介護方針の重要性

問題の発端はトイレ誘導!?


介護業界未経験者向けを対象にこのブログでは記事を書いています。

これまでは、施設の介護方針と言うと、就活を行う際に「良い施設、悪い施設」を判断する材料と考えてきました。

ですが、実際に介護士として働いた立場から「介護方針」の重要性を考えてみたいと思います。

こみちの個人的な介護方針は、「目標設定を定めること」にあります。

しかし、例えば、自分の人生に目的やテーマを掲げて突き進むような日々を送っている人が何割くらいいるでしょうか。

「将来、こんな仕事をしたい!」とか、「自分の強みは〇〇だから、今はその準備として〇〇を身につけよう!」とか、目標設定をして前に進める人は割合に少数派かも知れません。

しかし、介護サービスを必要とする段階になると、「介護方針」を決定します。

それはつまり、これからの生き方を見つめることでもあるわけです。

ですが、いきなり目標と言われても戸惑う人の方が多いでしょうし、ケアマネが作るケアプランに「自身の人生設定」が100%反映することは難しいでしょう。

それだけ、「今後の生き方を決める」ということは容易ではありません。

しかし、容易ではないものの「人生」の捉え方を変えれば、介護士が必要とする「介護方針」を導くことは十分に可能です。

というのも、今回の勤務中に「トイレに行きたい」と訴えた利用者がいました。

実は、5分前にも同じことを言い、介護士がトイレ誘導しています。

「トイレに行きたい!!」

あまりに介護士が連れていないので、その利用者が大声で喚き散らします。

周囲の利用者たちも何事かと心配そうに見つめています。

もしも、一流のホテルマンなら、周囲への配慮も考えて、行くか行かないかは別として、騒いでいる「客」をその場から離すでしょう。

その上で、事情を説明し、ホテルとして配慮できる部分は配慮し、従えない部分は丁重に説明するはずです。

それでも騒ぐようであれば、毅然とした態度でホテルの方針に沿った対応になるでしょう。

つまり、トイレに誘導しないからダメな施設と判断するのは早合点です。

一方で、利用者の言うことを100%受け入れるのも正しいとは言えません。

それはつまり、その施設がどんな介護方針を掲げて、受けれる利用者に対してサービスをどう提供するのかの問題だからです。

ある意味で、その判断を個々の介護士が行うべくではありません。

と言うのも、今勤務しているこみちの施設は、明確な介護方針を現場のサービスに活かしていません。

働きやすい自由な雰囲気がある一方で、介護士によって対応がバラバラなのです。

例えば、今回のようにトイレに行きたいと訴えた利用者に対して、定めた誘導以外行わないと言うことなのか、可能な限り利用者の要求に従うべきかさえ決まっていないのです。

こみちの介護方針は「目標設定」だと紹介しました。

度重なるトイレ誘導が頻尿を促すと言うのなら、闇雲に訴えを受け入れることが良いとは言えません。

一方で、すでに90代となった利用者にとって、しかも現状を考えると自宅復帰にはいくつもの課題があり、施設での介護が不可欠だと判断される以上、その人が望む暮らしを提供することも「施設介護」の役割と考えられます。

同時に、騒ぐ利用者の周囲への影響を考えて、大変でもトイレ誘導を行う根拠にもなっています。

しかしながら、それは限られた介護士によるもので、一部の介護士は「介護方針」と別の意味で「ネグレクト」的な応対をしています。

コールが鳴ってもしばらく放置する。鳴っていることに気づかない(ふりをする)。

利用者の居室まで行って、何もせずに戻ってくる。

当然ですが、利用者は声を張り上げたり、周辺のものを棒状のもので激しく叩くなどして継続的に訴え続けます。

少なくとも、こみちにはその状況が正常には思えません。

そして、誘導を拒むつもりなら、利用者自身にその理由を告げるべきだと思うのです。

「どうして行かないの?」

「鳴っているのに気づかなかったから」

そんな応対を見ていて、例えばこみちが勤務していない日、どんな風に利用者にサービス提供しているのか気になりました。

専属担当にして欲しい!


ある利用者から、「専属担当制にできないのか?」を訴えがありました。

理由を聞けば、「お待ち下さい」というばかりでサービス提供が遅れたり、拒否されたりするというのです。

実際、ある介護士見ていると、掛かった時間に対する成果がアンバランスです。

15分掛けて利用者の応対をしたはずなのに、その直後に利用者からコールが鳴り、「トイレに行きたい」と言われました。

「さっきは行かなかったのですか?」

「「あとで」と言われた」というのです。

さり気なく、その介護士に事情を聞くとトイレに行ったと反論し、利用者が忘れているからだと言います。

しかし、少なくともこみちが対応して、同じようなことは起こりません。

理由はどうあれ、利用者の要求に応じられないケースが起きています。

だからこそ、利用者から「専属制」を持ちかけられるのです。

考えてみれば、利用者は新米介護士の実験台ではありません。

新米介護士は、勉強させてもらうのだという気持ちで利用者に関わるのが基本でしょう。

それなのに、「世話してあげている」という気持ちが根底にあると、介護士は勝手に「まあまあ出来た」でも良いように感じるのです。

しかし、介護士それぞれの認識や理解に差が生じてしまうのも、「施設による介護方針」が不明確だからでしょう。

専属制を導入し、例えば1指名取る毎に時給が100円アップするというなら、やりがいも出てきます。

しかし、動く介護士はいろんな作業を手早くこなし、出来ない介護士はマイペースでしたいように動くというのでは、個々が受ける疲労感も違いますし、何より連帯感が築けません。

こみちが15分で終わる作業を、1時間掛け、さらにこみちは45分別の仕事もこなすのが当たり前というのは、少し変だと思うのです。

個人のスキル違いがあるのは当然だとしても、2倍も違うのは作業の内容や手順が違うからです。

手早くできないなら、仕事とは別にYouTubeや社外の研修を受けるなど個人レッスンすれば良いと思います。

そうでなければ、苦労して覚えたはずなのに、いつまでも2人3人分も動いて、それが当たり前になるからです。

できないのが当たり前ではなく、できるように努力するのが基本です。

そうでなければ、試験台にされる利用者も嫌でしょうし、一緒に働く介護士も嬉しく感じません。

異業種経験者として


介護業界に感じる特徴は、その施設の重鎮たちがどんな介護方針をもっているのが大きな影響力を持っています。

最近というか、ここ数ヶ月前から勤務中に「緊張感」を感じなくなりました。

特にメンバーによっては、介護サービスの質が低下し、この内容で「報酬」をもらうことに戸惑いを感じます。

感覚的には、現状2倍から3倍は質も量も増やせると思います。

そして、この2倍3倍の範囲に多くの介護施設が入り、「サービスの質」を競っているのでしょう。

つまり、現状として、圧倒的に介護士の意識改革が必要です。

そのためには、施設介護の方針が求められます。

さらに、施設長をはじめとした管理者たちが、「これからどう改革を進めて行くのか?」を話し合うべきでしょう。

そこにはまず、自身の人生観や生き方のこだわり、不足している知識や技術、未来像など、振り返ることです。

しかし、言葉が不足していたり、思考が浅い場合に、今さら急には「人生観」と言われて思い浮かぶことも少ないでしょう。

言い換えれば、それができる人は、介護ではなく一般企業でも収益をあげることができ、やり手の経営者なっているはずです。

どう考えても、「介護」の方が予測不可能な部分が多く、成果を出し難いでしょう。

しかも、介護士の報酬は一般的な職種と比べても安く設定されています。

夜間帯に長時間労働したり、休みやサービス残業を強いられることも多いことを考えると、本当に介護が好きな人や人の役に立ちたい人が目指すべき仕事です。

稼ぎたい人が介護士なると、利用者の要求よりも仕事の質や量を減らそうと考え、場合によっては「手を出さない介護」に徹するようになります。

ある意味で、トイレ誘導を拒むことにも繋がり、利用者の立場になれば居心地の良くない環境なるでしょう。

こみち介護士としてまだまだ成長途中だと思っています。

しかし残念ながら、段々と勉強になる先輩の介助方法や利用者との接し方を見る機会が減りました。

未経験から始まった介護士という働き方ですが、「介護方針」や「介護サービス」と言ってワードの重要性や、組織としての統制など、これまで勤務して来た会社や個人事業主として考えたこととかなり隔たりを感じます。

それが「緊張感」にも繋がり、「これで意味があるのだろうか?」という疑問にもなりました。

本当に別の介護施設でも、同じくらいの意識で介護サービスを提供しているのでしょうか。

なんだか他の施設を見てみたい気持ちになるのです。

ただ、地元の介護施設に限りば、現在の施設に入職する時に見学させてもらった所もあり、僅かな時間ではありましたが「候補から早々に除外」した施設もありました。

その理由は、「介護方針」が現場に反映されていなかったからです。

「未経験でもすぐに、勤まります!」

気安さをアピールしたかったのかも知れませんが、こみちには施設としての自信のなさと映りました。

「大変かも知れませんが、半年我慢してくれたらしっかりと技術が身につきますよ!」と言えるような言葉こそ、中高年で転職した人が求めているものです。

その上で、知識や技術の活かし方や将来の展望まで匂わせてくれたら、お世話になろうと思うでしょう。

少しくらい給料が安くても、自身の将来を考えれば「勉強代」です。

もしも一定金額以上を求めるつもりなら、介護業界を選ぶよりも、他職種の方が割が良いはずです。

しかし、「将来性」という意味で、これまでのように「現在」に軸足を置くのではなく、今以上に体力が衰える年代になっても働ける「未来像」が中高年には大切になります。

だからこその介護であり、しっかりと自信が持てる経験が身につく環境がポイントなのです。