「気づき」が「確信」に変わっていく!?
利用者に介護サービスを提供するなら、「安全や安心」をいかに確保するかを考えなければいけません。
例えば、立位(立ち上がること)が不安定な人ほど、何らかのタイミングで転倒する可能性があります。
つまり、飲み込む力が低下していれば、むせ込みや窒息の危険があるとも言えます。
健康な我々でも、交通事故などのトラブルに絶対に巻き込まれないかというと、確率的には少なくても、「無い」とは言えません。
心身機能に低下があれば、それだけ「リスク」が増加しています。
すなわち、介護サービスを提供する場合、介護技術が求められるのは、「リスク回避」の発想が不可欠だからです。
介護技術というと、「手順」を思い浮かべるかも知れませんが、「表面的にできる」ことよりも、「目的に合った支援としてできる」ことが重要です。
それはつまり、利用者に対して「どのようなサービス」を提供するのかを、サービスの種類ではなく、「目的や意図」という意味で見据えなければいけません。
こみちの配属先に転居して来る利用者たち
最近、こみちの配属先で面白いことが起こっています。
それは、他部署で扱いに困っていた利用者が移転して来ることです。
介護士の言うことに反発して、時に暴力行為も見られる利用者が、ひと月ほど前に移転して来ました。
最初、噂で聞いていてので、どんな風に接すれば良いのだろうと思っていたのですが、見知らぬ所に連れてくられて周囲を見渡している利用者に「お茶を飲みませんか?」と声を掛けました。
しばらくすると「噂」は何処へやらで、「他の利用者」と同じであることに気づきます。
それはつまり、「正常」な部分と「認識が低下」している部分が共存しているということです。
少なくとも、介護士が「利用者にとって役立つ人」と認識してもらないことには何も始まりません。
ここで注意したいのは、介護士が「管理」するのではないということ。
そんなこと分かっていると思うかも知れませんが、「自分もできていない?」と気づき人は少ないものです。
というのも、「優しく接すること」が「役立つ人」の条件ではありません。
人は、あるタイミングで弱くなり、誰かに助けて欲しい瞬間や側にいて欲しい時があります。
そのタイミングを見逃してしまうと、相手は孤独を感じ、心を閉ざしてしまうのです。
特に厄介なのは、「大丈夫ですよ!」という笑顔に騙されて、相手の本心を見過ごしてしまうことでしょう。
でも、時に距離を詰め過ぎて、「ウザい」だけの存在も嫌われます。
その距離感をどれだけ取るのかが、介護士として最も大切なスキルだと思います。
それは、「気づき」から始まったのですが、段々と利用者に接する中で「確信」へと変化してきました。
北風と太陽
童話の一つに「北風と太陽」があります。
ある人のコートだったでしょか。それを風と太陽が脱がせるという話です。
風は、強く吹き付けて、コートを吹き飛ばそうと試みます。
一方で太陽は、じっくりと照りつけることで脱がせることにしました。
その結果は太陽が勝利します。
ついでに話を付け加えるなら、「どちらか上手くコートを着させられるか?」を競い合ったらどうなったでしょうか。
さっきと同じ方法で、風が寒さを吹き付けたら、旅人は寒くなりコートを着るかも知れません。
その時、太陽が照りつけたら、きっとコートを着る可能性は無くなります。
しかし、「その場を立ち去る」ことができたら、次第に気温が下がり、コートを着てくれるかも知れません。
ここでポイントは、「何かをすること」が大切なのではなく、「あえて何もしないこと」で上手く行くことがあるのです。
介護士は、利用者の召使いではありません。
なんでも言うことを聞くだけでは「介護」にはならないのです。
つまり、どこまで手を差し伸べて、どこからは手を引くという判断が重要です。
ここでも間違えやすいのは、介護士の都合でその判断をしないことでしょう。
忙しいから放置するのは、単純に介護士の怠慢です。
利用者のペースに合わせて「待ちながら」支援することが重要なのです。
手順さえ分かれば、衣類の着脱ができる人に、全てを着させてしまうのは良くない介護です。
逆に「何でできないの?」としっかりとした誘導もなく、ただ感情的に怒るのも介護としては避けなければいけません。
このように、どこまで何をするべきかの判断こそが、「介護」の本質ではないかとこみちは考えています。
介護士の地位向上に向けた取り組み
介護士の社会的地位を向上することができれば、報酬面や労働環境を改善できるでしょう。
雇用関係の立場から、施設の頑張りを先に求めてしまいますが、介護士が行うべきは利用者の「自立支援」を確実に行えることです。
自宅での生活以上の安らぎは無いと思います。
しかし、その自宅というのも、長年住み慣れた実家ということもあれば、新居を建てて住んでいる人もいます。
また、長年勤務している会社の社宅を使っていたかも知れません。
つまり、住まいというのは、「ココしか無い!」というものではなく、ライフスタイルに合わせて、都心のマンションが良い時もあれば、田舎で古民家を改造しながら暮らすのもあるのです。
当然、介護サービスを必要とする利用者の場合、選択肢の範囲は狭まったかも知れません。
しかし、「コレしか無い」というほどではなく、小さな工夫を加えることで、生活を今以上に豊かにできるでしょう。
安全や安心が確保できた次に段階こそが、生き方に対する介護士のアプローチです。
帰宅願望が強い利用者がいます。
その人にとって「住み慣れた自宅」にはさまざまな「良さ」があったのでしょう。
隣近所の住人と、たわいない世間話を楽しんでいたかも知れません。
また、子どもたちに手料理を振る舞い、「美味しい」と言ってもらえたのかも知れません。
しかし、時は過ぎて、すでに隣人は別の場所に引っ越したかもしれませんし、子どもたちも独立して今は別の場所でそれぞれの家庭があるということも考えられます。
そんな状況で、「自宅に帰りたい!」と利用者が訴えた時に、「帰れません!」という説明では十分とは言えないでしょう。
当然、「なぜ帰れないのか?」と思う利用者は、ただただ介護士を信用できない相手だと感じるだけです。
介護士にしても、「ウソは言っていない」と自分の正当性を感じているでしょう。
でも、問題のポイントが異なっているのではないでしょうか。
実際には、現場の介護士が補える部分ではありませんが、「今」と「昔」を利用者が理解して、「施設」での暮らしに新たなライフスタイルを作ることができれば、利用者の帰宅願望を残したまま、「施設の生活」を楽しめるかも知れません。
そんな風に考えることを「介護サービス」に折り込むことができれば、介護士の役割は今以上に高まるでしょう。
医療的な知識や心身機能の理解がある専門職だって、その領域には簡単に踏み込めません。
つまり、介護士の役割が明確になり、その職の専門性が見出せたら、今の施設で評価されなくても、活躍できる場所ができるはずです。
同時に報酬面や労働環境も変化し、今以上にやりがいある介護士になれるでしょう。