介護施設には「入所、退所」以外の「旅立ち」がある!?
これまでにも、利用者の「旅立ち」を何度か見送ってきました。
実は今も「荷造り」をしている利用者がいて、時間を見つけては様子を伺っているところです。
介護という仕事を説明する時、例えば「傾聴」や「寄り添い」などを理解の手がかりとして持ち出すことがありますが、「人生の終焉」は意外と突然だったりします。
つまり、頭でどんなに理解したつもりでも、「お迎え」が来たら人は旅立ちます。
それが、100歳なのか、80歳なのか、40歳ということだってあり得るだけのことです。
だからこそ、「今日一日」を精一杯生きることが大切で、介護士なら利用者の「大切な一日」に関わらせてもらうのです。
例えば、医師が医学を学んで感じるのは、「我々が手助けできることの少なさ」ではないでしょうか。
というのも、医学がまだ完全に解明されたものではなく、長年の経験や蓄積によって裏付けされた「知識」を使っているに過ぎないからです。
今にも息を引き取りそうな人がいた時、「人工呼吸器」を装着することで「迎え」を遅らせることはできるでしょう。
だからといって、以前のように笑ったり、好きな趣味に没頭できるような毎日が待っているとは限りません。
経管栄養という技術もしかりで、「延命」なのか否かは明確に結論づけることはむずかでしょう。
そんな学術的な議論の一方では、「寿命」が尽きようとしている人がいるのです。
どんな支え方をすれば理想なのかは分からないですが、利用者の弱々しい手を握って、「楽しい話」をするくらいしかできません。
「あの時のことを覚えていますか?」
その人との記憶を手繰り寄せて、ちょっとしたエピソードを二人で振り返ります。
時に微笑み、時にそっぽを向き、だけど手だけは握り合っています。
時々、思い出したようにこみちの顔を見て、吸い込まれるように目を閉じる。
思い出したように目を開いて、またこみちの顔をしっかりと見つめてくれる。
もちろんまたあの笑顔が戻ってくれたら嬉しいのですが、食事量が減り、段々と体力が落ちてくれば、目を閉じている時間だけが長くなってくるでしょう。
高齢者が集まる介護施設なので、いつかは「旅立ち」が来るのも覚悟しているつまりです。
だからこそ、こみちは自身の体力と勤務時間中は利用者の要望をできる限り応じるように努めています。
それでも、いつかは「迎え」が来て、「本当に真心こもったサービスを提供できただろうか?」と振り返りたくなります。
同僚が見せる「涙」
こみちは「人生の終末期」を割と冷静に見ています。
だから感情的に涙するよりも、安心して「旅立ている」ように今できることを尽くします。
普段は口の悪い介護士なのに、「あれ?」と思うことがあるのです。
急にみんなのいない所に姿を消して、目だけが真っ赤になって戻って来る。
中には、そんな様子に驚く同僚もいます。
それは、利用者は家族ではないですし、介護士は仕事だという感覚だからです。
実は体力が落ち、弱々しくなった利用者がコールを鳴らしてくれたことがあったのです。
「あの人だ!」
こみちは別の業務に入っていて、すぐには動けません。
気になりつつも、ひと段落して駆けつけました。
ところが「枕で押したみたい」と誤コールだったことを教えてくれた同僚がいます。
「〇〇さん、どうだった?」
「まだ元気そうだよ!」
「まだ…って」
とても難しくデリケートな問題です。
自分には手に負えないからと最初から関わらない人だっているでしょう。
それは介護士という仕事をしていても同じで、万が一、自分が関わっている時に何かあれば「報告書」を必要になる。
だからこそ、できるだけ近寄らないと口にする介護士もいるくらいです。
「本当に??」と思いますが、それは人それぞれの考え方なので、「迎えを一人で待つ人」がどれだけ心細いのかも考えたりしないのでしょう。
「寄り添い」という言葉の解釈をどう定義したとしても、こんな時に利用者に手を差し伸べられない人には「寄り添い」の意味を理解することはできません。
時々、不意に思い出したように繋いだ手をギュッと握り返してくれるのは、「紛れもなく生きている」報告です。
「今日も暑かったですね。明日も晴れるかなぁ」
言葉はほとんど出ませんが、時々表情で答えてくれます。
我々もまた、一歩ずつ「旅立ち」に向かって生きています。
「明日にでも」そんな約束もできますが、「今日」をしっかりと生きることも大切です。
サラリーマン時代は、自分のことばかり考えていましたが、介護士を始めて利用者の人生から「自分の未来」を想像するようになりました。
今日、精一杯生きただろうか?
中高年になったら、そろそろそんな意識で時間を大切に扱ってもいいでしょう。