利用者たちの座談会
事の発端は、よくわかりません。
こみちが別の利用者の応対をしている時に、起きていたからです。
大きな物音と言い争う声。
それが誰のものなのかはすぐに分かりました。
こみちの姿に気づいて、ある利用者は「タクシーを呼んでください」と叫び、ある介護士は「あの人が悪いんだ!」とその利用者を指差しています。
一瞬にして、大凡の内容が分かりました。
そして、もっと大きな問題についても理解できました。
いったん、両者を分けて、先に利用者と話すことにしました。
もちろん、介護現場での話ですから、スケジュールに沿った業務があって、それを途中で投げ出しての応対なので、時間的な余裕がないことも脳裏をかすめます。
「どうしたの?」
その利用者は、いつもトイレ誘導をせがむ人です。
そして、介護士たちの応対に統一性がなく、施設としても方針を決めなければいけない状態でした。
「トイレに行かせてくれないんだ!」
やはりそうだったのかという感じでした。
「連れて行ってくれなんだね?」
「そうだよ」
興味深いのは、実はそのことではありません。
テーブルを囲んでいた他の利用者たちが話始めたことです。
「私たちは、みんな我慢しているんだよ」
「そうそう、声を掛けるタイミングをね」
めいめいに話し始めた人たちですが、一人は精神的な問題を抱える利用者であり、もう一人は認知機能が進んでいる利用者です。
普段、こみちも利用者たちと向き合っていますが、言葉使いや対応にはいつも頭をフル回転させて、介護は難しい仕事だと感じさせてくれる人たちでもあります。
「貴女は悪くないよ。よく我慢したと思うよ!」
トイレに行きたいと訴えた利用者をその二人が庇っています。
「そうでしょう!? 行きたいと思って言っただけで、何が悪いの?」
こみちの何にある心のチューニングみたいなものが、目の前にいる3人に合いました。
「悪くないよ」
肩を軽く叩きながら、落ち込む利用者にこみちが語りかけます。
「悔しいというか、情けないよ。だってそうだろう。ここ(介護施設)に来たのは、自宅で生活できないからだろう。だから、介護士にお願いしなければいけないんだ。でも、お願いしたら、あんな風に言われて…。もう帰りたいよ」
その言い分を聞けば、我々介護士の役目もはっきりと理解できるはずです。
ただ、そのままを今回の騒動を起こした介護士に伝えられないこともこみちは分かっていました。
1つには、相手の介護士は、こみちが新人だった頃、指導してくれた先輩です。
そしてもうひとつは、その介護士は問題視されていて、これ以上の騒動を起こせば、施設から何らかの処分すらある状況だからです。
そして、介護現場で適した行動ができずに、「引退するしかないのかも」と悩みを教えてくれた介護士だったのです。
最近、リーダーを務める介護士もあまり前に出てきません。
実際、今回の騒動でも、顔を見せずにスケジュールに合わせて仕事をしています。
こみちが途中にした作業も、リーダーがカバーしてくれている状況で、代わりに目の前にいる利用者3人と先輩の介護士をどう収めるかが仕事になりました。
騒動は起こるべきして起こる!?
こみちは、サラリーマン時代に営業マンもしていました。
営業で成果を上げる方法は、客である相手をよく知ることです。
性格はもちろん、悩みや表に出せないホンネ、いろんなことを会話から汲み取り、時に明確に、時に曖昧に、その時々の状況に応じて距離を取りながらも信頼関係を築くことが求められます。
もちろん、セオリーと呼ばれる基本はあるのですが、逆を言えば本質が分かれば、基本はその一例に過ぎないことも理解できるでしょう。
今回の騒動は、残念ですが起こるべくして起きました。
何も知らなければ、「またケンカしている」で終わったかも知れません。
しかしながら、利用者の気持ちを汲み取れない介護士は、触れてはいけない領域でも踏み込んでしまいます。
「なぜ、もっと別の方法を取れなかったの?」
そんな風に言ったとしても、相手のことが本質として分からないし、自分のスタイルを貫くことしかできないのです。
実際に、営業マンとして成果を上げられなかった多くの人が、「本質」までたどり着けないまま、もしくは偶然の結果を本質と誤認して、営業を誤解して理解してしまいます。
原価80円の商品を100円で販売します。
営業マンは20円の利益を求めて客を探します。
客は100円ではなく、95円とか90円で買いたいと思うでしょう。
インターネットを使えば、もしかすると85円で売っているところを見つけるかも知れません。
ただ、80円で売ってくれるところは見つからないのは、仕方ないところでしょう。
営業マンとしてこんな説明をさせてもらいます。
「使い方も決まっていて、その方法で使うだけなら、1円でも安い値段で購入した方が良いですよ」と。
「でも、その商品を価値あるものと知ってくれて、今はまだ気付いていない使い方に興味があるなら、少し説明させてもらえませんか?」と。
商品というのは、必ず製造された理由や目的があります。
もちろん、他社を真似ただけの商品もあれば、自社で練りに練って作った商品もあるでしょう。
こみちは商品が作られた意図や、それに関わった人たちと言葉を交わし、どんな商品でどんな可能性を秘めているのか「自分の言葉で咀嚼」します。
それがセールストークベースとなり、売りたい客にとって知って欲しい商品の価値でもあるからです。
そんな風に仕事をして来たので、介護士になれば当然、利用者のことも深く知りますし、施設が抱える問題点や、介護士のスキルや、戸惑いや悩みも理解します。
ここまで来て分かるのは、組織を管理している現場のリーダーが問題でしょう。
今回の騒動は、利用者のストレスが招いたとも言えますし、介護士の理解不足もあったからです。
こみちとしては、介護士としてのキャリアを身につけたい一方で、今の介護施設で学びたいことも少なくなったと感じるようになりました。
ただ、そこにいる利用者の多くが、介護現場に現れたこみちを待っていてくれて、「よろしくね!」と笑顔で迎えていれてくれることが、今も変わらずに出勤している理由となっています。
また、現場のリーダーから「ありがとう」と言われて、「何がですか?」と聞き返すと、「もうオ〜」と怒られるのが決まり事なっているくらいです。
そして、利用者3人がいつもはそんなに会話をしないのに、深いところで共通した認識を持っていて、その騒動で心が繋がり、施設での暮らしを受け止めていることもわかりました。
幸せに暮らしていた自宅生活から、一見何不自由ない施設での暮らし。
でもそこにはストレスもあれば、心の孤独感も付き纏います。
それでも笑顔で笑ってくれるのは、本当に人生の先輩たちと言える覚悟をしているからでしょう。
売り上げが大切だった営業マンの仕事もやりがいがありましたが、介護士の仕事はそんな利用者たちに寄り添うことで感じられます。
言葉使いや目線の高さ、形から入ればそれらも大切ではありますが、もっと奥に本質があって、そこに触れて感じ取ることが重要です。
カウンセラーにも、機能回復訓練士にも、歌手やコメディアン、体操の先生に、パテシエにもなるのが介護士という仕事です。
こみちとしては、社会経験を幅広く身につけてから、介護士という仕事について欲しいと思います。
そうでないと、「介護」が求めることを本質として汲み取ることができません。
「優しくすることが寄り添い」と言うように、多くの重要なポイントを割愛して、誰にでも分かる言葉で伝えようとしてしまいます。
しかし、寄り添いはそんなに簡単な言葉ではありませんし、こみちだってまだ気付いていないことがたくさんあると思っています。
騒動に出会う度に、介護が難しい仕事で、新しい課題や克服するべき問題に気づかされるきっかけにもなります。
起こるべくして起きた騒動でしたが、利用者の気持ちを再確認できたことが何よりでした。
今以上に寄り添えるように、今日もできることを探したいと思います。