介護施設内の派閥問題

どこにでもある派閥の話


介護士として、「どんなタイプの人物が好ましいか?」と言うような話はいろんな場面で耳にします。

几帳面な人? 向上心のある人? 思いやりがある人?

いろんな考えや意見があるでしょう。

このブログは、中高年となった大人が明日も活躍することを応援しています。

つまり、「介護士とは何か?」よりも「介護士としてどう稼いでいくのか?」がテーマなのです。

先に挙げたような「几帳面さ」や「向上心」など、介護士だから必要なのではなく、働く人なら当然持っていて当たり前の条件だと感じます。

こみちとしては、中高年の方々は十分な人生経験も持っていて、その活かし方を考えているのだと思っています。

几帳面さがなく、何度もミスを繰り返してしまう介護士など現場に必要とされるでしょうか?

向上心がなく、特定の作業しかできない介護士と一緒に働きたいでしょうか?

きっと答えは「NO」でしょう。

なぜなら、介護業界を数ある業界の中から選んだ訳ですから、それなりのメリットを感じたいと思うからです。

端的に言えば、一般的な営業職や、スキルを活かして活躍する職業の人よりも、身体的精神的に厳しく、報酬面でも満足度はそれほど高いとは感じないでしょう。

それだけ介護士という仕事は重責なのです。

先日、部内ミーティングがあり、そこで重大な発表が告げられました。

その内容は、施設内の浴室をどう活用するのかと言う問題です。

こみちが所属していた「ユニット」では、個々の利用者に寄り添いながら、「一歩進んでケアすること」を求められていました。

他部署の様子と比較しても、介護士と利用者の距離が近く、より親密で真心のこもった介護サービスを責務としているつもりでした。

だからこそ、介護スキルも高水準でありたいと感じていましたし、言葉づかいや利用者との距離感にも注意して関わって来たと思っています。

しかし、先日だったでしょうか、この頃の職場で起きた事情で紹介したように、仕事をしない先輩介護士がいたり、利用者と口げんかしたり、罵倒する光景があったりして、現場にいるこみちとしてもモチベーションが低下していました。

そして、そんな様子を判断されたのか、組織にありがちな派閥によるものなのか分かりませんが、他部署と共同で使用して来た「浴室」に感じて、ユニットの優先度合いが格下げになったのです。

分かりやすい例えを使いと、これまで「3時間」占有できた浴室を「2時間」で明け渡すことになったと考えてみてください。

借りれる時間が短くなれば、利用者の数は一定なので、それだけ1人あたりの時間が短縮されたことになります。

ゆっくりと浴槽に浸り、時には介護士とたわいのない会話をしていた時間が削られて、サッサと用事を済ませるような入り方になったとも言えるでしょう。

その際に施設の管理者や各部署のリーダーが、「ユニットケア」とはどんなケアなのかを再確認しても良かったはずです。

実際、月額の料金で言えば、他部署に比べて数万円は高額になっていることを考えても、「ユニットケア」と目的やサービス内容を再考する価値はあるでしょう。

一方で、フロア内の様子を見ても、「ユニットケア」が十分に実践できているとは残念ですが言えません。

ユニット所属の介護士たちも、「楽な部署だ!」とか「他部署は大変だ!」とユニットケアの本質に目を向ける介護士が減少している気がします。

施設長や各リーダーたちを含めて、施設介護の在り方を介護士全員で考えることができたら、もしかしたら「ユニットケア」の存在意義も見出せるかも知れません。

しかし、現状としては、他部署とユニットの違いは、「利用者が個室を占有し」その分だけ高額な料金となっているのであって、日常的なケアの部分では特別なサービスは提供していないと判断されても仕方ないことになります。

それを打破するには、ユニット所属の介護士たちに「ユニットケア」の目的や意義を理解してもらうことが不可欠です。

しかし、一般的な会社以上に個々のスキルやバックボーンに差がある介護士業界では、統一的な方針を打ち出しても、それが根付くまでには時間が必要です。

現状としては、ユニットケアそのものが軽視された格好となり、ユニット所属の介護士に対して他部署同様のノルマが課せられはじまたことになります。

利用者の好みや性格を踏まえて、配慮のある接し方を見出すよりも、「何分以内に何人の食事を終わらせられるのか?」と言うような現実的な話がますます増えて来るでしょう。

プロフェッショナルを目指す覚悟の裏側


これは介護業界に限ったことではありません。

ただ、向上心を持って質の高いサービスを実現するなら、組織を構成する従業員のモチベーションを維持することが不可欠です。

そのためには、組織はノルマを与える一方で、それに見合った「成果」も与えなければいけません。

ただ、介護業界の場合、介護士の報酬は介護保険制度の下にあり、施設が受けたメリットが大きくとも、それに応じた報酬を支払うことは考え難いのです。

つまり、課題を介護士に与えることはあっても、それは介護士の負担を増やすことでしかなく、プロフェッショナルを目指すための環境作りが異業種以上に難しいとも言えます。

それだけに、「ユニットケアとは何か?」をただ言葉として理解するのではなく、「自身の介護方針として理解する」までには至りません。

先日、施設長と話機会があり雑談をしたのですが、趣味や家族の話をするときに比べて、今後の運営方針やこれからの課題を話す時の方が圧倒的に口数が少なくなってしまったのは残念でした。

正直言って、多分、ユニットケアそのものを考え直すことは無いでしょう。

あるとすれば、ユニット所属のリーダーを中心に介護士たちが「ユニットケア」をどのように考えて実践したいのかをプレゼンするしかありません。

しかし、報酬に反映されないままで、現状の介護士たちが自身のノルマを宣言するとは考え難いことです。

つまり、ユニットケアが自然と形式的なものとなり、時間に追われながら数をこなすタイプの介護サービスになるでしょう。

もっともこみちが勤務している介護施設の場合であって、他のユニットケアを実践している施設を言っているのではありません。

利用者から「ありがとう」と言われることに喜びを感じ、ちょっとした心の変化に対応することが介護士の役目と考えて来ましたが、段々と考え方を変えていかなければ、自身を追い詰めることにもなってしまいます。

ノルマをこなすことが、「施設で求められた仕事」と言う方針転換は、介護保険制度の下で成り立つ介護施設の現実なのかも知れません。

何を持ってプロフェッショナルな介護とするのか?

こみち自身も、大きな転換期に直面したのかも知れません。