やって欲しいこと。やって欲しくないこと。

介護士として感じること


この場所で告白する話でもないけれど、「こみちは音痴」なのだ。

歌を歌おうものなら、周囲から失笑が聞こえてくるほどだ。

ただ、ギターを弾くようになり、音を聴く習慣ができて、「音が合っている」ことが分かるようになってきた。

だから、介護施設で定番のカラオケでは、利用者と一緒になって「演歌」や「童謡」まで歌う。

中高年のこみちも聞いたことがないような昔の流行歌も何曲か丸覚えしたほどだ。

介護施設で行うレクリエーションは、プロの歌手が行うリサイタルとは違う。

上手い下手ではなく、一緒に楽しめたかがポイントなのだ。

その時、「昔の歌は知らない!」と若者ぶれば、利用者も楽しくない。

「YouTubeで覚えてきたけれど、全部はまだ…」くらいなら、利用者だって「じゃあ、一緒に歌いましょう!」と誘いたくなる。

せめて、それくらいは歌を覚えなければ、始まらないのだ。

ところが、先輩介護士の中には、自身の当番の時でも、後輩に役回りを押し付けたりする。

それがいけないのではなく、レクリエーションが終わった途端、押し付けたことさえ忘れて、澄ましていることだ。

面倒なことは後輩に押し付け、評価される時や上手く結果が出た時だけ、急にしゃしゃり出てくるから達が悪い。

自分で経験しなければできるようにはならない。

しかし、時間がない時や、危険が迫っている時などは、経験豊富な先輩が示しをつけてくれると嬉しい。

でも、この頃は損をしないように面倒なことから避けるような働き方が目について、職場がとても楽しくない。

怒りだす利用者を見ても、無反応を決め込み、声を掛けもしない。

結局、後輩介護士が動くことになり、利用者からの不満を聞き、なだめることに追われる。

こんな介護支援がしたい!


壮大な理想を掲げているつもりはない。

それでも利用者が満足して嬉しそうな表情を浮かべていると介護士としても楽しいし、嬉しい。

なのに、効率を考えて負担を減らすことばかり気にして、動かない介護士が増えてきた。

先ず、そんな環境で働いていても、介護のスキルが身につくとは思えない。

利用者との関わりはとても楽しいのに、介護士同士の連携が上手くいかなくて、個人プレーになっている。

単純に個人プレーという意味ではなく、それぞれが目指す「介護支援」を提供している感じなのだ。

例えば、最初に伝えたカラオケなら、曲入りを流して手拍子するだけなのだ。

中には歌う利用者もいるけれど、みんなで歌うというよりも、好きに時間を過ごしているという雰囲気だ。

もちろん、全く参加しないでその場で目を閉じてしまう人や、途中で退席してしまう人もいる。

空席が増えて、少し白けた感じで終わったレクリエーションほど、力が抜けてしまうことはない。

司会を務めた介護士は、ある意味でそれでも持ち時間を全うしたというだろう。

「それが介護のレクなのだ!」というかも知れない。

ただ、どうするべきかを介護士同士が協力し合って考えるような雰囲気もないから、きっと放っておけばそんなレクリエーションばかりが続くのだろう。

こうなってしまうと、こみち自身の介護技術は、他人から見て学ぶしかできなくなる。

楽しそうに介護しているというよりも、「仕事だから仕方ない」という印象が強いから、こみちとしても聞きにくいのだ。

「もっと楽しくできないだろうか?」

そのためには、歌詞くらいは覚えるべきだし、簡単な歌なら歌えた方がいい。

実際、こみちが利用者の隣で歌うと、一緒に歌い出すことが多い。

認知機能の低下した利用者でも、リズムを感じ取り、身体を揺すったり、微笑んだりするからだ。

そんな光景もないまま、時間だけが過ぎた今回のレクリエーションを見て、やり方1つでこんなにも違うものだろうかと思ってしまった。

こみちだって最初から上手くできた訳ではない。

どうしたらみんなと楽しめるだろうと考えて、曲を聴き、自分でも歌ってみたのだ。

ちょっと欲張り過ぎるのだろうか。

でも、カラオケレクを楽しみにしている利用者を知っているから、余計に楽しくないものにはしたくない。

別の人がしている様子を見て、何だかちょっと醒めてしまった部分もあった。