介護の醍醐味を紹介します!

今日は給料日


朝食を終えて、利用者たちは口腔ケアに向かいます。

その後はそれぞれのスケジュールに応じて、入浴に向かう人もいれば、排せつ介助を待つ人もいたりして行動が異なります。

介護士は、担当する業務に応じて配置につくのですが、その日のこみちはトイレ誘導の他に10時からの飲み物を準備することなったのです。

「ハァ〜イ! どうしましたか?」

コールが鳴ったので、ある利用者の部屋に向かいました。

「オゥ、タクシーを呼んでくれ!」

「タクシーですか? どこか行くのですか?」

その利用者は軽い認知低下の見られる方で、どこまでが現実でどこからが虚像なのかはっきりしません。

「タクシー」と言った時点で、現実の話ではないことを予測しました。

「今日は8日だろう!?」

「そうですね。3月8日です」

「じゃ、オレの給料日だ!」

「給料日!?」

介護施設に入所されている方なので、どこかにお勤めとは考えられません。

「何を言っているですか? もう働いていないでしょう!!」

そんな対応もできなくありませんが、多分、そんな対応をすると「連れて行け!!」と絶叫していたでしょう。

「銀行振り込みじゃないんですね。会社まで取りに行くんですか?」

「そうだ」

「会社はどこにあるんですか?」

「〇〇だ。知っているだろう?」

その場所ならこみちも知っています。

「嗚呼、分かります」

「タクシーはどうした?」

「もう呼びましたよ。出掛ける準備をしましょう」

呼ばれて話し始めたので、タクシーを呼ぶ時間なんてあるはずありません。しかし、そこにはツッコミもなく、壁に掛けてあるカバンを指差し、メガネやハンカチを入れて準備しました。

二人で部屋を出ると、他のスタッフが不思議そうに見つめて来ます。

「今から給料日をもらいに〇〇まで行って来ます! ネェ、〇〇さん」

「嗚呼、そうだ!」

「〇〇まで…。行ってらっしゃい!」

スタッフにも送り出されて、長い廊下を二人で歩き始めました。

突き当たりにエレベーターがあって、そこからエントランスに向かうことができます。

こみちとしては、今朝、エントランス脇にある事務所に話を合わせてくれる事務員と会ったことを思い出していました。

「帰りはどうしますか?」

「そうだなぁ。昼飯でも食べるか?」

「良いですね! 〇〇でオススメの店、知っていますか?」

エレベーターを降りる間も、利用者は楽しそうです。

会話も弾んでいるだけに、その後の展開をどうすれば良いものかと考えていました。

「タクシーはどこだ?」

「〇〇さん、まだ来ていないので、ちょっと事務所に寄りましょう」

利用者の腕を軽く引っ張り、事務所に向かいました。

こみちとしては先手を打ちたくて、「給料日を取りに行きます!」と事務員に伝えたかったのです。

「おはようございます。〇〇ですが、〇〇さんはいますか?」

利用者の第一声にこみちの方が慌てました。

しかし、事務員はこみちと利用者二人が来たことを察してくれて、仕事の手を止めて近づいて来てくれました。

「どうしましたか?」

「今月の給料日をもらいに来ました。〇〇さんはいませんか?」

「〇〇さん? 嗚呼〜」

事務員の視線にこみちが小さく頷きます。

そして、事務所内を見渡して、「〇〇さん、見えませんね。良かったら私が伺いますよ」と利用者に語りかけました。

「給料をもらったら二人で飯を食べに行くだよ」

「そうだったんですね。〇〇さんもご存知かと思いますが、コロナウイルスで外出を控えてもらっていまして」

「分かったよ」

驚いたのは、その時にこみちを見て、「残念だが我慢してくれ」と言ったのです。

「仕方ないですよ。ランチの話はまた別の時に…」

「本当にすまなかった。今度は必ず」

そして、利用者は事務員にも「すいませんでした」と言い、事務所を出て行きます。

「すいませんでした」

立ち去り際、こみちが事務員に告げると、軽く微笑んで見送ってくれました。

来た道を二人で帰ります。

エレベーターを待っている間も、連れて行きつまりだったであろう店のことをあれこれ話してくれました。

「今度は絶対だから。悪かったな」

利用者からなだめられながら、フロアへと戻って来たのです。

「お帰りなさい!」

見送ってくれたスタッフが、二人に気づいて声を掛けてくれました。

「実はもらえなくて、〇〇くんには申し訳ないことをしたよ」

何も言っていないのに、利用者が話始めます。しかも告げた名前もこみちではありません。

誰のことを思っているのか部分的には分かりませんが、利用者は部屋に戻って行き、こみちも付いて行きました。

カバンの中身を部屋に戻して、「次回ですね!」などと話を終わらせました。

「期待させて悪かったな!」

「良いんですよ! また今度、よろしくお願いします」

手を振って部屋を出ると、日常業務に戻りました。

時間に余裕がある時には、こんな風に利用者との会話を愉しみます。

本人としては真剣な話なので、茶化してはいけません。

ただ、満足してもらいながら話の落としどころも考えておきましょう。

話の分かる事務員みたいな人がいると、バリエーションが増えるので本当に助かります。

介護というと技術的な部分が優先されますが、利用者のお供をすることも介護だったりします。

他の職種ではなかなか味わえない業務ではないでしょうか。