介護士によって異なる利用者の態度
ある利用者は、半年くらい前から「物盗られ」を訴えています。
こみちたち介護士同士の申し送りやミーティングで、その対策案が話合われることもあります。
昨日の申し送りでも、ある介護士が「物盗られ」を訴えられ、事情を説明したけれど完全には納得してもらえなかったと発言していました。
そして、コロナウイルスの防止策として、利用者家族から届けられた荷物は、介護士が利用者へと手渡しすることになっています。
施設の事務所から連絡があり、物盗られを訴える利用者へ荷物を届けることになったこみちは、どう手渡すべきかとフフロアーに戻るまでの数分間、あれこれと考えてみました。
送られてきた荷物は、手提げ袋に入っていて、悪意があれば中の荷物を取り出すことが可能です。
物盗られの濡れ衣を着させられないためには、完全密封された状態で利用者と一緒に開封したいものだと思いました。
「〇〇さん、ご家族から手荷物が届きましたよ。要冷蔵の食品も入っているそうなので、中を確認してくれませんか?」
もしもその時、「あなた、盗んだでしょう!」とでも言われたら、物盗られはかなり深刻ですし、介護士として面倒な事態に巻き込まれないためにも、荷物の受け渡し方を見直すべきだと感じていました。
「何が送られて来たのかしら? この中に入っているのね!」
これまでにも何度も家族からの手荷物を受け取っているので、利用者も手慣れた様子で手提げ袋から中身を出していきます。
「アララ、これはぶどう。こっちは梨ね」
利用者は笑顔でこみちに果物を見せ、「食べる?」と聞いてきました。
「ありがとうございます。でも、これは〇〇さんが食べてください」と断ると、「こみちさんは、律儀な人ね〜」と笑っています。
その後も荷物確認が終わり、冷蔵庫に入れる果物などはこみちが片付けることになりました。
「冷蔵庫に入れておくので、食べたい時に声掛けてくださいね」
「分かったわ!」
そうして、会話を終えました。
もしも、こみちがいない時に、別の介護士に「こみちがぶどうと梨を食べた!」とでも言い出したら、それは今後のためにも対策しなければいけません。
しかし、手荷物の受け渡しがそれで一応の終わりを迎えたのなら、その利用者の「物盗られ」はなぜ起こるのでしょうか。
ちょっとしたきっかけで「信頼関係」が変化する!?
これから話すのは、物盗られとは全く関係がありません。
ある介護士が、別の介護士に「〇〇さんも記憶が曖昧だわ」と別の利用者を評していたとします。
それを聞いた別の利用者は、介護士が利用者たちを信用していないんだと心の片隅で感じるかも知れません。
また、「〇〇していいよ」と相手を思って声掛けした時、「ありがとう。そうさせてもらうね」と言えば悪い気もしないのに、「当たり前でしょ!」と言い返せば、声掛けた方は「そう…」としか言えなくなってしまいます。
つまり、本人の価値判断だけで会話をしている人は、悪気があるわけではありません。
ただ、時に相手にすれば、気持ちが伝わらなかったという感覚にはなるでしょう。
これまでに何度か紹介した馬の合わない先輩介護士は、とても几帳面な性格として知られています。
介護士として仕事をきっちりと熟すことは褒められるべきなので、これからも続けていけばいいでしょう。
ただ問題は、仕事が重なった時に、自身のペースでしか仕事を受け持とうとしません。
例えば、リネン交換しなければいけないベッドが一台だけ残っていたら、それに掛かる「作業時間」がない時は見向きもしないのです。
でも、誰かが急いで、別の仕事と掛け持ちしながら作業しなければ、いつもで仕事が残ってしまいます。
こみちとしては、几帳面な作業とは、現場の状況に合わせて行われるもので、他の介護士の進捗に応じて、手慣れた介護士が瞬間的に負荷の掛かる作業を終えてくれると現場は一気に楽に回ります。
ところが、「あの仕事もこの仕事も、最後まで終わっていない」となると、新たな仕事を受け持つ余裕がなくなるでしょう。
結論的なことを言えば、几帳面か否かの前提として、現場を回せるか否かがもっと重要になります。
なぜなら、限られたメンバーで現場を回すには、几帳面だけど作業時間の見通しが立たない人は計算に入れられないからです。
回せる見通しの上で、どこまで丁寧に作業したり、説明したりできるかが、次にするべきことだと思うのです。
現状としての認識
ある利用者の「物盗られ」は、日々悪化していると介護士たちは感じています。
そこにはある介護士の関与があって、利用者はその介護士が「盗んでいる」と思い込んでいます。
ある時、「こみちさんまで、私だと疑っていないでしょうね!」と問題の介護士が言って来ました。
実はその介護士、別の利用者への介助で、事故報告に相当する報告を行わなかった前例があります。
「大したことじゃなかったから」
それが言い分でした。
でも、介護士なら当然ですが、自己判断することと自己判断してはいけないことがあります。
利用者への不適切な介助は、自己判断でうやむやにするべきではありません。
それができた時点で、仮に介護スキルが一定以上あったとしても、その介護士は「事故を隠蔽工作」してしまう危険があります。
むしろ作業に不慣れでも、施設の方針に従い行動できる介護士の方が、管理する立場になれば、扱いやすいはずです。
そして、隠蔽工作しやすいと思われる態度を、何かのタイミングで利用者たちに見抜かれれば、「あの介護士なら…」と妄想が拡大しないとも限りません。
認知機能の低下が物盗られに深く関わるのは、介護士なら知っていることでしょう。
しかし、物盗られを訴えることが、認知機能を疑う原因とは限りません。
例えば、「このぶどう、〇〇という品種ですね」とか、「梨の季節になりましたね」という言葉を荷物確認の際に入れることで、利用者もぶどうや梨の話をしたと記憶しているかも知れません。
それを、「果物は冷蔵庫に入れて起きますね!」の一言で済ませてしまうと、「確かにぶどうも梨もあったのに…」と見つからない時に介護士が食べてしまったのではないかと妄想するきっかけを作ってしまいます。
医学的な見地で、物盗られが起きているのか、介護士との信頼関係不足から「言葉として物盗られ」を訴えているのか、とても曖昧に感じます。
でも、この些細で微妙な言葉のやり取りこそが、介護士が求められる「声掛け」の本質でしょう。
優しい声とか、笑顔というのも間違いではありませんが、それだけではないポイントが多分に含まれていると思います。