面を線で捉えてしまうとは?
ちょっと哲学的というか、理屈的な話です。
ある時、遊園地に行ったとしましょう。
そこで何を見て、何を感じ、どんな体験がしたのかということになるのですが、例えば今日行った時と明日行った時で全く同じ印象だったのかを考えて欲しいのです。
こみちは、今日と明日でも違うと思いますし、昨日もまた異なるだろうと考える訳です。
もっと言えば、今日というのは昨日の流れの「翌日」であり、明日もまた今日の「翌日」になります。
漠然と日数が決められるものではなく、日々の流れの中で「1日」が存在しているのです。
そう考えると、同じ目的で同じ場所に行ったとしても、「その日」に感じられるのは「あるタイミング」に過ぎません。
つまり、数多くあるだろう経験の一部をその時に感じただけなのです。
その感覚を別の言葉で説明すれば、「面を線で捉えてしまう」ということになります。
介護における「面と線」
介護として扱う要域があるとして、我々介護士が経験できるのは「その一部」でしかありません。
だからこそ、一部の経験からその先を予測し、想像することで「線」以上の範囲にもアンテナを伸ばすのです。
そのためには、一つの仕事をそれだけで終わらせては発展性がありません。
例えば、「利用者がなぜそんな言葉を口にしたのか?」に想いを巡らせる経験が後々に差となって現れるのです。
しかしながら、結論的な話をすれば、「なぜ」に気付ける介護士は自ずと限られて来ます。
「先輩からの指示でした!」
そんな風に思ってしまう介護士は、この先何年介護業界に身を置いても、その先輩が経験した「介護の一部分」をトレースし続けるでしょう。
もちろん、仕事として割り切って考えるというのなら、そんなスタンスで働く介護士を責めることはできません。
実際、介護現場には独特の習慣があって、本当に意味や根拠のない「慣し」を守る傾向にあります。
「介護全く別の角度から見ることができないか?」
特に業界経験が長い人ほど、介護に対する考え方が固定されて、別のアングルと言われても想像できないかもしれません。
「だいたいそれで上手く行くのだから」
ある作業が上手く行くのは、線が途切れることなく繋がっているという意味です。
どこかで無理があれば、線は途切れてしまうからです。
しかし、上手く行くことと面で捉えていることは次元の異なる発想で、例えばある試験でとにかく合格点を超えたいなら線で繋ぐことが不可欠です。
一方で、現場で使える技能にまで熟成させるには、細い線で辛うじて繋がっているという状況では心細く、いかに突発的な事態が起こっても対応できるためには何本もの線を引いて、まるでそこが「面」に見えることが大切になります。
一般的な基準では、その道で「10年」過ぎれば「一人前」と呼べるでしょう。
やはり、「1年」や「2年」のキャリアというのは、「線」ではあっても「面」にはなっていないからです。
もちろん、線や面という意識が事前にあって、どんな意識を持つことで「面」にできるかを経験的に知っている人は、成長も早いはずです。
なぜなら、線そのものは早々に引いてしまうでしょうし、そこから経験則を踏まえて面へと広げて行くからです。
なぜ、当たり前をしないのか?
新人介護士を見ていると、入職して随分経つのに、時間が来ても「これをしなければ!」と焦る雰囲気がありません。
そこには「誰かがするだろう」とか、「そこまで深く考えていない」という想いが潜んでいます。
作業を理解する介護士だけが、テキパキとスケジュールを熟す様子を見て、「違和感」や「孤独感」に繋がらないのなら、「面」どころか「線」を引くことも怪しくなります。
「他人の作業を盗み取ること」は、仕事を覚えるベーシックな手法です。
誰かに手取り足取り教えられることなど、仕事の一部分に過ぎないからです。
成長する人は、見て欲しいポイントに気づきますし、言わなくても肝心な時にそこにいます。
しかし、仕事を覚えない人ほど、見て欲しい時に別の仕事をしていたり、声を掛けてもすぐに動かないなど、チャンスを自分から無駄にしています。
この辺りの話は、「線を引けない理由」に関するもので、その先にある「面を線で…」には及んでいません。
そんな人にも介護士として働いてもらうには、「これはこうする」と作業マニュアル化してしまうしかないでしょう。
もしもそこからはみ出ることがあっても、手に負えないとして諦めるしかありません。
「利用者が怒る!」そんな時はどうすれば良いのか?
どんなに温和な利用者でも、機嫌を悪くしてしまう時があります。
言葉づかいが原因だったり、態度や仕草に苛立ちを覚えたのかもしれません。
介護士の方も急いでいたりすれば、思わず相手の気分を損ねさせる行為もあるでしょう。
ただ、「マズい!」と気づいて修正できれば救いですが、利用者がどんどん気分を害しているのに、同じ調子でしつこく続けてしまう介護士は、マニュアル化ではフォローできません。
また怒らせてしまう
同じ介護士が何度も怒らせたり、機嫌の悪い利用者には近づかない介護士がいたり、根本的な原因に目を向けることなく、表面的な様子だけで対応してしまうことがあります。
「当たり前」というのは、そこに明確な分析があってのこと。
分析をしない人は、経験則だけで繰り返してしまいます。
良い時はいいですが、悪い時もまた同じ失敗をしてしまうのは、そんな理由があるからでしょう。
仕方ないことですが、「なぜなのか?」に興味や関心を持てない人は、介護士には向きません。
オムツ交換などの手順こそ覚えますが、利用者の気持ちに寄り添えないので、周囲で見ていてもザワザワとした雰囲気を作り出してしまいます。
介護の仕事の面白みは、「寄り添い」の中にあると思うのですが、そこを線でしか捉えない人は、ワンパターンの介護を繰り返し、時に利用者を激怒させてしまうのです。
面白いもので、応対する介護士次第で、利用者の表情は驚く程に変化します。
わめき散らしていた利用者は、ある介護士の声を聞いただけで、落ち着いたというケースは少なくありません。
その部分がある限られた人の本質に宿るのか、介護を系統的に理解することで学習できるのかはこみちには分かりません。
しかし、ある介護士の行動に違和感や疑問を感じることがあります。
残念なことですが、それを克服できないかぎり、その先の介護も生まれません。
先ずは線を引き、そこから見方を変えて別の線を引き、その繰り返しの中で「面」になって行くのです。
結果、介護を柔軟性に富んだ捉え方で、臨機応変に扱える時が来るはずです。