介護士の1日はこんな感じ!?

 介護士の仕事

介護士の仕事と言うのは、未経験者にはイメージできないかも知れません。

実際に介護士として働いていた人でも、「そんな仕事なの?」を思うかも知れません。

つまり、人の生活を支援する「介護」は、とても曖昧ではっきりと見えないものなのです。

だからこそ、介護士なら「排せつ介助ができないとダメだ!」とか、「利用者に寄り添うことが不可欠だ」という具体的な言葉で言いたくなってしまいます。

でも、実際に介護の仕事をしていると、利用者から「本当は大変じゃないの?」とか、「(利用者の世話をするのが)イヤでしょう!?」と聞かれます。

「ぜんぜん!」というと、「ウソだ!」とか、「本当に!?」とこみちの顔を覗き込んでくるのです。

ある意味で、利用者は介護士の想いを察していますし、懸命に働く介護士が誰なのかも知っています。

「〇〇さん、お待ち下さい!」と利用者に伝えた時に、介護士によって態度が異なるのは当然のことでしょう。

口うるさい介護士が言うと黙るのは、利用者が嫌っているからに過ぎません。

少なくとも、その介護士を慕っていたり、ねぎらう意味で言う通りにするのではないのです。

介護士が自身のスキルを磨く中で、その時々で「偽りの介護」に迷い込むきっかけが巡って来ます。

その原因は、スタッフの連携不足や、自身の成長に焦りを感じるからだと思いますが、幸いにしてこみち自身は「偽り」に進むことなく「介護」と向き合えています。

今日も1日中フロアーを動きっぱなしでした。

何もしないで立っていた時間が、1分もなかったように思います。

トイレ誘導をして、利用者が用足ししている時間に、ひと息ふた息つくのがやっとです。

それでも、別の利用者が探しに来て、「次は私のところへ!」と予約が入ります。

100点と0点

皆さんは、介護士として自分を採点したことがあるでしょうか。

例えば90点。

そんな評価をどう感じるでしょうか。

この話の結論から伝えると、90点と言うのは「0点」と同じです。

95点なら「5点」。100点でも「10点」になります。

つまり、1日頑張って働いても、90点に相当する部分は無かったものとして消え去っていきます。

そこからもう一踏ん張りした「5点」や「10点」が、明日の評価となります。

今日、こみちが働く時間帯に何人かの同僚もいました。

以前から馬の合わない先輩がいて、でも最近は嫌味を言われることはなくなりましたが、こみちとしては組みたくないメンバーの1人です。

と言うのも、とにかく「働かない」のです。

もしかすると本人は働けていると思っているかも知れませんが、して欲しいことは何もしてくれません。

「仕事」が残っているのです。

この記事で、その先輩のできなさ具合を紹介したいのではありません。

むしろ、こみち自身の捉え方を紹介したいのです。

以前の仕事でも経験したことがないほど、「もう無理じゃないか?」と思う状況を迎えます。

投げ出したくもなりますし、こんなにもできるはずがないとも思うのです。

しかしながら、最後には回し切れます。

自分でも驚くほどですし、3ヶ月前や半年前と比べても、格段に早く処理できるようになりました。

でも誤解して欲しくないのは作業スピードの速さではなく、決められた時間内にいろんなことがこなせるようになったことです。

つまり、それができなければ「介護」はできないことを知ったのです。

上手く説明出来ていれば幸いなのですが、80点や90点の介護を続けても、それは誰にとっても何も残らない仕事です。

そう、その日が終わっただけ。

でも、90点以上の介護をするようになれば、自身の進歩も実感できるし、利用者も集まってくれます。

「こうしませんか?」と提案すれば、「こみちが言うなら」とそのまま受け入れてくれます。

それを見て、ある介護士は「怒る」ことで手に入れようとするのですが、それでは手に入らないことはもう紹介する必要もないでしょう。

なぜ、こみちは介護士を続けるのか?

実は「介護」の仕事に興味が薄れています。

「そうなんだ!」と言うことを経験するよりも、「こうして行きたい」と提案型になっているからです。

これって、「介護」の世界では「排せつ」や「移乗」「寄り添い」など、介護でよく耳にする言葉を使うに過ぎません。

IT業界、金融業界、食品や保険、もっと別の業界なら、それぞれで使う言葉や問題意識にどう取り組むのかと言うことと何ら変わりません。

つまり、こみち自身が本当にしたいと思っていることを、同じように問題視できるようにすれば、「回り道」しなくても良いと言うことでもあります。

ではなぜ、こみちが介護を続けるのかと言うと、もうそこは利用者に会いたいからとしか言えません。

実は今日、出勤してみて、ある利用者が息を引き取ったことを聞かされました。

入職した当時、いろんな会話をしてくれた利用者ですが、体調を崩す度に雰囲気が変わってしまい、ある掛かり付けの病院に入院してひと月ぶりに会った時にはもう話せない状況でした。

誰が悪いとか、適切な治療法だったのか、そんなことではなく、高齢者というのは常にリスクを抱えています。

ある先輩介護士が、「一期一会」と教えてくれましたが、本当にそうだと思います。

いろいろな人の人生の終焉に携わると、「どう生きるべきか?」も考えます。

その時、つまり90点の働き方が自分にとってベストなのかとも考えるのです。

自分から介護士を選んで、利用者と同じ時間を過ごすのなら、「今の自分にこれ以上はできない」と思うほど働いても損はないと思うのです。

逆に、つまらない駆け引きをして「楽」を覚えても、結局は一歩も前に進むことはできません。

馬の合わない先輩は誰から見ても組みたくない相手で、そう思われていることも知らないまま今日を過ごすほど惜しいことはないからです。

逆に、こみちは、「今日、持てる力をすべて注ぎ切って働いたぞ!」と思って帰宅しました。

本当に充実していますし、多くの利用者に笑顔ももらいました。

だからこそ「介護士を選んだ」のです。

少なくとも、そんな経験を積み重ねて先に、昔から思っていた「夢」とか、「理想」が叶うように思います。

誰かと比べてどうなのかはわかりませんが、自分自身ができることを果たした充実感は、掛け替えないものです。

ある時、本当にしたいことに向かうかも知れません。

でも今は、介護士として経験を積み重ね、充実感と達成感を味わいながら、利用者との触れ合いに感謝しています。