ある先輩の介助方法を見て
人間の欲求は、さまざまな形で現れます。
施設で暮らす高齢者はもちろん、我々もまた性格やこだわりが異なります。
そんな中で、ある先輩介護士が眠気を感じウトウトし始めた利用者のもとに歩み寄りました。
「〇〇さん、トイレに行きましょう!」
「エエ、何?」
利用者には軽い認知症があり、介護士とのコミュニケーションが明瞭ではありません。
「さぁさぁ!」
両手を取り持ち引き上げるようにすると、渋っていた利用者が立ち上がりました。
実はこみち、その利用者の傍らで一連の行為を目撃していたのです。
というのも、こみちがその利用者に「トイレに行きませんか?」と話しかけ、「あのねぇ〜。娘が来るんだよ」と大好きな家族のことを話し出します。
「違うよ。トイレに行きませんか?」
「嗚呼〜、そう。でもネェ」
認知機能の低下が見られるので、確かに介護士の方でコントロールも必要です。
ですが未だに、こみちはその利用者がトイレに行きたいのを我慢した姿を知りません。
「トイレに行きますか?」と言えば、本当に行きたい時はちゃんと自分から動き出していたからです。
さらに、利用者はこみちに促されて一度は立ち上がったものの、そもまま座り込み両腕を組んで眠気と戦っています。
そんな時は、単純にこみちは無理にトイレに連れて行きたくないのです。
利用者との会話の中で、「あとにしよう」という想いが強まっていました。
「これで行けるでしょう?」
利用者を自分の思う通りにコントロールした誇らしげな先輩介護士がいたのです。
実はこみち、その先輩介護士が苦手です。
しかしながら、先輩は何かと世話を焼いてくれます。
以前までは、「マウント意識」が強いのだと思っていたのですが、どうやら単純に世話焼きなのだと思い始めたのです。
もっとも、周囲に他の介護士がいて、その場で自身の優位性を誇示できる時に限って「世話焼き」になるので、マウントなのか世話焼きなのか分かりませんが根底の心理は共通しているのでしょう。
ただ、その先輩介護士の「逃げ腰」を何度も見ていて、無理やりの介助が原因で利用者が怒り出してしまった時には介助を放棄して立ち去ったこともあります。
また、厳しいと評判の看護師を見ていつの間にか居なくなったりと、肝心な時に頼れないことも変わりません。
だからといって、「こういう時ばかりですね!」とその自慢顔につまらないひと言をほどの対抗心も芽生えそうにないのです。
結果として、自慢顔の先輩がしてくれた「トス」を受け取り、ヨタヨタ歩く利用者をトイレに連れて行きました。
「〇〇さん、トイレですよ! 出るかなぁ?」
便座に腰掛けたものの、まだ落ち着かない様子でソワソワしています。
「トイレですよ。出ませんか?」
最終的には、少し出ました。
でも今でなくても良かったと言う感じです。
利用者を連れてもとの場所に戻れば、もう先輩介護士も他の介護士もいません。
利用者が用を済ませたのかは誰も関心がないことです。
認知機能が低下した利用者をどう評価するべきか?
介護士としてこみちが心得て来たのは、分け隔てのない応対です。
ある利用者にできることは、別の利用者にもします。
逆に、できないことは、相手が誰でも行いません。
先のトイレ誘導の場面では、意識のはっきりした利用者に「トイレ行きませんか?」と訊ねれば、「まだ良いです!」とはっきり断られるでしょう。
そんな利用者に「トイレ行きましょう!」と再三迫れば、「もういい加減にしてよ!」と怒鳴り出すに違いありません。
その意味でも、こみちが利用者をコントロールすることにこだわりがないのです。
つまり、認知機能の低下した利用者が立ち上がるのを渋れば、少し時間をおけば良いと思うのです。
無理やりなのか、コントロール上手なのかは、見解の分かれるところでしょう。
特に夜勤帯などで効率を重視した介助を行う場合、利用者の意識をあまりに尊重した介助が難しくなることもあります。
しかしそれは、人数の少ない時に使えるばいい話で、介護士のコントロール上手を誇るべきかは別問題でしょう。
なぜこみちがそこまで張り得ないのかと言うと、単純に介護が詰まらなくなるからです。
介護は利用者を操るためにあるものではありませんし、そんな風に接すれば利用者の表情も僅かにでも変化するはずです。
「今日もお願いしますね!」
そんな利用者たちからの声は、やはりこみちに今まで同様の介助を求めているからだと思うのです。
「もう帰るのね。今日もお疲れ様でした!」
利用者からの労いもあって、介護という仕事にやりがいを感じています。
「あの利用者は…」
そんな目で、欠点を見つけて自身の優位性を誇示するくらいなら、別の仕事を選んでもいいでしょう。
先輩介護士にもやり方やこだわりがあるはずで、それを否定するつもりもないですし、こみちに見せることで参考にできる部分もたくさんあります。
それを自分自身のスキルにするかは、最終的にこみちの判断でしょう。
要らないと思えば左から右に流せばいいことで、自分自身の介護方法をブらせる必要もないからです。
こみちがもっとも信頼しているベテラン介護士の場合、利用者に無理を強いるという場面を見たことがありません。
そもそも、そんな状況にはならないからです。
そう考えると、介護士がコントロールできるか否かというのは「必須のスキル」ではなく、現場を回すためのテクニックなのでしょう。
介護経験者のみなさんは、コントロールすることにこだわりを持つものなのでしょうか。
余談
こみちが別件でフロアを移動していると、別エリアの利用者が近づいてきました。
その利用者が認知症で、時々、いろんな場所まで抜け出す姿を知っています。
「ちょっと、ちょっと!」
こみちの前方を塞ぐように車イスを止めて、手を差し出します。
「どうしました?」
こみちは利用者の前に身を屈めて、顔を近づけます。
「貴方、お医者さん?」
「いいえ、違いますよ!」
「あらそうなの」
「どうしましたか?」
なぜなのか分かりませんが、利用者がこみちの手をギュッと握って離さないのです。
「お医者さんじゃないの?」
「違いますよ」
会話はとても短いものですが、その際に「手を握ること」が介護だと思っています。
「またあとでね!」
「もう行くの?」
「ごめんね」
握り締めた手の甲を優しく摩ると、利用者が笑顔を見せてくれました。
こみちがコントロールした訳ではなく、利用者がどこかで安心して満足してくれたからです。
それで十分ではないかと思うのです。
どうにも困ったという時に、懸命に知恵を絞って対応すれば良いことで、それ以上の自己顕示など求められていません。