おじいちゃんやおばあちゃんではなかった!?
まず、中高年の我々も、あと30年が経てば「利用者」になるかもしれません。
30年を長いと感じる人もいるでしょうし、あと30年しかないと思う人もいるでしょう。
このブログのメインテーマは、「生涯を通じて働ける自分を見つけること」です。
その1つとして「介護士」を取り上げているのですが、他の職種や別の働き方があっても良いと思っています。
それだって、あと数十年先までどう生きるのかって話で、これまでの流れがあるからこそですが、この先だけを見ればそれほど幅広い可能性が待っているとは限りません。
つまり、十代の頃に「なりたい自分」や「理想の自分」を描いたのとは根本的に異なります。
今さらというか、きっとこみちは誰かに教えられる前から、「利用者」という目で見ていませんでした。
もっと言えば、介護施設に入所する前の人柄や生き方、人生観に関心がありました。
だから、今は禁止されている施設も増えた「おじいちゃん」や「おばあちゃん」という呼び方には抵抗があります。
感覚的な話なので、人によってはその呼び方にも「敬意」が込められていると言うかもしれません。
ただ、こみちとしては、その呼び方をあえて使う必要はなく、「〇〇さん」でいいと思うのです。
中には「〇〇様」と呼ぶことを勧める人もいるでしょうが、それこそ有料老人ホームなら納得できます。
というよりも、その人を思うと、パパやママみたいな呼び方ではどこか焦点が合っていない気持ちになるのです。
少しお高いこみちの勤め先では
こみちが勤めている介護施設は、多分相場よりも割高です。
一般的な介護士の給料なら、数万円残るかどうかと言った金額です。
つまり、介護士として働きながら、自分の親を施設で見てもらうことはできないでしょう。
まして両親となれば、なおさら難しいとされる金額です。
そんな施設に入所されている利用者たちは、どこか上品な人たちです。
実際、持ち家を数千万、数億といった金額で売却した人や、会社の経営者、裁判官や薬剤師など、話を聞けば本当に社会的な地位の高かった人もたくさんいます。
しかしそれを自慢する人はいません。
そうではなく、バリバリと働いていた頃の話がとても面白いのです。
時代背景もあったとは思いますが、激動の時代だからこそ前に進むのが面白かったのでしょう。
あるアパレル業界でデザイナーをしていた人は、普段着のすべてが自作だそうです。
「これも作ったんですか?」
一見すると、色や生地の質感に特別感はありますが、既製品だと思ってしまいます。
「もちろんよ。このシャツもズボンも私が作ったの」
デザイナーとして、幾つもの案件を同時進行させながら、忙しく働いていた頃の話は何度聞いても飽きません。
こみち自身も広告業界に身を置いていたことがあるので、その忙しさはより連想できます。
ある意味、介護はそんな過去をすべてリセットし、施設の決めた生活スタイルの中で暮らしていくことになります。
だからといって、過去の栄光やキャリアを否定されるべきではありませんし、ましておじいちゃんやおばあちゃんと呼んでしまうのはどうかと思うのです。
こみちとしては、融通できる範囲内なら自由であって良いと思っていて、利用者の要望をできる限りくみ取るようにしています。
考えてもみてください。
我々中高年が60代になる頃、つまりこれから10年以上も先になれば、今施設で介護させてもらっている利用者の何人かは、「会えない人」になっているでしょう。
つまり、我々以上に「今日」という1日が大切なのです。
「明日でいいでしょう!」
その明日が来るのだって、我々以上に不確かです。
お茶が飲みたい。少し横になりたい。そんな些細な願いすら施設が決めたスケジュールを盾に、「できません」というのは疑問が残ります。
介護という仕事に飽きて来た!?
実は最近、介護の仕事に身が入りません。
しかし現場に出ると、いろんな利用者からお願いされるので、忙しさはむしろアップしています。
利用者との関係ではなく、介護業界で働くスタッフとの関係に冷めて来たのです。
「どう言えば利用者が口答えしないのか?」
言いくるめようとしたり、無視したり、とぼけて忘れたふりをしたり、ベテラン介護士ほど、そんなやり方を「介護テクニック」だと勘違いしています。
「こみちさん、トイレに連れて行ってよ!」
聞けば30分以上も放置されていたようです。
理由は、前回から2時間が経過していないことと、パットを装着しているので大丈夫だということです。
我慢できない時は「ぱっとを付けているから漏らせばイイ」と言われて我々もできるでしょうか。
いわゆる「オムツ」と「リハパン」の違いは、その材質ばかりではありません。
利用者の尊厳や尊重にも関わる部分です。
介護士として負担が増えることもあって、利用者の要望が反映されないことも分かります。
逆にその部分こそが、介護業界の難しさでしょう。
先にも紹介したように、こみちの勤め先にはいろんな業界で活躍していた人もたくさんいます。
それでも、年を取れば、理由は別としても介護士からは無視されてしまうのです。
自分が老いた時には、どんな扱われ方をするのだろう。
そう考えると、やるせなくなります。
利用者が覚醒して行く
認知機能が低下した利用者たちが、あるきっかけで「覚醒」することがあります。
普段はぼんやりしている人なのに、急にお喋りになって表情豊かになるのです。
その人が隠し持っていた一面がそんな時に現れたりして、介護士として働いていても驚きます。
しかし、ある先輩介護士が言いました。
「なんで覚醒させるかなぁ」
つまり、介護をするうえでは、無反応な方が都合がいいのです。
立ち上がることもなく、やりたいようにさせてくれるからです。
先にも言いましたが、利用者にとっての「今日」は我々以上に貴重な時間です。
寝て起きて、食べて寝て1日が終わりで良いのでしょうか。
報酬を得るだけなら、その日のノルマさえ終わればいいのですが、何のために「介護」を選んだのか、こみちの理由とは異なるのでしょう。
利用者に愛情を持てないなら、介護を仕事に選ばなければいいのにと思うのです。
だから、こみち自身も愛情に応えられない自分を見つけると、介護が合わないと思ってしまいます。
そして、物のような状態望む介護士がいることで、現場として白けるのです。
少しでも楽しく介護できたらと思う気持ちが、蔑ろにされているように感じるからです。
でも自分の会社でもない以上、そこを不満に思っても意味はないでしょう。
介護って難しいなぁと思い始めると、段々と介護の仕事が詰まらなくなります。
でも利用者との触れ合いは本当に楽しいのです。
だからこそ、もっと異なる接し方はないだろうかと思うと、介護士という働き方だけが唯一とは思えないのです。