦那さんが野球が好きで…。結構、観に行っていたのよ!」

聞けば、かつては東京23区内に住んでいたそうで、歩いて「後楽園球場(東京ドーム)」に行けたと話します。

そして、大の巨人ファンで、王選手のサインバットが宝物だったそうです。

「ここで無くなったの。もうずっと昔のことだけど」

「無くなったって? サイン入りバットが?」

確かにその利用者にも認知機能の低下や、時系列の矛盾した話をしたりもあります。

しかし、あの大きなバットが部屋から持ち出されたり、部屋のどこかにしまい込んで見つからなくなることがあるでしょうか。

「家族の人が持って帰ったとかではないの?」

「勝手に持っていないでしょう。ここで無くなったの。うんと昔のことよ」

その利用者はルールも分からないテレビを見て、「巨人勝っているみたい」と画面隅に表示されたスコアを眺めています。

介護施設では、何より信頼関係がないと始まりません。

利用者のプライベートにも関わりますし、自尊心に触れるような行為と介護サービスは表裏一体だからです。

利用者に暴力を振るうというのはもちろんですが、利用者の持ち物を盗んでしまうようなことがそう度々起こることに驚きを隠せません。

もちろん、事実かどうかも分からない話ではありますが、利用者から見れば自身の持ち物を誰かに取られたと感じているなら、その心境ってどんなものなのでしょう。

どう質の高い介護サービスを提供できるだろうと考えていましたが、実際には双方の信頼関係を築くことこそがスタートなのだと思います。

それにしても、今日、施設を去った利用者は、本当に言いたいことも伝わらずに、無念のまま去ってしまったのかと思うと、もう少し何かできなかったのかと感じてしまいます。