怒鳴る介護士がいる中で
こみちの勤務している介護施設には、程度もさまざまな利用者が在籍しています。
人それぞれに生き甲斐があって、我々介護士は日々の業務の中で「介助」を通じて夢の実現に関わります。
しかし、残念ながら我々の冷静さを失えば感情的となり、別の対処もあった中で「意のまま」の応対になってしまうことがあります。
中には、「何ですか?」と言葉自体はそうではないにしても、表情や語気はかなり威圧的だったりします。
そう言われて、黙ってしまう利用者もいれば、向かっていくように輪をかけて応戦する利用者もいます。
利用者の中には、認知機能が低下し数分前のことでも覚えていないケースもあります。
また、介護士の名前を覚えていない利用者も大勢います。
こみちが「どんな人だったの?」と聞いても、「知らない人だった」「性別も分からない」と答えることも少なくありません。
その意味では、利用者が見ている世界観はとても限られたもので、だからこそその世界を構成する「密度」が高いのでしょう。
携帯電話を持ちたい利用者
ユニットケアの場合、利用者には個室が割り当てられていて、テレビをはじめ、さまざまなアイテムを持ち込んで、自分らしいライフスタイルを整えます。
同じ広さの部屋であっても、家具の配置やアイテムの種類によって、インテリアは千差万別です。
入居者の中には個人持ちで携帯電話を所有している利用者もいます。
家族との連絡はもちろん、遠く離れた親しい友人などとも話せるので、携帯電話は人気のアイテムです。
しかし、持たせたいと思う利用者家族もいれば、否定的な家族もいます。
都心部に所有していた不動産を売却して入居を決めたという利用者もまた、携帯電話を所有したいと思っているようです。
ところが、利用者家族の反応は否定的で、携帯電話など不要だと考えています。
ケアマネは利用者と家族の間を取り持ちながら、携帯電話の所有に向けた案件を抱えてきました。
利用者は「なぜ、ダメなの?」と言い、家族の否定する理由が分からないとも感じています。
その背景には、不動産を売却した売上金があれば、携帯電話の所有にまつわる経費など十分に賄えると思っているからです。
また別の利用者はトイレ介助をしている時に、「今すぐこんな施設を出たい!」ともの凄い剣幕でした。
「何かありましたか?」
「何って!? もうココを出たい! 家族を呼んで!!」
日中にどんなことが起こり、利用者がこんなにも気分を害したのは分かりません。
しかし、会話を続けていると、理由こそ分かりませんが、利用者の気分は落ち着いてきました。
「本当に(介護は)大変な仕事だよ!」
「もうすぐ、食事ですね!」
「あら、そうなの?」
怒りの原因を忘れてしまったのか、割り切ってくれたのかは分かりません。
しかし、いつもの表情に戻り、落ち着いて話せるようになりました。
これも別の利用者で、トイレに誘うと「じゃあ!」と応じてくれました。
シルバーカーを押しながら、自室を目指して歩きます。
その様子を見れば、介助が必要なことも分かります。
ところが、自室のトイレに入るや否や、「嗚呼〜、疲れた!」と言って曲がっている背中を伸ばし、くるりと振り返ってこみちに言いました。
その瞬間、機能低下などすべて演技ではなかったのかと思えるほどです。
「疲れました?」
「疲れたよ。もうおばあさんばっかりだから」
「◯◯さんっておいくつでした?」
「私、63歳になったばかりだよ!」
実年齢と30歳近く離れた年齢を口にし、周囲を見ている利用者。
ちょっと不思議な感覚になりました。
自己実現と言っても
介護では自立支援や個人の尊重を重んじます。
しかし、利用者全員がアクティブに活動したいわけではありません。
自己実現と言っても、目に見える何かを叶えたいとは限らないのです。
ある利用者は、これまでと同じような暮らしを目指すでしょう。
また別の利用者は、なぜ施設にいるのかも不思議に感じているでしょう。
そして、また別の利用者は介護士の扱いに腹を立てて、不満を叫ぶことで自分らしさを保とうとしています。
我々介護士の役割は、一緒になって悩むことかもしれません。
また、時には悪者になって、不満や憤りの矛先になることもあります。
どちらが正しいとは言えないケースでも、「すいません」と本気で謝罪することもあるでしょう。
なぜなら、それが介護だからです。
満たすことで与えられる介護もありますが、一緒に悩んだり考えたり、そして怒られることで感じ取ってもらえる「生き甲斐」もあります。
介護士は、常に利用者の見本である必要はありません。
「教えてくれませんか?」と言って、利用者のやる気を引き出すことも介護だからです。
時には「あなた、見かけだけねぇ!」などと言われて、「世話を焼いてもらう」のも方法でしょう。
指導力や威厳を損なうとして、利用者に弱みを見せない介護士もいますが、そこまでこだわるのは我々だからではないかと思います。
もっとも、ケアマネなら、利用者とその家族の間に立ち、自ら弱みを見せなくなるのかも知れません。
そうだとしても、介護士としては「完璧主義」ではなく、「共栄共存」の精神でいいと思うのです。
介護士から「言われてする」というよりも、「介護士の手伝い」や「代行」のような感覚で、洗濯物を一緒に畳んだりするのも悪くないからです。