「有限」という考え方

「無限」と「有限」の違い


数学的な意味ではありません。

それでも、「無限」と「有限」の違いを考えることは有益です。

2つの違いをあげるとすれば、「期限」の有無が挙げられます。

テストを受けるのも、スポーツのトーナメント戦に参戦するのも、言えば期日が決められていて、その日に合わせて「ベスト」な状態を作り上げるのが練習や戦略の役割です。

もしも、この「期限」がなかったら、それぞれの人が自分のペースでモチベーションを維持しなければいけません。

子どもの頃、研究者と呼ばれる人は、何十年も自分の研究を続けているのだと思っていました。

もちろん、ライフワークとしての研究はあると思いますが、多くの研究者は課題を見つけて成果を出しながら「研究」を続けています。

つまり、期日までに報告書をまとめることができない人に、研究者を続けることはできないのです。

一般の仕事でも、「納期」によって期日が決められています。

そう思うと、「期限のない無限」という状況はとても特殊なのかも知れません。

ある一コマを再現すると


例えば、ある住宅地で、ボヤ騒ぎがあったとします。

ある住宅の駐車場に置いてあった古新聞が燃やされたというものです。

元を正せば、古紙回収は翌日のことで、その前日に新聞を出しておくのはルール違反でした。

そんな状況があったとして、その家の住人が「きちんと日にちを守れれば良かったよ」と反省の弁を述べても、「約束を守らなかったから自業自得だ」と手厳しい意見をする人もいるでしょう。

また、反省したことに寄り添い、「でもボヤで済んだのだから良かった」と言ってくれるかも知れません。

一方で、自分が期日を破ったことには触れずに、「どこかの防犯カメラに犯人は映っていないだろうか?」とボヤ騒ぎの件を取り上げる場合も考えられます。

本来なら、この一件というのは、期日を守らなかったことから起こりボヤ騒ぎになったものです。

しかし、世間は面白いもので、どの部分を「メインテーマ」に捉えるかは、簡単にコントロールできてしまいます。

中には真摯に反省した場合でも、その住人の日常的な態度を見て、「口先だけだろう」と批判的に捉えるかも知れません。

また、犯人探しがメインになった場合でも、「そもそもはあんなところに新聞を出していた住人が悪いのだ」と陰口が出ることもあります。

それでも、世論やその時の「場」がどうなっているかで、「今さら、何を言っているんだ!」とか、「いつの話を蒸し返しているんだ?」という意見で一蹴されるでしょう。

それだけ、その瞬間に適切な判断を逃すと、後からあれこれ言い出しても、取り合ってくれないのが「大人社会の常識」です。

「有限」に馴染めない人たち


会社で期日までに反対意見を言わなかった人が、プロジェクトの失敗を聞きつけて「不満」を言い出すのは大人として慎むべきでしょう。

思っていたのなら期日までにしっかと自身の意見を表明するべきで、それでも結果的に納得という形で折れたのならば、やはり「不満」を口にしてはいけません。

ある「期日」を境にして、そのことに関する意見が制限されるというのは大人社会では珍しいことではありません。

「何か反対意見はありますか?」

「何か気づいたことはないですか?」

言葉こそ違いますが、そんな問い掛けがあった場合、それ以降は「単なる不満」はご法度だという意味合いです。

ところが、「有限」に慣れていない人は、いつまでも昔のことをあれこれと批判します。

場合によっては、期日後に加わった条件まで取り入れて「不満の根拠」にしてしまうほどです。

しかし、「期限」の時には分からなかったことや、不確定だったことが、後になって判明して、「失敗の原因」になった場合も少なくありません。

それでも、「無限」の考えで、過去の判断を永遠に批判し続けるのは、もはやタブー以外の何者でもありません。

「有限」を使った手法には


ある困りごとが起こった時に、その原因の一端が自分にあったとしましょう。

素直に反省しても良いのですが、「有限」を逆手にとって切り抜ける人がいます。

その手法は、「ある既成事実」を挟むことで、「原因」を「過去」にしてしまうというものです。

困りごとが世間に知れ渡るという段階になった時に、新しいプロジェクトを発表します。

原因となる事柄を含んだ内容で、そのプロジェクトが問題解決になるかも分かりません。

それでも、「既成事実」を作ることで、隠したい「事実」も先延ばしになります。

数年もすれば、過去の問題よりも、「既成事実」の成果が批評の対象に変わっています。

「「既成事実」はあの問題を隠すために…」などと指摘する人もいますが、世論はすでに動いていて、「その前に何かあったかなぁ?」と思うくらいです。

または、知っていたとしても、「もう過去のことだよ。いつまで言っているの? それにあの時の原因と今は違いよ」などと言ったりして、シッポを掴ませません。

実は、新入社員とベテラン社員の間でも起こるのが、この「有限」を使ったトラブルです。

あるベテラン社員の指示で新入社員が苦労を強いられても、「だったらその時に言ってくれたら良かったのに…」と言われてしまうのです。

その時に反論すれば、「やってもいないのに!!」と言われたでしょう。

これも「有限」を巧みに使った手法でしょう。

ポイントは、「有限」をコントロールできる人に「分」があるということ。

もしもトラブルが発生した時に、問題の原因を究明して、それぞれの意見や見解を汲み取れたら、クリーンな解決ができたでしょう。

しかし、一般社会では、どちらかが場を支配していて、「有限」を巧みに操ります。

「忘れた」とか、「そうだったかなぁ?」というフレーズも、問題点をぼかしてしまう言葉です。

「そんなこととは知らなかったんだ」

すでに被害が出て、それが回復困難な場合、「知らない」では話になりません。

しかし、「場」を支配している立場で「有限」を巧みに使う加害者に対して、被害者はずっと痛みに悩みます。

仮に裁判などで「真相」が明かされたとしても、ある意味でイーブンになっただけで、本当の意味での「勝者」にはなれません。