いろんな意見が出た会議を終えて
以前からある利用者が「物を取られた!」と訴えています。
もちろん、介護施設では珍しい話ではなくて、いろんな形で誤解や勘違い、聞き間違いから利用者が「取られた!」と言うことは起こり得ます。
ある介護士が、「利用者の認知機能低下を前提とするのは如何なものか?」と発言しました。
それを聞いて、意味深な笑みを浮かべる介護士たちもいます。
「実は先日のケースですが、冷蔵庫のプリンが無くなったのは…」
別の介護士が問題となっている利用者の一例を挙げました。
「他の人が食べたということなの?」
誰かの指摘に対して、発言者は会議に欠席している介護士から聞いたと説明しました。
「他の介護士が提供してことは確認できていないと…」
「エエ、そうなんです。プリンが無くなったんです!!」
その時、会議に参加していた関係者の何割かがため息をつき、その発言者の話から興味を失ったように感じます。
実際、司会役を務めていた人は、「あとで確認しましょう!」と締めくくりました。
物取られ妄想とは、ある人が誰かに物を取られたと思ってしまうこと。
それが事実ではなく、認知機能の低下と関連して起こることに特徴があります。
我々介護士が注意したいのは、利用者が「取られた!」と訴えたことではなく、それが客観的に事実ではないのに、誰かを犯人だとして思い込んでしまう状況です。
そのためには、訴えた利用者の話を真摯に聞くことから始めなければいけません。
そうでないと、夢の話だったり、錯覚していたということかもしれないからです。
実際、昨日話したことを、夢だったかもと言って、確認する利用者がいます。
よく聞けば、施設内ではなく、かつて住んでいた町での思い出や習慣を話すことだってあります。
そんな話の内容に「取られた」というワードが含まれていたということだって十分にあり得るワケです。
会議での議論を終えて、「物取られ」は根深い話だと感じます。
それは、訴える利用者ばかりでなく、介護士が事実を湾曲させる可能性もあるからです。
特に、会議での発言のように、「物取られ」だけがひとり歩きしてしまうと、利用者は別の意味での被害者になってしまいます。
事実、施設サイドでは、その利用者の訴えを問題視していて、一時は「退所」も検討する事態になりました。
物取られ妄想はどこから始まるのか?
この話題で思い出したのは、こみちが入職して当初、ある利用者の部屋に入りカーテンを閉めました。
部屋を出た時、別の介護士が利用者に向かって「カーテンを閉めてくれただけですよ!」と説明をしていたのです。
こみちにすれば、利用者の部屋から物を取るつもりはありません。
でも、信頼関係がないと、利用者は不安に包まれます。
それに、知らない人が出入りすれば気分の良いものではないでしょう。
こみちは会議で問題視された利用者とも時間を掛けて話したことがあります。
物取られのことではなく、これまで読んだことがある互いの好きな小説家の話です。
その方は90代で、目も耳も若い頃ほど良くありません。
それでもシェイクスピアの「風と共に去りぬ」や「ハムレット」を、大きな虫眼鏡を使いながら読み進めています。
こみちも読んだことがありますが、利用者が嬉しそうに話してくれる姿を見て、小説は何歳になっても夢や希望を与えてくれると感じていたほどです。
思慮深い人であることを知っているだけに、「プリン」だけが問題ではないようにも感じるのです。
「プリンが無いの!」
そう介護士に告げた時、「この人は認知症かもしれない!」とか、「自分で食べたのでは?」と言いたそうな表情で応対していた可能性はないでしょうか。
「プリン一個でしょう!?」「部屋だって本でいっぱいじゃない!?」
介護士によっていろんな反応があるかもしれません。
ただ、ちょっと考えて欲しいのは、「プリン一個」の価値ではなく、それさえも問題にしなければいけない状況なのです。
信頼している相手から、「食べたってことはありませんか?」と訊ねられ、「そうかもしれないわ」で終わったのかもしれません。
信頼関係がないと、「そちらで犯人を探してください!」とまで言わせてしまったということはないでしょうか。
「あの利用者は私たち介護士さえも疑っている!」
介護士たちが誤解や勘違いをして、問題の本質を見失っていることだってあるのです。