ある利用者からの訴え

「心が壊れてしまう」


こみちは、介護施設に勤務する介護士です。

原則的なことを言えば、個々の利用者に作られたケアプランに基づいて「介護サービス」を提供しています。

また、勤務している部署がユニットケアを提供することもあり、限られた利用者の細かなニーズにも対応することがモットーです。

飲み物の種類や温度管理などはもちろんですが、「すいません!」と利用者が訴えた時に「どうしましたか?」と駆けつけるように心掛けています。

介護現場を知っている人なら、それがとても難しいことだと分かってもらえるでしょう。

施設で働く介護士は、常にスケジュール管理されていて、個々の利用者の個別対応など手が回らないからです。

それでも、こみちはスケジュールで決められた業務を済ませたら、利用者の対応に付きます。

適切な表現ではありませんが、スケジュールに示された仕事だけをこなしていても、「介護」にはなりません。

つまり、スケジュールをこなすことさえ難しい現場の介護士にとって、「介護」を行うためには「さらに一歩」が必要なのです。

場合によっては、その「一歩」が出せない人や、「一歩」が介護であることにも気づいていないでしょう。

時間通りにスケジュールが進行して、時間が来たら仕事を終えて帰宅する。

それを「介護業務」と考える人もいるはずです。

最近、こみちの配属先である「ユニット」の出入り口に、他部署の利用者が訪れるようになりました。

多い時には3人とか4人とか、ガラス戸の外から様子を観察しているのです。

以前にも認知機能が低下した利用者が入って来て、「帰りたくないの」と言い出したことがあります。

他部署の介護士に連絡して迎えに来てもらうこともありました。

「ユニット」が提供している「介護サービス」は他部署とは異なります。

何が違うのかというと、「あと一歩」を心掛けていることです。

「どうしましたか?」

他部署の介護士に比べて、ユニットの介護士は笑顔で応じます。

「帰りたくないの?」

「アラ、どうして?」

別の時には、「私、ここ(ユニット)を希望していたんです」という利用者がいました。

「でも、空きがなくて…」

「そうなんですね」

その時も利用者は一生懸命に思いを語ってくれます。

「心が壊れてしまいそうなんです」

「心がですか? それはどうして?」

ここからは少し言葉を濁しますが、他部署で提供する「サービス」に満足していないようでした。

それはとてもデリケートな問題で、「あと一歩」にも深く関わる部分です。

つまり、時間に追われた介護士というのは、利用者に提供することでいっぱいになっています。

「あと一歩」の時間が与えられたとしても、どんな一歩を踏み出せば良いのか戸惑ってしまうのです。

「寄り添い」とか「傾聴」という聴き慣れた言葉ではありますが、「心が壊れてしまいそうなんです」と訴えられた時にどんなケアをするでしょうか。

1つ言えるのは、「笑顔」や「愛想」の良し悪しは関係ありません。

つまり、「寄り添い」をする時、人の表情が大切なのではなくて、心をどう繋げていくのかがポイントです。

しかしながら、「分かりますよ。苦しんですね!」と教科書的な「共感」では汲み取れないこともたくさんあります。

感覚的には数分でしたが、実際には10分とか15分くらいその利用者の話を聞いたかも知れません。

「ユニットに来られると良いですね!」

「ありがとうございました」

その利用者がとても理路整然と話されることや、配属先の介護士を含めた周囲の人からどんな風に見られているのかなど、こみちにすれば「ユニット」なら対応できるのにと思いました。

実際、精神的に不安定な利用者もいますが、以前よりも症状は治まっていますし、最近では笑顔で歌ったり話をしてくれたりと、その利用者が来るまで忘れていたくらいです。

介護サービスを具現化する難しさ


ユニットに入所するには、他部署に入るよりも割高な料金となっています。

月額で5万くらい違うのではないかと思います。

その分、利用者あたりに付く介護士の人数も多いですし、利用者から評判が悪いと判断されると他部署に異動となることもあります。

こみち自身、介護技術が優れている介護士ではなく、平均かそれ以下のレベルだとわかっています。

ただ、利用者の話には耳を傾けますし、その人の「世界観」に触れられる工夫もしています。

事実、介護士として現場作業するよりも、いろんな悩みえお抱えた利用者と向き合って「相談員」になりたいと思ってきたほどです。

通常よりも割高なサービス料を支払うことに、どんな差別化を提供できるでしょうか。

最初に断っておきますが、こみちの考え方であって、それが唯一の正解だとは思いません。

しかし、「心が壊れてしまいそうなんです」と教えてくれた利用者に、どんなケアが必要なのかを考えることも「介護」だと思っています。

場合によっては、ケアマネの作ったケアプランには書かれていないことかも知れません。

だからといって、介護士は避けて通りべきではないのです。

ただ注意したいのは、「自分の価値観や考え方」を押し付けないこと。

多分、それは初任者研修や実務者研修で学んだことではなく、これまでの仕事や職歴から身につけたこみちなりの「対処法」だと思います。

直感的なことで言えば、悩みを教えてくれた利用者もユニットにくれば「笑顔」が戻って来るでしょう。

時々、ユニットの出入り口から様子を見ている利用者たちも、どこか直感的に「ユニットなら…」と思ってくれているのではないでしょうか。

本来なら、他部署でも同じことができたら良いはずですが、それができない原因があるとすれば、施設全体で「介護」について考えをすれ合わせていないからでしょう。

決められた作業をするという受け身の姿勢では、「意見」をいうこともできません。

「どこに疑問があって、どんな風にすれば解決できるのか」を現場の介護士が考えないと始まりません。

しかし、考えてもみてください。

「オムツ交換が上手くできるようになりたいなぁ」と考える介護士が、「心が壊れてしまう」と訴える利用者と向き合うのは簡単ではないはずです。

というのも、「心地良さ」や「満足感」のような心の充実度は、それを求めて試行錯誤しても見つかるものではありません。

それでも見つけ続ける中で、小さな気づきがあって、「コレはもしかして!」とある利用者の悩みに応用できるのです。

このブログでは、こみちのような中高年になった方が、今から心がけることで生涯を通じて自分らしく働き続けられることを目指しています。

それでも明確な答えはなく、未だにアレコレと迷いながら、その糸口を探して進んでいるのです。

「仕事が見つからない」「面接さえ受けさせてくれない」

そんな苦い経験もこみちもありますし、だからこそ今のうちに身につけるべきことを探しています。

仕事探しも介護も根底は同じで、「不満」や「歯痒さ」などは常に存在しています。

しかしそれをどう解決したり、工夫していくのかは、もう日々の心構えしかありません。

小さなことを面倒だと思わずに、コツコツと積み上げるしか方法はないのです。

ですが、それでも優先順位はあって、どこから始めると効率的だとか、つぶしが効くとか、二次的三次的な柔軟さになるのでしょう。

でもこみちとしては、自身が目指したい方向を見つけことができましたし、自分が得意とする分野や望まれるニーズにも気が付けました。

今日の利用者からの訴えによって、こみちは大きなものを得られたのです。