多少のフィクションを加えていますが…。
これからお話することは、すべてが事実ではありません。
しかし、「介護とは何か?」を考えるうえで、ポイントは押さえている内容です。
その日の夕方、こみちは利用者たちの居室にあるカーテンを閉めに回っていました。
フロアーで寛いでいて居室にはいない人もいれば、居室で趣味やテレビ鑑賞を楽しむ人もいます。
「カーテン閉めて良いですか?」
「どうぞ!」とか「お願い!」といった返事をくれます。
そんな中、ある利用者に「閉めますよ!」と伝えると、「部屋の灯りは消さないでね!」と言ってきました。
「灯りを消したら真っ暗で何も見えなくなるでしょう!」
こみちは利用者との冗談に笑いながら返しました。
「こみちさん。そんなことは無いよ。(介護士の)中に真っ暗にして行くイジワルする人いるんだから!」
「ハハハ。本当に?」
まだ冗談のつもりで笑っていたこみちです。
「そんな人がいたの?」
少し真顔になって、こみちが訊ねました。
「ううん。いるの!」
「エエエエ!?」
きっとその時の静けさは1秒とか2秒だったでしょう。
しかしこみちには5分以上に感じました。
その利用者は、過去にある介護士から受けたという「仕打ち」を語り始めます。
その話を聞いてこみちは泣けてきました。
「よく頑張ったね!」
「ここにいるしか無いのよ。今はその人とも普通に話しているの。でもね…」
と言って、「あの時のことは忘れたりしないわ!」と目尻を拭いながら教えてくれたのです。
善人と悪人
人は2つのタイプに分けられる訳ではありません。
50%50%の人は、その環境でどちらの色にも見えるでしょう。
99%1%の人は、生きることが苦しいかもしれません。
こみちは、40%60%くらいで「悪人」の方が強いタイプだと思います。
ただ昔から天邪鬼な性格で、多くの人が「良い人」と言えば、「そんなことはない。だって〇〇しているだろう!」と僅かな「悪人」を見つけてしまいます。
逆に、弱い立場の人がいると、その理由や原因を探り、何かできないものだろうかと思うこともあります。
だいたい、善人と悪人はほとんど同じことで、背景や理由次第で評価そのものが変化します。
つまり、善人の割合が強い人ほど、「良いところ」だけを見ていると思います。
逆に悪人の割合が強い人は、生まれながらにして「善人」を知らないか、「善人」として生きるほど器用ではないのでしょう。
結局、「介護」とは何か?
介護士として現場に立つと、利用者がいろんなことをお願いしてきます。
こみちは常に3つも4つも抱えていて、「〇〇さんの次ね!」と答えます。
とても簡単なこともあれば、「生きるとは何か?」のような哲学的な話題も含まれていて、ある意味でこみちにぶつけてくれることを嬉しく感じます。
特に休み明けのお願いは尋常じゃないほど多く、時々休みの日にどんな介護サービスを提供しているのか見たくなることもあります。
介護サービスの質を数値化すると、0から100まであるとして、一応の合格点が80点だとしたら、79点とはどんな介護サービスなのでしょうか。
なんとなく、1点足りないくらいと感じるかもしれませんが、78点と79点の差よりも、79点と80点の差はとても大きなものです。
というのも、人はある程度まで我慢をして、事の成り行きを見守ったりします。
そして、叶わないと感じた時に「絶望感」が膨らみます。
80点なら、ギリギリでも頑張ることができました。
しかし、79点では「悲しみが芽生えたり」「孤独感に苛まれたり」と、心が傷ついた状態なのです。
いろいろとこみちに言ってくれる中には、「自分を受け入れてくれる」という感情もあると思っています。
だからどんなに些細なことや面倒なことでも、できる限りを尽くして、どうしてもやり通せない時には理由や説明をします。
これはちょっとしたことですが、ある介護士が利用者たちの見ているテレビを勝手に消しました。
話ばかりして見ていないと思ったからだそうです。
しかし、ある利用者が激怒して「勝手に消すな!」とその介護士に迫りました。
その介護士も、「ごめんね。見ていないと思ったから」と理由を伝えれば良かったのですが、「点ければ良いでしょ?」とテレビの電源を入れたのです。
でも利用者の怒りは収まるどころか、ますますご立腹です。
すると、介護士は何かを思い出したようにどこかに消えてしまいました。
一部始終を見ていて、これで「介護?」なのかと感じるのです。
介護士が自身のプライドを守ろうとしている内は、利用者の立場に寄り添うことは難しいでしょう。
テレビの電源の時のように、自分の配慮が足りなかったことを反省するよりも、自分の失敗と咎められたことから言い逃れようとしたからです。
ミスを認めるのは、容易いことではありません。
しかし、介護士は利用者とために働く存在ですし、彼らの命や健康を守るために注意を払っています。
そんな立場を忘れて、利用者よりも上に立とうとする様は、どう見ても時代錯誤に感じます。