利用者と 介護士の垣根を越えて
これまで、中高年の仕事探しを考える時に、「介護士」という選択肢を何度も紹介してきました。
デメリットもありますが、仕事を覚えてしまえば介護士の仕事はやりがいも感じられるので、今でもオススメしたい職種の一つです。
そこで、「やりがい」と言っても、それがどのようなものなのかを詳しく紹介してみたいと思います。
元社長。そして海外移住者。
その方と知り合ったのは、こみちが介護士になって介護現場に立った時からです。
つまり、介護士という仕事がどのようなものなのかも分からないまま、本当に合わなければ辞職しようと思いつつ、介護施設にど緊張しながら通っていた時にお世話させてもらうことになった人でもあります。
その時、すでに90歳を超えていて、自身で歩くことができない状況でした。
介護度は「5」で、生活の大半で介助が必要です。
しかし、その頃はまだ自分で食事することも出来ていましたし、会話を楽しむことも多かったと記憶しています。
そして、その頃の会話から、十代の頃に入社した会社の指示で海外渡航をし、現地の商人から「革」などの買いつけていたと聞きました。
つまり、今でいう「バイヤー」でしょう。
「英語は話せたの?」
「ぜんぜん、会社から言われて右も左も分からないまま…」
いろいろと苦労もあったそうで、でもとてもやりがいある仕事だったとも話してくれました。
確かに、身長も175センチくらいあって、当時の人としてはかなり体格にも恵まれていたはずです。
しかもなかなかのハンサムなので、モテたに違いありません。
「その辺はどうだったの?」
「アハハ」
「アハハじゃ分からないよ!」
そんな時に、あれこれと得意げに話さない人柄も尊敬しています。
何より我慢強く、滅多なことことでは怒ったりしません。
また、とても食通で、たまに顔を見せる娘さんが分厚い霜降り肉を持参して、施設のコンロでジュウジュウと美味しそうな音をさせて焼いてくれます。
「美味しかったでしょう?」
「美味かったよ!」
施設で出す肉を硬くて美味しくないと言うのですが、それもそのはずで、食べている肉質が異なり過ぎます。
しかし、コロナウイルス予防の対策として、もう家族の入館は半年くらい禁止のままです。
時には上等な中トロを娘が持参し、それを食べて満足そうに笑う姿も覚えています。
最近は、家族のことを急に思い出して、「娘は元気なのか?」と聞いて来たりします。
今週末、そんな彼の誕生日です。
「お誕生日おめでとう!」
「覚えていてくれたのか?」
「言ってあげたくて。でも、もう20年、早く出会いたかったなぁ」
と伝えたら、「オレもそうだよ。一緒に仕事をしたかった」と言ってくれました。
彼が現役の頃というと、正に「第二次世界大戦」と重なる時代。
海外移住していたのも、戦後直ぐのことだったのかも知れません。
そう考えると、利用者である彼らの人生は、とても激動の時代だったことが分かります。
我慢強いのも確かでしょうし、人一倍勤勉で実直だったはずです。
だからこそ、「こみち!」「どこみち!」「よこみち!」といろんな言い方で呼んでくれて、「もう仕事が終わったから帰ります」と伝えたら、「気をつけてな」と言ってくれたりします。
その言葉が形式的なものではなく、その人らしい優しさのこもった口調なので、素直に「ありがとう」と返せます。
「もうオレのことはいいぞ」とか、「自分の進みたい方向に進め」とか、彼からいろいろな言葉をもらいました。
彼の半分くらいしかまだ生きていないと思うと、まだまだいろいろことが自分にもあると思います。
施設で働いていなければ、会うことはありませんでしたし、本当にもう20年くらい早ければ、仕事のことや生き方のことを学ばせてもらいたかったです。
実は二人で約束していて、彼が元気になって自宅に帰れるようになったら、温泉旅行に行こうと決めています。
もちろん、要介護5という状況なので、簡単に叶うとは思いません。
でも、いつか、そんな二人の夢が叶うといいなぁと話しています。