これから触れるのは医学的な根拠は一切ありません!
こみち自身が、男脳と女脳という概念に興味があった訳ではありません。
ただ、ある女性介護士がある年上の男性介護士への声掛けで、「彼女なりの決まりごと」があると教えてくれたのが発端です。
その決まりごとは、彼女なりの観察に基づくもので、きっと医学的にも心理学的にも根拠があったとは言えないでしょう。
しかしながら、その決まりごとはこれまでの経験で上手く行った結果でもあります。
つまり、一般的に正しいとは証明できなくても、ある環境下では成果があったことなのです。
こみちとしては、男だからとか、女だからとか、それぞれの性別だけの根拠が原因で明確な違いがあるとは思いません。
ですが、例えば人は20代と30代、さらに40代50代になって考え方や行動に変化が現れます。
もちろん、それだってほとんど変わらない人もいるでしょうし、ある年齢を境に極端に変化するケースもあるはずです。
それだけ人は変化するものなのでしょう。
また、男と女に対するイメージも中高年の我々世代と、今の若い人たちではかなり異なるでしょう。
というのも、医学的や心理学的な意味を超えた領域において、その人が歩んで来た人生観が「その人らしさ」を築いているからです。
例えば、ある時代に「男はこうあるべきだ!」という教えがあって、どこの家庭でもそれに近い教育をしていれば、ある男性はそんな考えに何らかの「影響」を受けるはずです。
もっとも、その教えを自分なりに受け止めることで、自身の性格や生き方に反映させる人もいるでしょうし、逆に教えを全く受け入れずに、あえて影響されないように生きることを目指す人もいるはずです。
「◯◯をしなさい」という自縛
「しなさい」という言葉には、大きな影響があります。
命令と受け止め、疑うことなく従う場合もありますが、それに従うことが負けだと感じて、逆に意地を張って別の方法踏み出すこともあります。
もしも何も言われていなければ、その教えの良いところを身につけ、悪いところを受け入れずに生きて来たかもしれません。
しかし、「◯◯をしなさい」と言われたことで、その言葉だけが大きな意味を持ち、人の思考を拘束させてしまうのです。
思えば、「勉強をしなさい」という言葉も、よく耳にします。
こみちの両親はあまりそんな言い方をしなかったのですが、もしもそんな風に言われていたら、どんな気持ちになっただろうと考えてしまいます。
「勉強をしなさい」とは言われませんが、「勉強すれば〇〇ができるようになる」とは言われました。
勉強が「目的」ではなく、「手段」であることを早い時期から教えてもらいました。
その意味では、遊びとして百科事典をよく開いては眺めていましたし、文学全集もある時期に好きで読破しました。
いつもの「手段」を知ることで、人はそれだけいろんな世界に繋がります。
男脳にはこんな特性や特徴があると見つけ出すのは専門家にお任せするとして、こみちとしては「その人の人生観を尊重したアプローチが信頼関係を構築するには不可欠」だと思っています。
例えば、介護業界歴が長く、介護士としていろんな方法を熟知している人がいたとしましょう。
その人は、介護のプロと呼ばれるかも知れませんし、一人前の介護士と評価されるかも知れません。
しかし、その事実だけが、その人の人間性のすべてではないはずです。
逆を言えば、介護士としては半人前でも、それは介護的な手法が未熟に過ぎないとすれば、熟知した分野では今以上の活躍も十分にあり得ます。
というのも、中高年から介護士に転職した人たちの多くは、今とは異なる業界でいろいろと経験を重ねて来た人たちです。
そして、たまたま縁あって介護士になっただけなので、その仕事ぶりだけで人間的な評価はできません。
つまり、男なのか女なのかという部分も、それぞれの身体的な特徴の部分では変えがたいとしても、変化する領域の方が膨大です。
まして、変えがたい部分においても、今後絶対に変えられないものなのかも分かりません。
だとすれば、何をもって「男」や「女」と定義づけるのかも難しい話です。
男なのに「女」として育てられた場合や、その逆の場合には、「その人の脳はどんな反応を示す」のでしょうか。
きっとそれだって、個人によって違うでしょうし、「概ね◯◯な傾向にある」という方向性の話になるのではないかと思います。
介護士の考え方の特徴
介護士という職業柄、人を見ればアセスメント始めてしまうことがあります。
どんな話題に興味を示すのか。
どんな表情で話をしたり、考え事をするのか。
他にもいろんな場面を関連付けて、自分なりの「仮説」を導き、さらにその後の反応を加えることでさらに精度を上げていく。
時に仮説を破棄して、改めてアセスメントすることもあるでしょう。
こみち個人としては、アセスメントする人が想像できる範疇でしか相手を想像することはできないと思っています。
その意味では同じ人がアセスメントする場合でも20代の時と50代の時では気づきが異なるはずです。
血液型同様に、男か女かという違いだけで導き出せる「仮説」はとても少なく、それぞれが実際に共感できるほどの差は見えないかも知れません。
几帳面なのはA型ばかりではありませんし、マイペースなのはB型とも限りません。
そう考えると、男と女の違いよりも、「個人の特性」に興味を持つことが大切なのでしょう。