お金の価値。人の価値。

お金の価値を考える


我々中高年がまだ少年だった頃、株式投資もそれほどメジャーな言葉ではありませんでした。

それだけに、「お金を稼ぐ」とは、労働力を提供した「対価」だったはずです。

しかしながら、平成、令和を迎え、「お金」の価値も随分と変化したように思いませんか。

「YouTube」に動画を投稿することが、「仕事」と認められるようになったのも、時代の変化を象徴するものですし、これからも「今はまだ存在しない職業」がたくさん現れることでしょう。

物々交換が行われた大昔、物の価値はとても曖昧だったはずです。

そして、貨幣が登場したことで、物の「価値」が「値段」へと変化しました。

思うのですが、「価値」と「値段」は似ているようで全く異なるものです。

その証拠に、物の価値が人によって変化するのに対し、値段は固定されたものだからです。

こみちはバイクが好きなのですが、愛車の価値は生活の一部であり、とても密接なもの。

しかし、値段となると、中古市場で年式や走行距離を見ればおおよその「数字」が出てきます。

つまり、価値を数値化したものが値段で、本来の状態から特定の特徴抜き出して「流通しやすくしたもの」なのです。

長い期間を経る中で、物の価値を考えることよりも、物を値段で考えることが増えました。

「高級な車を買った」という場合、その車の歴史やスペック、特徴などを熟知していたり、憧れていたりする人には値段以上の価値をもたらします。

言い換えれば、物の良さを分からない人にとって、値段が「高い」か「安い」かの判断しかできません。

しかし面白いもので、「高級な車を買った」ということも、購入者にとっては大金を叩いたことくらいの事実でも、物の良さを知る人には「夢のあること」になります。

たくさんの物や高額な物に囲まれた暮らしを送る人を見れば、こみちのような庶民はため息が出ます。

それは、その人に憧れるのではなく、自分自身が置き換わった時に「できるであろう行動」を想像するからです。

人の価値を考える


高齢者介護を仕事にするようになって、高齢者の方々がとても人間味豊かなことを知りました。

こみちの配属先が一般的な価格よりも高額なサービス料を設定していることもあり、入居者の多くが会社の経営者や社会的ポジションの高かった人たちです。

とてもゆったりとした部分を持っている一方で、その人それぞれのこだわりもあって、人の価値を数値化することはできないと感じます。

その一方で、こみちのような介護士は、報酬をもらうために仕事をしています。

1日働いていくら。1時間でいくらという具合に、「労働力」が「お金」になっているのです。

良い経営者と呼ばれる人は、「人を物のように」扱いません。

もちろん、仕事でミスをすれば怒ることもあるでしょうが、「従業員」を「私物化」するようなことはないのです。

そこには、人が物ではなく、値段をつけるにそぐわないことを理解しているからでしょう。

一方で、無意識に人を物のように扱う行為も存在します。

「お金をあげるから…」

そんな言葉を使う人は、人を物として扱う人です。

そして、そんな言葉で動いてしまうと、その人には「値段」が付いてしまったことになるのです。

ジュース一本かも知れませんし、お札1枚かも知れません。

その人の持つ時間や存在を、「お金」で支配できるのです。

ある人の話ですが、「奢られる」ことを嫌います。

その理由は、「値踏み」されているように感じるからだそうです。

特に親しい間柄ではない相手から「奢られる」ことに嫌悪感を感じと聞きました。

その時は、「そうなんだぁ」と思ったくらいですが、今にして思えば「価値」と「値段」の区別をしていたのでしょう。

見栄を張るというと、なんだか無理をしているように思いますが、大人と子どもで違いがあるとすれば、「腹を割る」という意味をきちんと理解することかも知れません。

意図や本音を話すことは、その人の存在価値を断片的に表現する行為です。

すべてを理解することができる一方で、聞き手が独自の解釈を挟む余地も生まれます。

「今、お金がなくて困っているんだ」

そんな言葉を耳にした時、「仕事探し」を助けることと、「お金を差し出す」ことには違いがあるでしょう。

そして、なんらかの上下関係や見下し感ができてしまうと、人は対等ではなくなります。

本来なら、従業員が経営者を敬うのは、雇用により報酬や技能、経験を受けられることへの感謝が源です。

「ある仕事を〇〇円でして欲しい」頼まれた時に、報酬以上に実績としての経験が大きな価値生むこともあります。

そこには値段だけでは分からない価値があって、労働者は人間的な成長を報酬合わせて受け取るのです。

悪い会社というのは、「報酬」意外に得るものがない会社でしょう。

5年経っても、10年経っても、その会社辞めてしまえば何も残らないという感じです。

人の価値を高めには、それを理解した人に出会って、たくさん話をすることでしょう。

仕事でのやりとりもそうですし、プライベートでも実感できます。

中高年の転職で気をつけたいのは、仕事をもらいたいあまり、自分を安売りしてしまうこと。

横柄な態度を勧めるのではなく、大人としての「品」を失って欲しくないのです。