なぜ、このメンバーで働くと仕事が終わらないのか?

 仕事とは何か?

今さらと思うかもしれませんが、「仕事」とは何かを改めて考えることにします。

こみちにとって、仕事とは「平面」のようなものだと思っています。

もしも「直線」と捉えていたら、「平面」という意識は理解し難いものになるでしょう。

この「平面」か「直線」かを決定的に分ける瞬間は、「2つ以上の仕事を同時にする時」や「部下を持つようになった時」に現れるはずです。

例えば、2つ以上の仕事を頼まれたとします。

その仕事というのは、1つがとても簡単だけど個数がある。そしてもう1つは、単純に一個しか無いけれど、どこから手をつければ良いのか容易に判断できないほど難しいものとします。

簡単な仕事は、それに向かう時間が多ければ結果的に処理数も増えます。

難しい仕事は、一瞬のひらめきで突破できることもありますが、どんなに考えても全く成果が現れないことも予測できます。

さて、簡単な仕事でも難しい仕事でも、ある程度の社会人経験がある人なら、仕事の対処法も心得ているはずです。

簡単な仕事であれば、一時的に派遣スタッフを招き入れ、人海戦術で片付ければ良いのです。

難しい仕事も、経験ある人からアドバイスをもらったり、早目に仕事先に打診案えお出して、方向性や落とし所を探るというのも進め方の知恵でしょう。

何がポイントなのかというと、「仕事=ワンパターン」を抜け出せるかが重要になります。

部下を持つようになれば、自分ならできたことができない時もあるし、自分が苦労したことも簡単にできたりするからです。

どう説明すれば良いのか。どこまで詳しく説明するべきか。

上司は部下に全ての話をしなければいけないのではなく、必要とされる条件や情報を見極めて伝えることが結果的に良いものに仕上がると知るべきです。

いずれの場合も、仕事をいつも同じ方法ではじめて、それで終わればめでたしというのでは「直線」的なスタイルと言えるでしょう。

つまり、仕事を「平面」で捉えるとは、前にも後ろにも、右にも左にも自在に動きながら、条件によって進め方をコントロールしなければいけません。

ワンパターンでなくても、直線上をただ動くだけでは仕事の目的や本質まで見えないことも出てきます。

だからこそ、「失敗」するわけで、相手が求めた質や結果とは大きく異なる場合に、人は株を下げることになるのでしょう。

介護の仕事とは?

確かに介護士をしていて思うのは、約8割の仕事はワンパターンでも終えられます。

しかし、利用者が予想外の行動をしたり、いつもなら満足してくれるのに「激怒している」ような場合には、ワンパターンは通用しません。

でも2割部分についても、簡単な対処法はありますし、8割の部分も実はワンパターンでは完璧とは言えなかったのです。

ただ結果的に大きなクレームに発展しなかっただけで、もう一歩、二歩の工夫や改善があっても良かったというケースはとても多いのが実情です。

介護士にとって「事故報告書」を書く意味

事故報告書とは、主に利用者が健康や身体的に害するようなことが起きてしまった時に、介護士が記載報告する書類です。

こみちも一度、「事故報告書」を書いたことがあります。

内容は、皮膚疾患のある利用者に触れ、薄い皮膚が裂けて出血させてしまったというものです。

介護未経験の人はイメージし難いかもしれませんが、皮膚疾患の種類や状態によっては、触れるだけでも、擦れるだけでも皮膚が裂けてしまうことが多分にあります。

実際、こみちも事故報告書を書くと決まり、報告書を書く以前に、その利用者をどう扱えば良いのかとても落ち込みナーバスになりました。

強く触ったという意識があったなら反省もできますが、丁寧に扱ったつもりでも、些細なミスで肌が裂けてしまう。

そんな印象だったからです。

今でもその方の介助をしますし、入浴にも関わります。

タオルで身体を洗うことが困難なので、泡だてた石鹸で包み込むように洗うようにしています。

これとは別のケースで、車イスを日常的に使っている利用者を移動させていた時です。

これはこみちが直接的に関わったものではありませんが、後日になってその利用者から貴重な話を聞くことができました。

実はある介護士の不注意が原因で、その利用者の足が車イスと床に挟まってしまったというものです。

車イスによる事故として、代表的なケースとも言えるでしょう。

もちろん、事故報告書を書くことになるのですが、問題は事故報告書の価値や意味合いだと思うのです。

足を挟んでしまう事故の背景には、足が車イスのフットボールにしっかり乗せられているのかの確認不足が挙げられます。

しかし、現場を経験すると分かりますが、同時に3つも4つも仕事が集中し、しかも他の介護士がフォローしてくれない時ほど、介護士は焦りを感じて、平常心を失います。

危険と感じつつも、目の前の状況を打破したい一心で、小さな確認を怠ってしまうのです。

つまり、もしも事故を起こした介護士が、自分で抱えなくても良いと思えるほど信頼できる仲間の介護士がいたら、「焦らなくて良いよ!」とか、「任せて良いよ!」と言ってもらえたでしょう。

実際に手伝ってもらうかは別問題で、そんなひと言があれば、冷静に作業できていたかもしれません。

一方で、足を捻挫した利用者ですが、立位も難しく、手すりにしがみつかなければ立てないほどになりました。

「捻挫」と言ってしまえばそうなのですが、歩けるようにリハビリしていた利用者にとって、歩けないほど足が痛い状況は、何ものでも補うことができません。

事故報告書では、その事故の原因や対処にも触れます。

今後の反省も兼ねているからなのですが、「事故報告書」を書けば終わるのは介護士目線に過ぎません。

利用者はとても落胆していて、「生きる気力がなくなった」と漏らしています。

それを聞かされて、こみちはとても悲しく感じましたし、事故を起こした介護士も落ち込んでいると思いました。

確かに問題の原因というと、その介護士が起こしたもの。

しかし、それだけではありません。

誰かフォローできなかったのか。仕事の進め方を話し合うべきではないのか。

いろんな課題が浮かび上がり、そしてみんなの意識が変わってこそ、「事故報告書」は今後に役立ちます。

形式的に処理されてしまう事故報告書は、また同じような状況を作り出し、責任やプレッシャーに押しつぶされた介護士が、いつもならしないミスで犯してしまう。

それでは全く、改善されていきません。

例えば、ある介護士は処理スピードが早く、前回事故になったような状況でも、踏ん張り切れることもあります。

でもそれは、個々の介護士のポテンシャルに頼っているだけで、フォローすることや仕事の優先順位、自身の介護スキルなどなどを相互に連携しながら仕事をしなければ、意味がありません。

つまり、直線的な仕事ではいつか事故が起こるので、平面的な意識を持って動けることが不可欠です。

現場の全員が平面的に動けないなら、キーパーソンだけでも「平面」を意識し、他は指示を受けながら「直線」的に仕事していくべきでしょう。

直線的に仕事をする人が多いと、仕事をしているのに終わっていく印象が薄く感じます。

それは、直線的な仕事は、成果もワンパターンなので、状況に合った結果ではないからです。

人は多いのに自分の仕事は全然減らないと感じるのは、他の人がしている仕事は自身のそれとは重なっていないからでしょう。

仕事とは何か?

そんなことを改めて考えるのも意味あるでしょう。