「幸せ」を掴むために必要なこと

中高年だからこそ「幸せ」を掴むべき


現役の介護士として、こみちは心身機能に問題を抱える高齢者の生活支援に努めています。

そこで感じるのは、どんな人も食事をすればトイレに行きますし、週に数回は入浴すること。

しかし、現実的なことを言えば、それさえも「必ず」とは言えません。

介護施設には、口から食物を摂取できなかったり、トイレでの排せつが不可能だったり、健康状態によっては一般的な浴室はもちろん、機械を使っての入浴さえも難しいことがあるからです。

こみち自身も、ほんの1ヶ月前に気づいた体の異変もあったので、「健康体である」ことの大切さを強く実感しています。

では、そんな状況になったらもう「幸せ」にはなれないのでしょうか。

「幸せ」までのきっかけ


これからお話することが、唯一の答えだとは思っていません。

実際に介護施設で働いたことで感じた個人的な見解であることをお断りしておきます。

さて、「幸せ」とはどんなことを指しているのでしょう。

こみちとして、「幸せ」は本人次第で大きく変化するものだと思っています。

つまり、こみちの幸せは、こみち自身がどう感じるのかに掛かっているのです。

「そんなこと当たり前だろう!」と思われる人もいるでしょう。

しかしあえて、そんなことを言ったのは、話に続きがあるからです。

例えば、高齢なると体力や集中力が低下し、日常生活のさまざまな場面で「幸せ」よりも「面倒」が勝ってしまうことがあります。

これから掴み取ろうとしている「幸せ」も、この「面倒くさい」と言う感情が先に出る人ほど困難になるのです。

と言うのも、これまで約50年間を生きてきて、ラッキーな「幸せ」もありましたが、心から手に入れたい「幸せ」は簡単にやって訪れませんし、今だって待ち望んでいます。

確かに棚ぼた的にやって来る「幸せ」もありますが、本当に望むような「幸せ」はしっかりと「準備」をしなければ訪れません。

こみちと同じ年代の方で、今にして思えば学生時代にもっと「勉強しておけば良かった!」と思った人はいないでしょうか。

社会人になってからの努力は、自分なりに頑張っても目に見える成果は得られません。

しかし、学生時代ならワンランク上の学校に合格できたり、望んでいた第一志望の進路を手に入れられたりします。

親となって子どもに「勉強しなさい!」と口にしてしまうのは、この年になって気づくからでしょう。

本来なら、若い頃からしっかりと準備して自分の「幸せ」を掴むべきです。

しかし時間を巻き戻せないので、「今日」から始めるしかありません。

こみち自身も「幸せ」を掴むためにどんな「準備」すれば良いのかと考えて来ました。

介護施設での体験が大きなきっかけで、いろいろな利用者と接したことが「準備」のきっかけになりました。

介護士として働いた経験がある人なら施設での生活を想像できるでしょう。

経験がない人は、スケジュール管理された生活を想像してみてください。

朝昼晩の食事とそれに前後してトイレタイムがあり、時々お風呂に入り、レクリエーションやリハビリテーションが用意された生活です。

自分らしさを叶えることがとても大変な環境で、どうしても単調な生活になってしまいます。

注意しなければ、施設での生活は、月日ばかりが過ぎていき老いていきます。

だからこそ、「準備」している人といない人の差が大きく、「幸せ」か否かが問われるのです。

例えばこみちが80歳になり施設で暮らすことになったとしたら、これまで続けて来た「趣味」を満喫したいです。

イラストを書いたり、小説を書いたり、カメラやギターもできたら嬉しいです。

iPad が使えるなら、インターネット環境も利用したいです。

イラストも小説も十代の頃からずっと続けて来たことで、こみちにとっては無くてはならないものになっています。

逆にそれがあることで、物の見方や感じ方、表現する楽しさなどを知りました。

そして、そのことが「幸せ」に繋がる「準備」になっています。

別の意味で、キャンピングカーが欲しかったり、大型バイクも手に入れたいと思ったりするのですが、それらはもはや「夢」でも構いません。

施設で暮らす利用者たちも、好きな作家の本を読んだり、音楽を聞いたり、テレビを見たりしている人がいます。

その人たちは自分でそれをしている時に「幸せ」を感じるのでしょうし、他の利用者や介護士と共通の話題で盛り上がればさらに楽しめるはずです。

仕事として施設に行くのですが、利用者との会話は「準備」みたいなものです。

いろいろな価値観や考え方に触れ、発見や体験に繋がるからです。

ここに書いている「ネタ」も、こみち自身の発想もありますが、施設での経験が活かされていたりもします。

介護士として働いていなければ、そんな経験もできなかったでしょう。

どんな経験も、自分にとって意味あるものにすることが大切だと思いました。

つまり、アクシデントは想定外だから困難なのです。

明日の「幸せ」を見つけるために


自分から望んだ「挑戦」であれば、それはきっと明日の「幸せ」になるでしょう。

そのためには、好きか嫌いかだけでなく、「どんな意味や役割」があるのか想像して取り組むことがポイントです。

中高年なり体力が衰えて来たと感じるなら、「本当に必要なこと」を優先して手に入れるべきでしょう。

「お得」と言う言葉に誘われて、必要ないものまで追いかけると、結局は時間ばかりが過ぎてしまいます。

中高年からの「10年」は、その先の「幸せ」を決めることになる大切な時間だからです。

介護士として働くことは、中高年になってからではキツイと感じることも多いですが、逆に「今」だからこそできるのであって、さらに「5年後」や「10年後」に未経験者として始めるのはもっと困難だったと思います。

どこまで大風呂敷を広げるのかは、その人の考え方次第でしょう。

しかし、広げたからには「何か」を見つけたいものです。

まして、広げることもないまま年を重ねてしまうと、気づけば朝昼晩の食事をただ口にしているだけの生活が待っています。

残念なことですが、利用者の生活は段々とそこに向かっていきます。

難しく考える必要はありません。

「楽しいと感じる時間」をたくさん見つけることが、今できることだからです。