「コロナウイルスの流行」が教えてくれたこと

介護の現場から


こみちが勤める介護施設でも、館内の消毒や家族の面会、もちろん介護職のマスク着用など、これまで以上にウイルスを持ち込まないようにする対策が行われています。

まだまだ認識不足の部分もありますが、高齢者にウイルスを感染させないことが大切なのは当然のことでしょう。

こみち自身も、一回の勤務で数十回も手を洗うので、勤務終了間際になると手の油分が失われてカサカサになっています。

少し時間があるとハンドクリームなどを使いますが、数分に一回のペースで洗うのを考えると、効果よりも気休め程度です。

最近では、検温による報告義務も追加されたので、出勤前に自宅で検温しなければいけません。

それで感染予防に繋がるのであれば、介護職の立場とすれば簡単なことです。

数十年前に流行った「ワーム」を覚えていますか?


これから話すのは、病気のウイルスではなく、コンピューターに寄生するウイルスのことです。

厳密には、「ウイルス」と「ワーム」は性質が異なっています。

「ワーム」は自己増殖するらしく、対策ソフトの使い方にも工夫が必要でした。

考え方としては、「100%安全な領域」を確保することが大切で、その領域を拡大させる中で感染させた部分を排除していきます。

つまり、汚染された領域からどんな対策をしても、わずかな可能性で「ワーム」が潜んでしまい、場合によっては再び汚染されてしまうというものです。

絶対に汚染されていないパソコンを使って、汚染されているかも知れないパソコンのデータを完全に書き換えることで、「100%の安全」を取り戻すことができます。

一方で、コロナウイルスの性質をこみち自身は詳しく理解していませんが、先ほどのパソコン上の話とは異なり、「100%の安全」を確保することがとても困難でしょう。

例えば、ある船の中に一定数の感染者が確認できた場合でも、他の乗船者の多くは健康状態の良好な人たちでしょう。

仮に、感染拡大を防止するために、下船させずにいたら、さまざまな理由で健康な人も感染者になってしまう可能性があります。

そうなった時に、パソコンのように撲滅だけを優先して、安全な領域を確保するために、ウイルスを撃退できるワクチンが見つかるまですべての乗船者を隔離することができるでしょうか。

実際には、健康だとされる人たちを下船させ、感染者だけを隔離して治療するでしょう。

パソコンの話で言えば、もしも汚染された領域を安全な領域と誤認してしまえば、いつしか「100%の安全」は保てなくなります。

人間の場合も、健康とされる人は今までと同じように暮らしているので、近所にも少し離れたスーパーにも足を運ぶでしょう。

仮に安全とされた人が、実は安全ではなかった場合、もうどこで誰に接触したのかは分からなくなります。

つまり、パソコンでいうワームの排除を再現するとすれば、現時点で考え得る「100%の安全」な領域を確保して、少しでも疑わしい領域まで広げた範囲を治癒して行くしかありません。

ここで、「これくらいで良いだろう!」と領域を小さめに設定したり、安全性の確認されていない領域で治癒しても、完治することは難しいのです。

つまりウイルス対策は初動が大切


1から10までのどれかがウイルスというなら、その10個を1つずつ調べる他ありません。

しかしその途中で、「37」が感染しているとなれば、「11〜36」までも怪しくなって来ます。

もちろん、「38」が安全という保証もありません。

ウイルス対策では、範囲をとにかく広げないことがポイントでしょう。

テレワークという働き方で見えて来たもの


対人で行う介護職のような仕事は、ウイルスが流行してもテレワークすることはできません。

当たり前ですが、「そこにいること」が仕事だからです。

一方で、プログラマーのような仕事は、そもそも日本国内で働く必要もなく、通信が可能な場所であれば、世界のどこにいても働けます。

すでに物理的な距離に捉われていないからです。

ウイルスが社会問題になり、例えばサラリーマンが通勤電車に揺られる必要性がどこまであるのか考えさせられます。

仕事を行うのに必要なスキルさえあれば、その部分では遠隔操作でも構わないことに気づいたからです。

会社に属するサラリーマンでも、「同じ時間に同じ空間に存在している」という理由が段々と薄れていきます。

今後、通信速度が飛躍的にアップして、「感覚」まで伝えられるようになれば、例えば料理人の技術さえ、物理的な距離を超えてしまうでしょう。

東京にいる料理人が、指名されると大阪の客に料理を提供できるのも可能になります。

さらには、「寿司を握る」を技術的にコマンド化して、必要な時にいつでも再現できるようになれば、「高速通信の進歩」は我々の仕事を根本的に変えてしまうでしょう。

それができるなら、過去や未来という概念も超越してしまうので、ぶっ飛んだことを言えば「人間の寿命」さえも意味を失ってしまいます。

一方で、現実に存在する我々は、「オリジナル」としてのアイデンティティを有し、解析では補えなかった部分を作り出します。

もっともそれは、「こみち」という人間を保つために残された名残りであって、「オリジナル」としての存在意義を残すに過ぎません。

多くの場合、「料理人A」とか、「内科医B」というような呼び名で解析された「領域」が、すでに設定された「コマンド」として動くだけです。

テレワークを使った会議で、その内の1人が実在しない人物だったとしても不思議ではないでしょう。

他のメンバーの発言とこれまでの会議データを解析して、欠けている着眼点を「発言」として提供してくれたら、そこで十分に会議は白熱します。

「良いアイデアだけど、予算の見通しが立たないね!」なんて指摘されたら、「なるほど」と納得してしまうかも知れません。

でも、少し大袈裟な話ですが、そんなに遠くないところまで来ているでしょう。

生物に寄生するしかないウイルスが存在するのも、人々が交流する今だからかも知れません。

いずれ時代が変われば、海外にいる人が北海道の大学で学び、また北海道の酪農家が海外で酪農技術を現地の人に教えることもあるでしょう。

言い換えると、「高速通信」を使える人は、どんどん領域を超えて行くのに対し、使えない人は「昭和」「平成」と続いて来た時代の変化の中で生きるのかも知れません。

「令和」やその先の時代は、もう未来も過去もなく、さらには貨幣価値さえ意味を失っているかも知れないほどです。

巨大な通信網の中で1つのアドレスとして存在し、時には誰かが作り出した「クローン」相手にビジネスをして、労働に変わる報酬を得て、生き続けるのでしょう。

さらには、自己の存在も解析されれば「クローン」となって残り、「オリジナル」が失われた後も存在するのかも知れません。

しかし、膨大に膨らんだ通信網の中で、価値の無い存在はアクセスをされることもなく、「存在だけしている」状態になります。

時代を超えて残るものと、自然に忘れさられるものがいる世界は、現在のインターネットでも始めっているように思います。