「寄り添い」の前に考えるべきこと

「寄り添い」だけを考えしまわないために


「寄り添い」が利用者だけでなく自身と関わる相手への理解だとすれば、「正しい日本語」を話す意識も必要です。

こみち自身も得意ではありませんが、文章を書くようになってから意識が芽生えました。

と言うのも、相手とのコミュニケーションは言語や非言語がありますが、具体性のある言語を適切に使うことで、誤解や早合点を防ぐことができます。

先日もある先輩から「向こうからお願いします」と言われて、それがどこからなのかこみちと相手では異なりました。

「向こう」というのは、きっと「あの場所」だろうと予測するのは、そこに関わる背景や状況などをくみ取った結果に過ぎません。

「向こうとはどこからですか?」

ひと言、そんな風に確認すればいいのですが、特に職場では忙しさもあって「見切り」で始めることも出てきます。

議論できる環境づくり


議論というと、トラブルや仲間割れを連想するかも知れません。

問題点を話し合うには、自身の考えや相手の意見に耳を傾けるからです。

誤解やいさかいを避けようとするあまり、全体で決めたことを個々に自己解釈したり、ある限られた人だけが知っているルールでは統一性は生まれません。

その意味でも、自身の考えをいかに適切にシンプルに表現するかが求められるのは、何も介護の仕事ばかりではないでしょう。

相手の意図をくみ取るためにも、自身の理解を投げかけて、その反響や反論を待つべきです。

よく「論破」という言葉で、どちらが優れている考えかを競い合う傾向がありますが、こみちのいう「議論」はそのためにあるのではありません。

大人が考える「整理整頓」の意義


最近、こみちは「整理整頓」が大切だと強く感じます。

「整理整頓」は、私生活上のことだけを思い浮かべますが、特に仕事をする時に必要です。

人によって、ものを記憶できる数は異なります。

ある人が「10個」でも、別の人は「100個」かも知れません。

しかし、いつかは限界を迎え、単純に置き場所を覚えるだけでは物の置き場所を管理できなくなります。

具体的には、「ラベルを貼る」や「属性を持たせる」などして、より多くの物を管理できるように工夫するのですが、その方法に改めて着目すると「新鮮な感覚」に出会えます。

ある意味で、ラベルや属性は膨大な情報を整理するためにあります。

この時に必要なプロセスは相手に考えを伝える時にも不可欠で、乱雑に生活する人はそれだけ意思表示も曖昧だったり、一方的な視点に偏ってしまうでしょう。

「どう思いますか?」

その問い掛けに答えためには、問われた問題を自分自身がどんな風に理解していて、問題点はどこにあり、さらには改善点まで答えなければいけません。

その時、例えば「私は構いませんよ」というようなどう理解して良いのか分からない言葉で返してしまいます。

人的、経済的、その他の理由から、考え得る理想の選択肢を選べないことはよくあります。

しかし、それでも関係者が意見や意思を共有化することがより良い環境づくりには必要です。

リーダーや管理者は、より個々の見解に目を向けて、フォローアップも行うことが求められるでしょう。

その気配りが、関係者間での理解や統率力を増すことにも伝える繋がり、介護現場では利用者への「寄り添い」となって現れます。

つまり、「寄り添い」を行うことだけを主題にして、利用者と向き合うだけでは根本的な解決はできません。

そこには介護士が看護師のような医療的ケアを行う権限も与えられていませんし、目の前の現象に対処しがちなこともあるからです。

「個」でできることも大切ですが、「組織」でなければできないことも多いのです。

こみちのような介護士も、求められた時に意見を伝えられる準備をしておきましょう。