「施設介護」に求められること
介護や福祉と言うと、優しい気持ちで温かく接する姿をイメージするのは、こみちだけでしょうか。
それだけに「介護職に就く」ということが、とてもハードルの高い選択だったのです。
そこで、こみちとしては「介護は何だ?」と考えるに至りました。
しかしながら、「介護」を考える中で、「施設介護」という手法があることにも気づきます。
両者の決定的な違いは、「感性」を伴うか否かでしょう。
冒頭に触れた通り、介護や福祉と言うと「気持ち」が大切だと思っていました。
人の痛みや、困りごとにどう支援の手を差し出せるのかが問われているように思っていたからです。
しかしながら、人の痛みというのは、同じではなくても、似たような経験が無ければ想像も妄想に過ぎません。
「きっとこんな気持ちなのだろう」と思えるのは、これまでの自分が体験して、乗り越えた結果でしか判断できないと思うからです。
例えば、月に50万円の仕送りがある人がいて、その人が「1円を拾い集める人」の心情を理解できるのだろうかと思うのです。
「心情」とか「感性」のように、心の揺れる様はどうしても可視化できません。
そこで、そこに至った背景や境遇などにも触れることで、よりイメージしやすい状況を展開するのが「小説」などの「文学」の役割の1つです。
人がどんな風に物事を捉えるか、そして生み出して行くのかは、幅広い分野の「小説」を読み込むことで得ることができます。
誰もが、生まれてから天命を全うするまで、一本線の人生しか生きることはできません。
しかし、他人と出会い、様々な立場や環境、境遇に身を置くことで、擬似的でも二本、三本と人生観を広げていけるはずです。
思うのですが、事務処理の早い頭の回転が速いと言われる人や、試験やテストが得意な人でも、人生観の面では必ずしも豊かで実りある意識を持っているとは限りません。
目標があって、そこに到達するべき方法が得意というケースも多いからです。
実際、こみちが想像できる「介護」の姿は、今の経験値と同等でしかありません。
それは別の人にとっては、広い価値観かも知れませんが、別の人には狭いだけでなく、偏ったものかも知れないのです。
それだけに「介護とは何か?」の明確な答えも、人によって大きく異なりますし、想定された範疇で語られる内容には釈然としないのでしょう。
そこで、誰もが「仕事」として継続できる「介護の意識づけ」が必要になります。
それこそが「施設介護」で、20代の若者でも40、50代の中高年でも、着実にスキルアップできるのが魅力です。
利用者からの眼差しに気づかされる!?
昨日、「続・新人さん、いらっしゃい!!」を書いていて、「介護」を追うのは一度止めて、「施設介護」に意識を切り替えてみたらどうなるだろうと思い始めました。
というのも、もう「介護」を追っても、今の勤務先で明確な答えは得られないと思ったのです。
そして、「介護」ができないくらいなら、別の施設に移動しようとも思ったくらいです。
一方で、介護士として中途半端な状態での転職は、メリットよりもデメリットの方が多いように思います。
そこで、「施設介護」に徹してからでも遅くないと結論を出しました。
そんな意識の転換を経て、今日の勤務では普段とは異なる意識で働いてみました。
ポイントは、利用者にもスタッフにも明るく接すること。
組織としての支援を考えてみんなで協力し合ったのです。
面白いもので、今日のレクリエーションはこれまでになかった盛り上がりです。
利用者の声もたくさん出ていましたし、我々介護士も懸命に動きました。
名調子でプロ並みの司会というのも大切ですが、手作りのようなアットホームな結びつき付きで、楽しめたのは利用者たちの眼差しがあったからです。
上手くできても、失敗しても、みんなが声を出している姿を見ると、「これもまた施設介護」なのだと思いました。
小難しく「感性」という言葉で「介護」と「施設介護」を区別していましたが、「みんなで楽しみながら暮らしていく」という気持ちがあれば良いのかも知れません。