「 介護サービス」が提供される理由を知らない介護士
多くの介護サービスは日常的なものとなっていて、「その提供理由」まで見直すことは無いのかも知れません。
例えば、「なぜ、排せつ介助するのか?」と聞かれて、衛生面や不快感の排除などを挙げる人がいるでしょう。
教科書でも、初任者研修などでも、同じような問い掛けに対して、これまた同じような回答がなされているように感じます。
なぜなら、「間違い」ではありませんから、1つの答えとすれば知っていて損はないからです。
特に初めて介護に触れる人にとっては、「なぜ?」という聞かれても答えられないことがあるでしょう。
それはつまり、「現場」を経験していないからで、これまでの経験や価値観では答えようもない問いもあるからです。
その一つが、「寝たい」と訴える利用者の扱い方でしょう。
当時のこみちは、「なぜ、寝かしてあげないのか?」と思っていました。
そして、その時の先輩から、「もっと現場を知れば、寝かさない理由も分かる」と助言されたことを覚えています。
今になって、その先輩の発言の意図を理解できますし、今でも「寝かしてあげないのか?」と思います。
「介護」の背景には、その人の「暮らし」があります。
決して、介護の前に「暮らし」があるのではありません。
ともすれば、介護施設では「暮らし」が軽視され、利用者の訴えが軽んじられることも少なくないのです。
それは、施設介護の「質」にも大きく関わる部分ですが、人手不足や介護士の社会的な地位などを踏まえると、まだまだ「看護師」や「機能回復訓練士」ほどの評価を勝ち取るまでには至っていません。
その大きな理由として、「介護サービス」の提供理由を理解しない介護士が多いからでしょう。
本当にケアプランだけで十分なのか?
初任者研修と実務者研修の決定的な違いは、「ケアプラン」に対する理解と発展でしょう。
現場の仕事を熟すことを学ぶ初任者研修に対して、実務者研修では実務経験3年以上と合わせて「介護福祉士」に格上げします。
介護福祉士の社会的な評価は、正直なところ、これからという部分もありますが、特に実務者研修と実務経験3年以上を打ち出したことで、今後の「介護福祉士」の期待は以前よりも格段にアップしているでしょう。
なぜなら、介護福祉士は、現場で働くだけが任務ではありません。
むしろ、初任者研修の修了者や実務者研修で学んだ予備軍に対して、ケアプランの大切さを伝え、そこに補完すべきことがあると仕事を通じて伝えます。
例えば、老人ホームに身を寄せる高齢者に対して、もっと重視しなければいけないことは、人生の最期を迎えるまで「自分らしく生きる」を叶えること。
言葉にすると簡単に聞こえますが、「自分らしさ」をその時々の心理状態を鑑みて、叶えて行くことはとても深い思慮が問われます。
食べないという人に、介護士の考えだけで「無理やり食べさせる」という行為は、深い思慮があるとは言えません。
それは介護士の常識を一方的に押しつけ、それを「介護」だと認識してしまうようなものです。
実務者研修では、そのような誤解を回避するために、「ケアプラン」を徹底的に学ぶのです。
作り方はもちろんですが、そのために必要となる利用者の既往歴、社会的な環境などにも視野を広げて、その人の生き方にどう寄り添うことができるのか考えます。
それは理論的な話ではなく、地域に点在する介護施設の役割やポテンシャルを見極めながら、どんな介護サービスを選ぶことが大切なのかまで考え尽くすのです。
実際、ケアマネとして活躍していた講師陣から、ケアマネをしていた頃の大変さや、苦労話も聞かせてもらいました。
そして、ケアマネを辞めて、介護士の育成へと舵を切った理由が、「介護サービス」の底上げだったと聞かされました。
つまり、「ケアプラン」を立てるにも、それを提供できる介護施設がなければ、絵に描いた餅になってしまいます。
少なくとも現場で働く介護士たちが、「何のために利用者の支援をしている」のか気にしていなければ、ケアプランが実行されることもないでしょう。
初任者研修を修了しただけでは開かれませんが、実務者研修から介護福祉士と進むことで、「ケアマネ」もしくは「講師」という未来像も描けます。
これは、初任者研修修了者が、「介護福祉士」を持っていても現場仕事ができない人がいるという批判に対する答えにもなるのですが、そもそも初任者研修で学ぶことと「実務者研修」で学ぶことは根本的に違います。
その意味では、初任者研修を終えて介護施設で働いている人は、いつか「介護福祉士」になるべきでしょう。
それは報酬という意味だけではなく、「介護」の目的や存在理由を幅広く認識するためです。
「時間が無い」という理由でサービスをカットしてしまう介護士
例えば、現場仕事が膨大にあって、職場の介護士だけでは賄いきれない状況だったとしましょう。
中には、1つひとつの作業を簡略化することで、つじつま合わせの仕事をする介護士もいるでしょう。
そんな風に「現場」を起点に考える思考は、今後の介護士に求められる期待とは異なります。
つまり、できないからどうにかするという考えは、利用者にとって望まれるサービスではないからです。
今後の介護福祉士に期待されるのは、「組織づくり」の提案と、医療分野やリハビリテーションの分野を含んだ相互の理解と共有です。
もちろん、その根底にあるのは「ケアプラン」であり、それを実現するために現場の介護士も動いているのです。
だとすれば、項目数が増えてしまった作業中で、「ケアプラン」の目的や意図に則した作業を選び出すことはできないかと考えるべきです。
利用者の状態や環境などの観点から、さらに優先される作業や、じっくりと取り組むべきサービスがあるはずです。
その判断こそが、介護福祉士の社会的な役割で、逆を言えば現場仕事に固執する介護士は段々とその役割を失って行くでしょう。
言い換えれば、期待される介護福祉士は、看護師とも対等に意見交換できます。
なぜなら、介護福祉士としてはケアプランの遂行が目的で、時に医療的な見地を確認したり、協力を仰いだりする相手こそが「看護師」だからです。
作業療法士や理学療法士に対しても同様で、彼らが行う専門分野だけでは「利用者の生きる」をすべてカバーすることはできません。
やはり、利用者の生きるに近い存在である「介護士」の役割は大きいのです。
でも現実的な話をすれば、介護士として働いていて、現場に捉われない方が少数派でしょう。
何分でオムツ交換できるとか、食事介助が早いとか、現場を早く回せることに目がいくからです。
その方がスキルアップを感じますし、もっと深い思慮まで到達するには、これまでの社会経験が不可欠です。
それがベースとなって「生き方」の広がりを想像できるからで、「実務者研修」だけでは到底不十分ですし、介護福祉士になってからも自己研鑽が必要でしょう。
しかし、そこまで到達した介護士の介護サービスは、ケアプランに合っているだけでなく、時には作成したケアマネさえも動かしながら、利用者の人生にしっかりと寄り添うことができます。
多くの場合、そこまで実現するには、「介護士」から「施設長」というか肩書きに変わるかも知れません。
しかし、本当に大切な役割を見つけながら介護士として働く価値に気づけるように促すことも、介護施設の役目であり、やりがいでもあります。
現場が忙しいと感じる介護士が、勝手に介護サービスを自己判断で変更しているようでは、いつまで経っても介護サービスの質は向上しないでしょう。