意識を変えてみる
嫌いな先輩介護士がいます。
人によって態度を変え、後輩には不条理な理由で怒ります。
しかも、相手が怒らない、怒れないと分かってやるから嫌いなのです。
もう1人、別の先輩介護士が、そんな嫌いな先輩介護士と犬猿の仲であることは周囲も理解しています。
しかしながら、嫌いな先輩介護士、他の先輩介護士の中では「とても仕事ができて、親切な人」と評されています。
簡単に言えば、「表裏」があるんです。
後輩介護士たちにすれば、そんな意識のズレも周知の事実ですし、被害を訴えるか否かも計算しているのか、「裏の顔」が上司にバレることもありません。
サラリーマン時代に比べても、介護士の職場はとても狭いという印象です。
前々回に紹介した「新人さん」のへの対応も、サラリーマンの時にはそこまで手取り足取りはできなかったでしょう。
ただ、「介護」ではなく「施設介護」を学ぶ意識に変えることで、嫌いな先輩介護士ともコミュニケーションを取っていこうと思うのです。
例えば、利用者の中には「今日の夜勤者はどなた?」と質問される人がいます。
「〇〇さんですよ!」と伝えると、「そう、〇〇さん」と復唱されるのですが、毎回、微妙にトーンが異なります。
「嬉しい」と思う時もあれば、「大変だ」と思う時もあるのでしょう。
でも施設暮らしを続けることは、そんな「波」も乗り越えなくてはいけません。
いくらユニットケアが手厚い介護方法だとしても、手薄な時間帯になれば少数の介護士に身を委ねるしかないからです。
そんな利用者の心情を考えると、まだ自由度の高い我々後輩介護士は、「自らが選択できる」立場でもあります。
「施設介護」に切り替えると言っても、「介護」そのものの意識をなくすことはできません。
ただ、「介護」をすれば良いと思うのではなく、「施設介護」をしている先輩介護士たちの気持ちにも寄り添い、できる限り「施設介護」を目指したと思うのです。
「自分が損をした」と思うのではなく、「より多くを経験できた」と思えば、その出来事もありがたくなるからです。
昨日のレクリエーションは、手作り感満載ながらも、本当に利用者と介護士がいっしょになって楽しめました。
みんなの顔が生き生きとしていて、こみちに笑顔を見せてくれるのですから、「施設介護」だろうが「介護」だろうが関係なく、とても楽しい時間を過ごせました。
それは、こみちのテクニックがもたらしたものではなく、みんなが楽しもうと思う気持ちが連鎖し、一丸となった結果なのでしょう。
ある意味で、それがこみちの目指す「介護」なのですが、「施設介護」のレクリエーションの時間でもあります。
「ハイ、手を挙げて、1、2、3」と形式的にもできるのですが、表面的な言葉では伝わらない感情が共有化されると誰もが心から笑える時間になります。
突然ですが…
前回の勤務の時、こみちを見つけて手招きした利用者がいます。
「ウチの息子に何か起きたのだろうか?」とても神妙な顔つきで聞いて来たのです。
「どうして?」こみちが側に腰を下ろすと、「夢で見たんだ。よく当たる」と続けます。
そして、悩みを解決できなくとも、まずは不安感に包まれたその利用者に寄り添うことにしました。
というのも、コロナウイルスが猛威を振ることもあり、こみちの介護施設でも面会の制限が出ていて、頻繁に足を運んでいる多くの利用者家族も面会を差し控えてくれています。
その代わり、フロントを通じて受け取った物品は、毎日、利用者の誰かに届けられます。
口には出しませんが、家族に会えない不安を感じているのは確かです。
介護研修を受けていた頃に「夕方に家に帰るという利用者がいる」という話を聞きましたが、実際の勤務ではほとんど遭遇することはありません。
しかし、手を握ってきたり、腕を掴んだり、様々な方法で無意識に感情を表します。
そんな時はできるだけ手を繋いでいたり、話し相手になったりして、少しでも気持ちを落ち着かせるように心がけています。
こみちを手招きした利用者も話続けていましたが、「何かあったら、言ってくれるだろう」と諦め半分、自身に言い聞かせるの半分で、別の話題を始めました。
ある意味、人生の大先輩である利用者は、何も知らない子どもではありません。
事情も察してくれますし、こちらの困惑にも気づきます。
一方で、抑えられない感情や混乱する記憶や意識もあり、時には怒ったり騒いだりもします。
しかし、しっかりと向き合うことで利用者は必ず落ち着きますし、安心もしてくれます。
1日ではできませんが、日々の生活を通じて気持ちを共有化できるのでしょう。
できるだけ、「施設介護」も意識して、利用者と他の介護士とも「上手に」付き合っていけたらと思うのです。