介護と医療の境界線
あるドキュメンタリー番組で、心療内科の医師が奮闘する様子を紹介していました。
いろんなことで悩む人が、先生のもとを訪れます。
先生は、それぞれの患者に合わせたアプローチで、この人が抱えている「悩み」を聞き出し、寄り添うのです。
時にはそんな先生でも対応できない緊急性の高い患者もいて、入院を勧めるというのですが、結果的には入院を拒んだだけでなく、二度と先生の前に姿を見せなくなりました。
そんなドキュメンタリー番組を介護士という目線で観ていると、「介護と医療」は似ているようで異なる役割を持っていると感じます。
心のケアをするには、専門教育を受けた医師でも大変なのだと分かります。
まして、介護士として教えられた知識は必要なことばかりでも、十分と呼べる量ではありません。
やはり「人」に寄り添うことの限界と、奥深さに気づかされます。
高齢者だけではなく、幅広い年代で心のケアを求める人がいます。
就労中のストレスや、私生活でのトラブルなど、昨日までは自身も気づかなかったきっかけで、人は心の調子を崩してしまうことがあります。
それは、これまで順調だった人ほど、突然の出来事で自身をコントロールできなくなってしまうこともあるそうです。
例えば、職場ではいろんな先輩や同僚がいます。
本人のことを思って言ったつもりでも、その言葉のチョイス次第では別の意味に感られることだって十分に起こり得ます。
まして、言葉の専門家でもなければ、ちょっとした「差」でこんなにも相手を苦しめるとは考えないのかもしれません。
「何だ、そんな風に感じていたなんて…」
それほど、人間関係を保つことは当たり前ではなく、相互の理解や歩み寄りが不可欠です。
きっと、介護の現場でも同じことで、介護士だけでも利用者だけでもことは上手く進まず、両者が互いをフォローする関係があるからこそ、「良い介護」になるのでしょう。
特に、オムツ交換などの介護技術の部分とは異なり、心のケアは「自分本位」では上手くいきません。
まして、経験豊富な先輩介護士でも、対応できないケースがあるのは当然です。
介護士と利用者で補えないことは、別の介護士や施設もいっしょになって、気持ちを共有することで改善させる他ないでしょう。
高齢者の介護
病院や事故など、人が生きていればいろんな出来事に遭遇します。
良いこともたくさんあるのでしょうが、望まないことに苦しむことだってあり得ます。
そんな時にどう事態を受け止め、自分なりに対処していけるのかは、とても難しいことですし、時には何度も悩んだりするでしょう。
誰かに話たい時もあれば、誰とも会いたくない気持ちになることもあって、そんな時間を過ごしながら人は1日を過ごしていきます。
つまり、高齢者の介護でも、加齢だけが介護のきっかけではないことが分かるでしょう。
介護サービスはもちろん、医療や医学的な支援を受けなければいけない時があるのです。
ある利用者は、自宅に帰ることができそうにありません。
身体的回復だけなく、家族からの支援が継続的には受けられないからです。
そんな時に、回復を目指し、それを支えたい介護士には、「現実」が虚しく思えることだってあります。
しかし、「今を生きられている」ことも、実は特別で、少しも当たりまではありません。
つまり、介護士としてある限られた範囲で、利用者の支援ができることに感謝するべきでしょう。
なぜなら、どんなに親しい利用者でも家族からの申し出があれば別の施設に移ることもありますし、容態が急変すれば介護施設ではなく医療機関に移されることになるからです。
何らかの理由から笑いたくても笑えなくなった利用者がいれば、日々のふれ合いを通じて介護士はいっしょに時を過ごします。
心療内科の医師でも、日々の診療ではいろいろと悩みながら診察に当たっているのですから、介護士が多くことをできなかったとしてもそこに心苦しさを感じるべきではないのでしょう。
むしろ、できることを精一杯に提供できるように働きかけれらた、それで良いのだと思うのです。
介護サービスを相手に合わせて提供する難しさに気づけたら、介護士としても今までとは異なる視線でサービス提供に努められるでしょう。