高齢者介護で忘れてはいけないこと

健康な高齢者でも


こみちの勤務している介護施設では、70代から90代までの高齢者が入所しています。

特に、90代の利用者たちが元気で、施設での生活を工夫しながら暮らしているのが印象的です。

歌や体操にも積極的で、集まりの輪の中で笑みを浮かべながら楽しんでいる姿を見かけると、介護士としても嬉しくなります。

ところが、高齢者というのは、突然に体調を崩してしまうことがあります。

ちょっと熱が出たとか、鼻水が出たというものばかりではなく、「反応ないけど…」と経験の浅い人ならその光景に慌てふためいてしまうような状況です。

座っていても頭を支えることが出来ず、ガクッと首を折ったような姿を見せたりします。

半日ほどでウソのようにいつもの状態に戻ることもありますが、介護施設から病院へと搬送されることもあります。

中には状況が急変して、家族に連絡する間のなくそのまま息を引き取ってしまったケースもあるほどです。

1日の大切さ


高齢者でも我々現役世代でも、20代の若者でも、1日は同じだけの「価値」があります。

2月なら受験シーズンで、合格を目指して受験生が1日の重みを感じているかも知れません。

一方で、施設で生活している高齢者は、スケジュールに従いながらも同じテーブルを囲んだ他の利用者たちと団らんしています。

また、時には読書をしたり、音楽を聴いたり、テレビでドラマの再放送を楽しんでいる方にも遭遇します。

「どんな話何ですか?」

時間がある時は、利用者に質問して、ストーリーやその後の展開など、思うままに話してもらったりもします。

利用者の家族がフルーツやヨーグルト、ジュースなどを差し入れしてくれることもあり、希望があると提供しています。

「プリンが食べたいの」

呼ばれて利用者の元に行ってみると、嬉しいそうにそんなことを言ったりします。

幸せを感じる瞬間というのは、きっと金額ではありません。

喜びを感じられる「心」を持っていることが大切です。

施設で見かける利用者は、誰もがそれぞれの幸せを築いていて、毎日を楽しんでいるように思います。

介護とは何か?


難しい理屈を語ることで、介護を説明してしまうことがあります。

しかし、どうやら利用者の日常から見れば、介護はとても身近で貴重な存在なのだと分かります。

「あのジュースが飲みたい」

ジュースを飲むことに価値あるのではなく、自身で選択して希望を叶えることに「幸せ」があります。

「トイレに行きたい!」

そんな時に「今、手が放せません!」などと言って、連れて行ってくれない介護士がいると、急に世知辛さを感じるでしょう。

確かに介護士の仕事は大変なのですが、利用者の貴重な1日を実現するのも我々の心がけしだいです。

どこまで補えるかは人それぞれなのですが、できることなら利用者の大切な1日を有意義に過ごして欲しいと思うのです。

「介護」はとても奥深いと感じます。