ケアプランに沿うこと
例えば、脳梗塞によって左半身に痺れが伴う利用者がいたとしましょう。
ある意味で、利用者自身も自分の左半身をコントロールできない状態です。
歩こうと思っても左足を前に出せないのですから、以前まで当たり前にできていた「歩行」ができなくなっています。
ケアプランでは、「介護する目的や目標」を定めます。
利用者自身もそうですが、利用者家族の意見にも耳を傾けます。
同時に、希望を確認したうえで専門家による見解も踏まえ、実際の介護サービスを選定することになるのです。
利用者の心身機能を回復させる方法として、医学や医療的な見地からは医師や看護師が担当することになるでしょう。
また、理学的な立場では、理学療法士や作業療法士などが関わってきます。
こみちが行うのは、「介護サービス」の一端であり、日常生活ベースに利用者の心身機能に貢献したり、サポートすることになります。
ケアプランで「歩行できるようになる」と目標を立てた場合、そこに関わるのは医師や理学療法士などの専門家でしょう。
そもそも訓練によって機能がどこまで回復できるのかを判断し、現状に則した「リハビリ」を決定します。
利用者の身体的な優位性や、性格も加味して、どこまで目標値を高くするかは、専門家の経験や判断と伴います。
実際、見聞きはしますが、介護士が利用者の心身機能回復を担うことはありません。
ただ、日常生活の中で、利用者が手を使う回数を増やしたり、積極的に行うように誘導しながら、介護を通じた機能回復には関わります。
専門家と介護士大きな違いとして、「歩行」が目標となっていても、介護士が必ずしも脚力の運動を行うとは限らないことです。
コップを持って飲み物を飲めるようにしたり、握れても不安定な場合には手を添えるなど、「日常生活」の中で感じるポイントが優先されます。
利用者からの「要求」をどこまで対応するか?
利用者の中には、何度もトイレに行きたがる人がいます。
「頻尿」と言ってしまえば、そこで議論は終わります。
例えば、日常的に使うフロアの設定温度が低いことで、身体が冷えやすくなり尿意をもたらせることはないでしょうか。
同様に、着衣の快適さが適当か否かも問題でしょう。
トイレ誘導に関わることで、「飲み物を摂りたがらない」利用者がいます。
何度もトイレをお願いしたくないと言う理由からですが、体内の水分が不足すれば排せつが滞りやすく、便秘になってしまいます。
浣腸薬を使うことになれば、それだけ身体には負担となります。
現場担当の介護士にとって、利用者の希望に沿った衣類の選択は可能でしょう。
ただそれだって、ある程度の範囲から対応するので、細かな意味での対応はできません。
暑い寒いや、肌触りが良いなどが基準となり、オシャレや自分らしい格好までは範囲外となります。
もっとも、有料老人ホームなどで、利用者に専任の介護士が付くシステムであれば、「自分らしさ」をさらに追求できるでしょう。
「有料サービス」として十分な品質のクオリティーがあれば、それ以上の質を求めることは難しくなります。
利用者と介護士が一緒になって行うレクリエーションで、その方法が利用者の好みや期待に合っていなかったとしても、一般的な見地から妥当であれば、介護士としての役割は果たしています。
なぜ、そんなことを改めて確認したのかというと、一部の利用者は自分の好みや希望で、介護士や施設環境に強要するからです。
「朝は何時何分に起こして欲しい!」
「フロアに設置されたテレビの音量は小さくして欲しい!」
「レクリエーションの参加を強制しない!」
ある意味、介護士がちょっと頑張れば対応可能な内容です。
ただ、施設で準備したスケジュールから逸脱した時間設定の場合、介護士の手順まで変えなければいけなくなります。
概ね「朝は6時に起きる」と言うスケジュールと、ある人は5時30分で、別の人は5時45分と言うような細かな指定になってくると、当然ですが介護士の働き方にも影響を与えます。
テレビの音量や足音など、生活音は誰もが気になる部分です。
特に介護施設であれば、利用者は集団生活しているので、それぞれがストレスを溜めているでしょう。
だからこそ、ちょっとした会話やドアの開け閉めなど、気になる利用者はいろんなことを要求して来ます。
それが、介護士の意識次第で簡単に改善できるものなら良いのですが、必要以上に気にしながら働くとなれば負担も大きくなります。
大まかに「冷たい」「常温」「温かい」と言うくらいで飲み物を提供しているのはサービスです。
しかし、「もう少し冷たく」とか、「温くなっている」と言う指摘まで含まれると、介護士としては同じような作業を何度も行うことになってしまうでしょう。
あるところまでは利用者の快適さに寄り添ったものでしたが、あるところからは「必要以上に高い要求」が当たり前になってしまうのです。
もちろん、それでも簡単に応対できる介護士はいます。
しかし、要求が厳しくなれば、いつしか対応できなくなるでしょう。
一方で、すでに対応できない介護士もいます。
「お茶」はお茶であり、渋味や甘味に気づかないまま注いでいる介護士もいるくらいです。
「なぜ、お茶を残すの?」と利用者に聞いた時、「渋すぎて飲めないからだ」と言われたことがあります。
確かにお茶ならどんなものでも良いわけはありません。
どこまでの品質を理解して、現場でのサービスに活かすかは介護士それぞれの意識に関わるでしょう。
有料老人ホームの役割とは?
こみちは有料老人ホームを誤解しているかも知れません。
というのも、介護保険制度だけでは対応できないサービスを有料老人ホームでは「オプション」として設定していると思っているからです。
例えば、朝は「煎茶」が良い。
そんな利用者がいれば、有料老人ホームでは応対できるからです。
茶葉の種類だけでなく、そのグレードまで指定されても、「十分にコストを回収できる」はずです。
逆にそれだけ細やかなサービスなら、施設としての強みにもできるでしょう。
コスト管理が厳しい施設の場合、利用者の要望もコストと照らして判断されます。
「施設の水は不味い!」
ある人にとっては、臭みを感じるかも知れません。
だからといって、天然水を用意したり、高性能な浄水器を設置できるかは施設の経営陣がどう判断するかでしょう。
そう考えると、末端で働く介護士の裁量など微々たるものです。
勤務時間を超えての労働を強いられたり、過剰なノルマを果たすまで帰れないとなれば、それはそれで問題でしょう。
常識的な判断からしても、介護士としての「サービス」は、ある程度の範囲に限られます。
その上で、「良い介護士」として利用者や施設からの評価に応じられるかは難しい問題がいくつも含まれています。
利用者からの期待ばかりが膨らみ、介護士として応えるには限界以上に頑張らないといけなくなったりするのです。
それを施設で評価して、報酬に繋げてくれたら良いのですが、現実は「板挟み」のまま「サービス」になってしまいます。
「良い介護士」であることの意義をどこに感じるかは個々の介護士次第でしょう。
もっとも自身のサービス内容や質に疑問や改善策を講じない人もまた、別の意味で問題です。
どこまでの「品質」をスタンダードにするのかは、これから介護士として働いきたい人にも考えて欲しいテーマです。