介護は男の仕事?女の仕事?
介護施設では、もちろん利用者に対して介護サービスを提供しています。
しかしそれだが仕事ではありません。
例えば、備品の修理や屋外の草刈り、室内の装飾を変えるなども施設によっては含まれるでしょう。
これらの仕事を外注に任せているケースもありますが、男性介護士が優先的に担当することも少なくありません。
こみち自身、鉄パイプとクランプを組み合わせて、工作物を作るような仕事もしたことがあります。
必要な材料をトラックに積み込むところから作業するのでヘルメットを装着も不可欠です。
その際に求めれれるのは、「安全」であることに変わりはありません。
しかし、店員をする時に求められるような「品格」よりも、「事故防止」が優先される作業です。
一方で、長さ2メートルくらいの鉄パイプや脚立くらいなら、真ん中あたりを肩に担いで一人で運搬することが基本でしょう。
それは業界によっての「基本」があるからです。
先日、介護施設で働いていた時、「危ないよ!」と別の介護士が駆け寄ってきました。
何事かとおもったら、こみちが脚立を担いで、もう片手で台車を押していたからです。
こみちとしては工事現場でも頻繁に、しかもそんなことを当たり前に行っていました。
実際、工事現場なら命綱こそ付けますが地上数メートルの高さで、身を乗り出しながらパイプを組み合わせていく作業もあったからです。
「危ない。危ない」
「ありがとうございます」
駆けつけた人が脚立を運んでくれたのですが、ふらふらとしているので、逆に見ているこみちの方が心配になってしまいました。
今や、男性女性という考え方で判断する時代ではありません。
しかし、介護施設という場所では、自分の当たり前では作業できないのかも知れないと思いました。
利用者は物ではありません。
持ち上げられるからと言って、一人での介助が適さない場合もあります。
それは、店員に求められる「品格」同様に、「利用者の心地よさ」に配慮が必要だからです。
つまり、一般的な介護士が行わないような「量」を動かすような場合、すぐさま「危険」と見えてしまうのかも知れません。
こみちが介護未経験から入職したことは、このブログでも何度か触れて来たように思います。
今までの経験を披露して周囲から認められたいというよりも、施設で勤務するベテラン介護士からその知識や技術、その他のこだわりなどを学ばせてもらいたいのが本音です。
だから、職場では「こんな経験があります!」と介護以外のアピールは全くと言っていいほどしません。
特に、プランニング的な分野に於いては、口出しもしないと決めているほどです。
新しく代わった介護施設長が、敷地内の一角で家庭菜園のようなことを始めました。
ホームセンターで買って来た木製のベンチが配置され、利用者が訪れることもできる仕掛けです。
ただ実際のところ、木製ベンチも手入れしなければ雨ざらしにするとすぐに座れないほど汚くなってしまいます。
もしも菜園脇にちょっとしたスペースを作りたいのであれば、日除けも考えて屋根を付けるべきでしょうし、実際の使い方を考えると「花壇」でもなければそんなに長時間も眺めても面白くありません。
こみちなら屋根まで設置しないのなら、移動可能な椅子を使うと思います。
利用者が来る時に用意して、土の匂いや実った野菜などを触ってくれたらと思うからです。
しかし、家庭菜園も始める前とあとではイメージが違うでしょう。
それでも、何もしなければ始まらないので、試みはとても良いことだと思います。
異業種から介護業界へ。そしてまた異業種を見てみる!?
ある意味でこみちの中で「介護」が飽和し始めたように思います。
他の介護士を観察しても、優れた部分には感心もしますが、それも何度も見てきた光景に過ぎません。
というのも、介護現場では「繰り返し」が求められるからです。
しかもそれは、目に見えるようなこともありますが、多くは見えない部分で、しかもそこに「介護力」の差が生まれます。
こみち自身、自分が介護される時を想像しながら利用者に接しています。
利用者の気持ちになれないのなら、「こんな時は自分だったどうして欲しいだろう?」と考えるのです。
疲れて横になりたい時に、あれこれと話し掛けられると怒りたくなるでしょう。
仮に親しい相手だったとしても同じことです。
「どうして? いつも優しくしているでしょう!?」
何を勘違いしているのか、ある介護士が疲れた表情の利用者にしつこく迫っています。
自分は特別アピールをしたいのかも知れませんが、そのこだわりにちょっと「飽きて」しまいました。
以前なら、そんなことも含めて新鮮な光景でしたが、現状を変えないで問題を残したまま「繰り返す」だけの職場に、ある意味でお腹がいっぱいなのです。
目先の段階になった小手先の対処をするというパターンではなく、利用者の生活をもっとじっくり観察して、寄り添えないかと思うのです。
最近、騒ぎ立てる利用者の多くが、居室でしばらく話をしていると落ち着くことに気づきました。
つまり、話を聞いてくれないことも利用者の不満になっているのです。
なぜ話を聞かないのかというと、介護士がコントロールできなくなると思っているからでしょう。
また、利用者に言われて応対するよりも、介護士から提供して受け取らせる方がポジション的にも優位だからです。
例えば、営業マンなら売上でしょうし、工事現場なら責任を取れる人が、結果を示すことで優先なポジションを得ています。
しかし先にも紹介したように、介護現場では大半のことが見えません。
見えるようなことは「事故報告書」レベルの大問題なのです。
つまり、利用者と介護士のポジションをどう設定するべきかは、介護施設が考える基本的な方針でしょう。
利用者目線を掲げるなら、徹底的に利用者優先を実践すればいいと思うのです。
それでも、利用者の言いなりになるということではありませんし、利用者だって何でも言い出すとは限りません。
それこそ、利用者優先を実現するために「介護方針」を打ち出すことだってできるでしょう。
先ほど紹介した「家庭菜園」がどんな目的で始めたのかは分かりません。
しかし、利用者と介護士の関係を再考しようとして、そんな一手を打ったのなら期待もできますが、施設長として何をすれば良いのか変わらずに、持て余した時間を使うためだけに始めたのなら、結局は利用者の扱いは変わらなままでしょう。
利用者が「もうこんな施設の暮らしは嫌だよ」と訴えるのはなぜでしょうか。
利用者の中には子どもたちが受け取りと拒否し、施設に入所させているケースもあります。
利用者はなぜ施設で暮らしているのかも分かっているでしょう。
弱ってきて自分の身体を感じるだけに、我々が想像する以上にやるせなさもあるはずです。
介護士や介護施設にできることには限界があります。
しかし、それでももう一歩利用者に歩み寄る努力はできるでしょう。
話を聞くことも、わがままを宥めることもせずに「迷惑です!」と怒る様子を見ていると、その介護士が骨を折っている姿を見たことないと気づきます。
ある意味では、個々の介護士が気付くべきですが、気づかないなら施設で見直す課題でしょう。
しかし、例えば施設長が日頃から現場で介護士と一緒に働いていないと、本音を知ることはできません。
利用者についても同様で、改善して欲しいことを明確に告げられる方が少ないからです。
どうしてもこみちなら、そんなケアで十分なのか、改善できないのかが気になるわけです。
営業マンとしていた時も、広告制作をしていた時も、原点はクライアントの要望から始まったからです。
どちらかと言うと、今は現場で介護支援の技術だけを学び、寄り添いはこれまでの経験で対処しています。
寄り添いでは、利用者からいろんな話を聞くこともできましたし、それを他の介護士も知っていると思っていた時期もありました。
しかし、多くの介護士は利用者の悩みを知りません。
そこまで関心がないのか、こみちよりも感覚が異なるようです。
利用者との触れ合いは楽しいものの、他の介護士と話をしてもトーンダウンすることが増えました。
こみちが望むような「介護」とは異なるからかも知れません。
見えない部分をどう埋めていくのか?
そこが難しくもあり、やりがいだと思うのですが。