利用者との信頼関係

利用者の満足度をいかに高めるか?


介護施設に入所している利用者の一人は、もう90代です。

数ヶ月前まではシルバーカーを押せば200メートル以上も歩くことができました。

排せつに関しても、介護士の誘導があればトイレを使うこともできたくらいです。

ところが、あるきっかけを境にしてADLが低下し、飲み込みも悪くなり、オムツの着用も避けられない状況です。

何よりも以前は介護士とも会話できましたが、今は何かを話してくれるものの、何を言っているのか分からない介護士も多くなりました。

時間が少しできたので、壁に以前利用者たちが創作した絵などを貼り付けようと、作品やテープ、イスなどを準備し始めた時です。

その利用者が、こみちに向かって手招きしています。

そんなことをしてくれたのは、最近ではほとんどなかったことで、「どうしたの?」と近づいてみました。

「落ちないように注意しなさい!」

モゴモゴとしていましたが、はっきりと言っている内容を聞き取れました。

「ありがとうございます」

こみちが笑顔で応えると、利用者が頷いてくれました。

これは別の利用者の話です。

ある日、勤務を終えて同僚に「帰るね」と伝えている時でした。

ある寝たきりの利用者の部屋を訪れて、「〇〇さん、明日はお風呂ですよ。一緒に入りましょうね!」とこみちが伝えました。

普段、その方が介護士と話をするのはとても珍しいこと。

こみちも返事を期待していたつもりはありませんでした。

ところが「楽しみ待っています」と、これまたはっきり話してくれました。

「〇〇さん、嬉しいです。明日、キレイになりましょう!」と伝え、こみちは嬉しくて利用者の肩を優しく摩りました。

すると、利用者の表情が柔らかくなり、微笑んでいるように見えたのです。

トイレ誘導は誰がするべきか?


別の利用者は、とても頻尿です。

尿意がある時は、10分とか15分くらいの間隔で、「トイレ」というのです。

一方で、その利用者は軽い認知機能の低下も見られますが、しっかりと考えられる部分も持っています。

その証拠に、「いつも申し訳ない」とか、「人の手を煩わせる自分が情けない」と溢します。

ところが、トイレに連れて行かないと介護士が言うと、「家に帰る!」「こんな施設を出て行く!」「年寄りだとバカにしている!」などと激しく叫びます。

確かに、心身機能が低下すると、自分でしたくてもできなくなります。

トイレにも一人では行けないのですから、本当に面倒なことでしょう。

そして、「トイレに行きたい」と言っても、介護士は何かと理由を見つけては連れて行ってくれません。

実際、その方のトイレ誘導はとても大変で、しかもリスクも高く、介護士としてはかなり覚悟して望む作業です。

そんな状況なので、10分や15分ごとに「トイレ」と言うのは、大きな負担になっています。

しかも、介護士の中には消えないふりや無視、中には「トイレ。トイレっていい加減にして!!」と言い返す人までいます。

ここで、これから介護士として働きたいと考える人にも想像してもらいたいのですが、「利用者の生きがい」は誰が守るべきなのでしょうか。

中にははっきりと、「だったら退所すれば?」と迫る介護士もいます。

そこはつまり、ケアプランの記載に従うことになるのですが、例えば「健康的な生活を維持する」ことが目標となっていた場合に、どこまでトイレ誘導が実施されるべきでしょうか。

そこは介護士の見解によってバラツキが出る部分ですし、実際、介護士の報酬と言う意味では、頻繁のトイレ誘導は重労働です。

こみちとしては、勤務中、できる限り誘導を心がけています。

しかし、拒絶する介護士はますます無視するようになり、逆にこみちが休みの日はどんな風になっているのかと心配になるほどです。

少し耳に挟んで話では、こみちが休日の日、利用者の不穏が激しく、「物取られ」の訴えまで起こります。

しかもそれは、普段からそんな傾向にない人が、「ここにあったはずの物がない!」と言い出すそうです。

実際のところは分かりませんが、「介護支援」がとても微妙なバランスで成り立っていることを感じさせます。

「利用者の要望など応えてられない!」というのも介護方針でしょう。

「利用者の要望にできる限り対応しよう!」というのも介護方針なのです。

介護士を仕事として考えると、「楽に勤務できたら嬉しいのは誰にでも言えること」でしょう。

しかし、利用者が無表情で、とてもつまらなさそうにしていたらどうでしょうか。

そんな年寄りなのだから仕方ないと言えるのかがポイントです。

なぜなら、我々だってあと20年から30年後には「施設に入所」しているかもしてません。

若い人に介護されて、「何度も言わないで!」と怒られることもあるでしょう。

「トイレに行きたいって言っただけなのに」

かと言って、勝手に動こうものなら「〇〇さん、危ないでしょう!!」とまた元の場所まで戻されるのです。

その場で目を閉じていることくらいしかできません。

迎えが来るまで、こんな毎日なのかと思うとやるせなくなるでしょう。

だからこそ、こみちとしては面倒でもトイレ誘導をします。

究極の介護サービスとは?


24時間365日は難しいですが、せめて出勤して手が空いている時なら、できる限り対応したいのです。

ある意味で、これは究極の介護サービスとなるでしょう。

特別なことをする必要はなく、その利用者が望むことをすぐにしてあげられたら、それは究極の介護サービスです。

以前はもっと特別なことを想像していたのですが、そんなことを利用者は望んでいません。

多くの方は、介護士が親身に話を聞いてくれて、ちょっとしたお願いを笑顔でして欲しいのです。

ある利用者の食事を介助している時、その利用者がとても嬉しそうに笑ってくれます。

今日の介助でもそうでした。

「美味しいですか?」

「美味しい!」

そして、笑ってくれます。

きっと、それで良いのだと思うのです。

今から未経験の何かをマスターしたいわけでもないでしょうし、苦痛な時間や退屈な時間を過ごしたいとも思っていません。

「幸せだなぁ」という時間が長いほど良いからです。

美味しいお茶を飲めばホッとできますが、渋くて濃すぎるお茶では飲む気もしません。

介護士がそんなことにも気づかないで、「なんで飲まない!」と怒るのは筋違いでしょう。