ある利用者の切実な訴え!?
こみちが働く老健には、80代以上の高齢者が多いように感じます。
中には要介護「1」の経度に分類される人もいますが、自宅での介護が難しくなる「3」以上が大半です。
介護現場でも、要介護「5」だけを見て、大変そうだとは思いません。
実際、最近入所された利用者も「5」ですが、初対面で挨拶をして、数時間後には他の利用者と変わらない存在になりました。
入所と退所が頻繁にあるからかも知れません。
「お世話になりました」
そう言って、嬉しそうに施設を後にする人を何人も見送っています。
一方で、容体が急変し、意識不明のような状態になってしまう利用者もいるのが介護施設という場所です。
昨日も、緊急入院という事態となり、慌ただしく荷物をまとめて病院に移動された利用者がいました。
その人は、夜間帯にベッドからずり落ちたことで足に痛みを訴えていたそうです。
日ごろから接点がある利用者ですが、こみち自身が直接対応することなく、気づいた時には看護師と一緒に病院へと搬送されました。
入院という話でしたが、骨折、打撲等の症状もなく、痛みは利用者自身のショック性によるものと判断され、数時間後には施設へと戻って来たのです。
無事に帰って来たことに安堵する一方で、利用者の健康状態がどれほど絶妙なバランスで保たれているのかも感じます。
というのは、戻ってきた利用者は搬送や検査による疲れもあって、呼びかけも反応が薄い状態です。
しばらくは休んでもらおうと、声を掛けることも控え、定期的に様子を確認するだけにしました。
丸々ように見える寝姿で、その表情はいつもように穏やかではありません。
口もとをギュッと結び、苦痛にでも耐えているかのようです。
入所する利用者の多くが、そんな表情を見せたことがあります。
しかし、ある時をきっかけに「笑顔」が戻ってきます。
ただ、少ない確率ではありますが、「再入院」や「緊急搬送」ということも起こり得るのです。
一度は「お別れ」を覚悟し、それでも「再入所」という運びを迎える利用者もいれば、そのまま経緯を知ることなく「どうしているだろうか?」という方もいます。
もちろん、どうなったのかを確認できないこともありません。
しかし、こみち自身は、業務上、耳に入らない情報を詮索してまで聞かないようにしているので、知らないままになっている話も少なくないのです。
普段は特に変わった様子を感じないのに、「あれ?」と思う利用者がいます。
何人も「卒業」を見てきたことで、こみち自身が「気配」を感じるようになったのかも知れません。
明らかに半年前とは覇気が違いますし、3ヶ月前と比べても元気がなくなって来たように思うからです。
しかも最近は、「もう先が長くない」と繰り返すようになりました。
それを聞いて、「ボケている」とか「意味不明な話」として捉えている介護士もいますが、「卒業」が迫って来たことを利用者自身が感じているのかも知れません。
「卒業」した利用者のことを、入所中の利用者たちはどこからか気づくようです。
中には「〇〇さん、見かけないけどどうしたの?」と質問する利用者もいます。
「検査入院」などは、普段から耳にするので、「検査かな!?」と想像するのでしょう。
実情を知る利用者の中には、「私はいつなのかなぁ?」と呟く人もいます。
80代以上の高齢者なので、「卒業」がいつ来るのかは本当に分からない話だからです。
先日、別の施設へと移動された利用者がいましたが、その部屋には別の利用者が既に入室されていて、むしろそこ部屋にいるのが当たり前になっています。
こみち自身は、「向こうでも元気にしているだろうか?」と考えることもありますが、高齢者の未来は誰にも予想できません。
確率としては異なりますが、我々中高年の年代でも、未来の予測は若い年代とは比較にならないほど不安定です。
日々の健康に感謝するべきでしょうし、働けることに幸せを感じてもおかしくありません。
いつ、急に未来が変わり、昨日までとは異なる生活になるとも限らないからです、
施設にいる利用者を見ていると、半年も先の話をしている方を知りません。
1ヶ月先でもどうでしょうか。
特に要介護5くらいの利用者となれば、「その日」を大切にしているようにさえ感じます。
「わがまま」は聞き入れたらキリがない。
そんな考え方もあるでしょう。
しかし、こみちとしては「わがまま」で何が悪いのかと思うのです。
というのも、彼らの「わがまま」は、我々が思うようなものではありません。
「トイレに行きたい」とか、「髪を切って欲しい」のような不快感を取り除く内容がほとんどです。
さらに言えば、「わがまま」を聞き入れられる人も多くはないでしょう。
つまり、「わがまま」など聞いてられないと思って、介護士でさえ早々と「拒絶」を示すからです。
利用者よりも先に介護士の方が「我を通す」くらいです。
徹底的に「わがまま」を聞いてみるのもありではないでしょうか。
それでも、「無理」と根をあげる介護士が出て来るはずです。
利用者支援を考える時に、「利用者のわがままを許さない」という風潮を耳にしますが、意識的に行動しているこみちでさえ、利用者の要望の半分も応えられていません。
逆を言えば、本気になったつもりでも、人ができることなど僅かなものなのです。
ある意味、「本気」になったことがない人ほど、「本気」を簡単に使うでしょうし、こみちが思うに1年間「本気」を貫くたら「一流大学」だって合格できたと思います。
会社ではトップの成績を残せたでしょうし、昇進も同期の中で一番かも知れません。
でもそれほどはみんな頑張りきれないから、計画を立てて自分なりのペースを掴むのです。
いろんな利用者から相談を受けますが、実現できる内容もあれば、話を聞いてあげるしかできないこともあります。
「今すぐしよう!」と言ってあげられたらいいのですが、「そうですねぇ」「楽しみですね」としか言ってあげられないことも多いのです。
特に、自分の存在を否定された言葉ほど、人は傷つくでしょう。
「そんなわがままを言わないで!」
介護士なら何気なく使ってしまいそうですが、とても利用者を傷つける言葉です。
なぜなら、自分の想いを口にしたことが「わがまま」だと言われたうえに、自分自身の存在を「迷惑」に感じられていると思ってしまうからです。
それなら、「〇〇さんの希望は分かるけれど、今すぐは難しいですね。こちらでも確認してみますので、お時間をいただけませんか?」と説明するべきでしょう。
それでも騒ぎ立てたという段階になって、「〇〇さん、それは一方的な話ですね」となるのです。
すべての利用者が状況判断ができるわけでもないですし、そんな事務的な応対を求めているとも限りません。
「すいません。連絡をとっているのですが…」
本来なら話の筋は通っていなくても、なんとなく「自分の話に応対してくれている」ということも利用者には大切だったりすることもあるでしょう。
訴えのどの部分を汲み取り、応対のテーマにするのかも介護士の仕事となります。