「家族」を考える
これまでにも耳したことがあり、自身も口にしているだろう「家族」という言葉。
しかし、改めて考えてみると、「家族とは何か?」を簡単に答えられない気がします。
このスペースだけで、「家族」を語り尽くすことはできませんが、その一端に触れられたらと思います。
家族は組織である!?
家族を組織として見ると、ある着目点が思いつきます。
それは「契約」という言葉。
組織化を実行する際には、この「契約」や「約束事」を抜きにして語ることができないからです。
さらに言えば、契約で重要なことはその関係者が権利と義務の意味を理解していることが大前提なのです。
権利と義務は、ある事柄を主張するために自身が行うべき約束事になります。
口だけ出すけれど、自分では全く動こうとしない人はいませんか?
後になって、あれこれと文句を言ったり、不平不満を言い出す人はいませんか?
ある意味で、そんな人が組織に含まれていると、「約束事」がとても重要になります。
分厚い契約書を作成して、約束事に納得したことをサインしてもらう必要があるからです。
一方で、そんなことをするのはとても手間が掛かります。
組織化をする上で、柔軟性や流動性を保つためにもメンバーとなる人々の資質がポイントなのです。
ルールを決めるのは、ある目的を共通認識したいから作るのですが、解釈上の隙間を見つけて「想定外」の解釈をする人は曲者です。
約束事を破っているわけではありませんが、組織化する際にロスを生み出します。
良い大学に進学するべき理由
これはある意味で、命題だと思います。
その最大の理由が、組織化を支えるメンバーの「質」に関係します。
良い大学に通う学生は、難易度の高い試験を突破しています。
そこには、試験科目という名目の「約束事」を試されます。
問題文を読んで、より多くの問いに答えられる人ほど、「約束事」を理解して正しい答えを探し出せる人だからです。
その際、問題文の不適切さに意識を向けて、不備を認めされる人は「組織化」には馴染みません。
もちろん、そんな人が社会のバランスを取ることもあるのですが、一般的な組織化ではとても扱いにくいポジションなのです。
いずれにしても、評判の良い大学は、より健全な学生が集まります。
建設的な議論も盛んに行えるのも、ベースとなる知識や約束事を理解しているからです。
突飛な発想や斬新なアイデアを「凄い」と評価する傾向にあるとすれば、何の脈絡もないところから生まれた発想は「天才的」と評価するべきでしょう。
一方で、凄い発想が多くの議論の果てに導かれたものであれば、「秀才的」と言えるのかも知れません。
良い大学に行くと、正しいことに対する良い結果が導かれています。
それ故に、正しい考え方をすることで、未来を掴んだり、望むポジションを手に入れたりできるのです。
しかし、約束事が守らない組織に身を置くと、時に「ズルすること」が得になってしまい、場合によっては段々と組織が緩くなって規律を失います。
ある人だけが仕事を抱えていて、大変な思いをしているとしたら、どうすれば良いでしょうか。
もしもその人に敬意を払っていれば、仕事を再分担したかも知れません。
しかし、その人を憎んでいたり、よく知らない場合のは、自分に降りかからないことだけを願うでしょう。
組織という意味では、非効率になると規律が乱れてきて、段々と形骸化されてきます。
それでも組織が維持されるのは、もっと大きな影響力に支えられているからでしょう。
優秀な学生だと思うのは、理由と結論に十分な関連性が感じられる思考ができるところです。
何より、自身で補えない時に、「できない」という理由を明確に伝えることも重要です。
なぜなら、できないのにできるフリをして、瀬戸際になって投げ出したり、開き直ったりする人がもっとも面倒だからです。
Aの仕事を担当していた人が、Bの仕事に手を付けてみんなから称賛を浴びた。
しかし、後になってその人がAの仕事をまるでしていなかったので、受け手がとても迷惑したという場合、仕事の進め方として問題があるはずです。
良い組織では、Bに手を出すことは、Aも滞りなくできると判断してのこと。
だからこそ、両方をこなした人が称賛されるのです。
ダメな組織ほど、目立つところだけ首を突っ込んで来る人が目立ちます。
今の学力よりも一つでも二つでも良い大学を目指すべき理由は、そこにあります。
無慈悲な人には注意して
介護業界に入って、少数ではありますがこれまで出会ったことがなかったタイプの人に出会いました。
その1つが、「無慈悲な人」です。
その人は、自身を評価してくれる会社上司には良い人を演じるのに、部下や格下の人間には容赦ない仕打ちをします。
面倒な仕事を押し付け、ミスをすると何倍にも騒ぎ立てて謝罪を求めます。
使える人間を大切にして、使えない人間をゴミのように扱う。
組織という概念を持たないタイプです。
無慈悲な人に支配されると、人は虚しさを覚えます。
相手が憎いのではなく、ここにいる自分を恨んでしまいそうになるでしょう。
ちゃっかりと手柄を自分のものにして、「良い人」になることで自分を保とうとします。
さらに上司に訴えても、取り合ってくれません。
「あの人は良い人だよ!」と言って終わりでしょう。
組織化されていない職場は、時にこんな人が紛れています。
やはり、良い組織に加わることで、人は育ちますし、人としての温かさも覚えます。
特に学生時代や20代でそんな環境に触れていないと、中高年になって視野が極端に狭まります。
べちゃくちゃ喋るだけで、仕事を残していく人も、初めて出会った時には驚きました。
せめて仕事が残った理由を教えて欲しいものですが、意外と平気でやって退けます。
これでもこみちは、それなりに「良い組織」を経験しているので、とても残念な気分になります。
ズルして平気とか、他人が苦しくても見ないフリとか、ここが平気になってしまうと、約束事はできません。
つまり、家族という組織でさえ、残念な気持ちを抱えてしまうでしょう。
大金持ちだから良い家庭とは言えないのと同じで、貧乏でも家族が温かければ幸せを感じることはできます。
介護でも同じですが、利用者がグズった時に怒ってしまうタイプは仕事が向かない人です。
利用者が強い口調で言われているのを見掛ける度に、「なぜ、介護の仕事を選んだのだろう」と思います。
意外とそんな人が介護業界には多く、寄り添いや共感についても特別な気持ちを持っていないようです。
意味や手段に目を向けられるのは、組織化を理解しようとしている証拠。
できていないのにできたつもりになってしまうのは、自分の価値観だけで考えてしまう組織化に馴染めないタイプです。
仕事や転職を考える時に、家族の姿を思い出して見るのもいいでしょう。
そうすることで、組織化への意識が芽生え、仕事の役割や経験の本質が身につくからです。