ノマドワーカーの良さ
今でも「ノマド」を使うのでしょうか。
とは言え「自由な働き方」が簡単に手に入るとは限りません。
実社会にはたくさんの職業があります。
そして、その仕事内容を職種では無く、立案、実行、評価改善、また実行という具合に見ることもできます。
例えば、パンフレットを作る仕事。
一般的にはデザインや写真などを用いた仕事と考えられます。
でも実作業としては、法律や税務、旅行や健康、音楽にスポーツにと幅広い分野を扱うことになります。
本当にさまざまな内容ですが、そこにまた面白い味もあるのでしょう。
その意味では、「ノマドワーカー」は自身の請負える仕事が何かを知り、その分野を磨くことで仕事として成立させていると言えます。
もっとも、弁護士資格を持つ人が、法律知識を使って「ノマド」をすればノマドワーカーなのですが、その前に「それって「弁護士業」でしょう!?」と簡単に突っ込まれてしまいます。
同様に、税理士や社会保険労務士、美容師などは、飛び込み営業で仕事を請負い、その対価を得ることが十分に可能な職種ですが、彼らもまた「ノマドワーカー」とは呼ばれないかも知れません。
そうだとすれば、ノマドワーカーは資格をもとに働くスタイルではなく、もっと定義づけし難い職業と言えそうです。
個人的に思うのは、プログラマーなどのパソコン関連の仕事、さらに写真やデザイン、ライティングなどのクリエイティブ系が該当するでしょう。
肩書きが前に出ない職業故に、仕事ぶりや実績で評価が決まるところもあり、同じノマドワーカーでも、一般的なサラリーマン以上に稼ぐ人もいれば、アルバイト感覚の働き方も含まれるのも納得です。
いずれにしても、自分の好きなことや自身で考えたことで稼ぐので、仕事をしていても全てが「自己責任」です。
それはつまり、同僚や上司、部下に対する愚痴や嫉妬とは無縁なかわりに、自身で自己プロデュースもしなければいけません。
「好きなこと」と「稼げること」の違い
プロスポーツ選手の中には、アマチュア時代は楽しかったけれど、プロになると苦労続きだったと評した人がいます。
「誰のためにしているのか?」という意味では、アマチュア時代は自分自身のためでも、プロになると「客」や「ファン」のためです。
また、好きで始めたことでも、その好きな理由では評価を得られないのに、少し好みとは違うことで評価されたりします。
この辺りは、ミュージシャンを扱ったコントネタでも使われていますが、好きな音楽を続けたいならアマチュアのまま活動した方がよくて、メジャーデビューしたいならファンために曲を作ることになるのに似ています。
音楽に対する「意識」を変えられるかがアマチュアとプロの差でしょうか。
これからも趣味で楽しみたい人の場合、今まで通り楽しみながら活動していけばいいのです。
しかし、「仕事」にしていきたいと思うなら、たとえ趣味だったとしても、見てくれる人をどこかで意識しておくべきでしょう。
例えば、介護士という仕事で、難易度別に作業を分けると、最も難易度の高い仕事など滅多にありません。
むしろ、平均よりも少し下くらいの作業が大半です。
でも、最も難易度が高い仕事ができないと、全部できるとは言えず、「一人前」とも呼ばれないでしょう。
また、よくある作業を手際よく処理できなければ、同僚たちからは「仕事ができる人」とは思われません。
希望する職業に就きたいなら、よくありそうな定番の作業をいかに早くマスターし、そこから仕事に取り組み姿勢を買ってもらうしかないでしょう。
と言うのも、どうやら「稼ぐ方法」というのは、「高額な報酬を出してくれる作業」に自身が気づけるかだと思います。
社長職を何社も歴任して来た人は、業界の垣根を越えて働きます。
食品でも、電力でも、建設でも、社長職を務められるのです。
というのも「社長業」という働き方があるからで、逆を言えば、儲からない仕事を続けている限り、その仕事のままではそれ以上に大きく稼ぐ理由は見つかりません。
「低賃金」で「やりがい」や「達成感」が感じられなかったら、ただただ疲れるだけの仕事になってしまうでしょう。
介護士にも2パターンいる!?
介護士の仕事はとても「やりがい」があります。
しかし、苦労も多いですし、稼げるかと言うとそのままでは難しそうです。
また、同じ介護士でも、仕事と無くて選んだ人とやりがいを求めた人とでは働き方が違います。
例えば、利用者との関わり方を見れば一目瞭然です。
利用者に支援しなければいけない状況で、とても大きな自己犠牲を伴うようなケースだと分かった時に、「どうしましたか?」と自分から進んで行けるが見極めのポイントです。
仕事として選んだ人は、その頑張りを上司や同僚が知ってくれて、「よく頑張ったね!」と思ってもらえる目算があった時に動き出すでしょう。
逆にやりがいを求めて始めた人は、誰かが見ていると言うことよりも、自己判断で始めて良いのかを考えるかも知れません。
興味としてはあっても、それは経験豊富な人に依頼するべき仕事かもしれないからです。
何にでも首を突っ込んで、結果的に面倒な状況を作ってしまうのは、やりがいある働き方とはほど遠いでしょう。
介護士の仕事は、覚えてしまえば簡単な作業もたくさんあります。
しかし、それが5回10回と連続すれば、体力的にも負担増です。
「あとでね!」とか「今は忙しいから」と言ってしまえば、そんな仕事を断ることもできます。
「何度もすることが利用者のためにならないのではないか?」と言う推論まで浮かびます。
でも、別々の人に行う場合、それが50回連続だとしてもある人には始めの「1回」です。
また、1回目の人が、30回に巡って来ても、「何度もしている」と言うのは少し変でしょう。
いずれにしても、同じ作業を何度も繰り返すのが日常生活を支援する介護士の仕事なので、一回の勤務でオムツ交換なら10回以上、トイレ誘導なら15回、御用聞きや話し相手などは数えることができないほどです。
内容が同じでも、話を聞いて欲しいと願う利用者には、毎回初見のようなリアクションで話し相手を務めます。
なぜなら、話し相手なることが介護士の仕事ではなく、話し相手をしながら利用者の様子を観察し、今後のADL向上の糸口を探していたりするのです。
なので、同じ作業でも、目的や意図と言う意味では毎回異なっていて、「介護士の仕事って奥深いなぁ」と感じるのは、見た目ではないところに本質があるからです。
仕事として選んだ人を見ていると、利用者と話もしていますが何かそこから発展させるような方向に広げません。
例えば、介護リハビリを今以上に強化する内容とか、居住空間の変更や改善を自ら受けるような場合です。
施設が定めたスケジュールに載った作業には積極的でも、付随した作業はどこか消極的に見えます。
考え方や働く動機が異なるのですから、両者が同じ思いで働くことは根本的に難しいでしょう。
ただ、両者を尊重し、共存することは可能です。
つまり、仕事として選んだ人は、介護士としてずっと同じような働き方を続けていくでしょう。
一方で役に立てる方法ややりがいを求めて介護士になった人は、現場経験が付いてくると別の施設や異なる役割を果たせる職場に流れて行くでしょう。
どちらが良いのではなく、働き方の違いですし、生き方の違いとも言えます。
こみちの場合、ノマドから介護士になったことで、ノマド時代には気づかなかったことがいくつも見つかりました。
同じ文章を書いたとしても、そこにどれだけの裏付けや根拠を示せるかで、発言の意味や価値に変化があります。
資格という明確な根拠も大切ですが、ノマドワーカーのように一見すると同じでも評価に違いが出るのは、裏付けや根拠の大切さに気づけたからでしょう。
「どこまで見ることができるか?」
そのことで、仕事も働き方も違ってきます。
いつかまた「ノマドワーカー」に戻りたいと思います。
でもその時は、あの頃とは違うノマドになっている気がします。