高齢者支援と障がい者支援。そして自分の就活。

中高年からの仕事探し


こみちは中高年であり、現役の介護士です。

仕事探しで苦労した経験もありますし、自分に何ができるのかも考えています。

同年代の方なら、ある意味で共感してもらえると思っているのですが、「見つけたい仕事=誰かに役立つ」と考えた時に、仕事探しはとても困難だと気づくでしょう。

中高年からの転職では、介護をはじめとした仕事があるだけで、未経験ではかなり制約を受けながらの仕事探しになります。

逆を言えば、介護だって「未経験にも門が開かれている」というだけで、「誰でもいい」ということではありません。

実際、新人さんの中には、仕事が合わずに退職していった人もいるからです。

さらに傾向として、所有資格によって「立場」が異なり、介護系の職場では「介護士」が「ベース」となる部分を担います。

理学療法士、作業療法士などの有資格は「先生」と呼ばれ、看護師もまた「特別な処置」をしてくれる存在として、利用者から一目置かれた存在です。

「〇〇さん、立ち上がれますか?」

介護士が声掛けしても、眠そうな様子だった利用者も、先生や看護師が声掛けすると目を開きます。

無視してはいけない相手ということを、利用者も無意識に察しているかのようです。

先日、こみちは中高年からの仕事選びで、作業療法士などを目指すよりも「投資」に力を入れたいとお伝えしました。

ただ、現場で働く意味では、介護士の肩身の狭さを感じるのは事実です。

それは、看護師等に与えられる専門的な行為が、介護士には禁止されているからで、したくても資格がない以上は彼らにお願いするしかできません。

仕事が分かるに連れて、「あれもできない」「これもできない」という限界を感じてしまうのも、介護士ならではです。

だからといって、3年や4年という年数を費やして、さらには数百万円にもなる学費を投資して、中高年が看護師や理学療法士などになるメリットがどれだけあるのかという話になります。

それはつまり、「即戦力」や「未経験」と言ったキーワードで始められる仕事を中高年が探そうとすると、どうして苦戦してしまうのです。

キャリア形成をどう見据えていけるのがポイントでもあります。

高齢者支援と障がい者支援


高齢者支援でも障がい者支援でも、その方が自分らしく生きて行くには我々以上に他人からのサポートが必要です。

つまり、介護士は仕事として、どんな方法でどのような支援を担って行くのかを考えます。

もっとも、自身の仕事探しでキャリア形成が認められた時と同様に、高齢者や障がい者もどんな風に環境を整備し、自分が心地よく働けるようにするのかは簡単なことではありません。

特に障がい者の場合、得意な作業もあれば、苦手な作業もあります。

得意を活かしながらも、苦手をいかに克服できるかが課題となるのですが、我々だって苦戦した経験があって、その答えが見えている訳ではありません。

つまり、「支援したい」と考えても、自分自身のキャリアさえ伸ばせないこみちが、彼をどんな風に支えられるのかは疑問です。

高齢者支援の場合には、施設が予定を作り、それをこなすことが介護士の仕事でした。

しかし、お茶を提供するということだけでも、美味しいお茶を入れられる人もいれば、渋くて濃すぎるお茶しか入れられない人だっているのです。

それは、オムツ交換や食事の介助、レクリエーションの盛り上げ方など、様々な場面で差となって現れます。

逆に、事務的な作業は管理しやすい部分で、中堅クラスの介護士になると「それを仕事」とさえ感じたりします。

その原因は、「支援」を具現化することが難しく、簡単ではないからでしょう。

「10時にお茶を提供する」を管理するなら分かりやすいですが、利用者が満足しているかは信頼関係がないと分かりません。

小難しい知識に頼る介護士が多いのは、何だかそれが「キャリア」な感じがするからでしょう。

しかし、現場で求められるのは、日々の生活に密着したサポートです。

「〇〇をお願い!」と言われた時に、笑顔で応対できる姿なのです。

中高年が介護士を何歳まで続けられるのかを考えた時に、今以上に体力が低下すれば、当然にレスポンスは悪くなります。

そんな介護士は、他の専門職とは異なり、役割を十分には果たせません。

どんどん、「働かせてもらう」存在になっていきます。

こみちとしては、だからこそ「投資」に目を付けたのですが、アドバイザーや相談者として働けるようにならないと、将来的には中高年にとって厳しい事態になるでしょう。

障がい者の人が、自分らしく生きていくお手伝いをしたいと思う反面、もしかしたら先ずは自分自身が「自分らしく生きて」こそ、実は本当の支援ができるのかも知れません。

介護でも同じですが、相手の役に立つのは、とても難しいことだからです。

「〇〇すればいいんでしょう?」

そんな人ほど、美味しくないお茶を出してしまうからです。