「幸せ」って何だろう?
壮大なテーマなので、駆け足になってしまうことをご了承ください。
「幸せ」になりたいと思ったことがある人もいるでしょう。
では、「幸せ」って何なのでしょうか?
こみちなりの結論を言ってしまえば、「幸せ=自身の感性が生み出すもの」です。
自身の感性が生み出すので、例えば他人から押し付けられてもそれでは「幸せ」にはなりません。
また、そもそもの話をして、自身の感性が芽生えなければ「幸せ」を感じることもできないでしょう。
こんな人をイメージしてみる
『年齢が75歳の男性。既婚者で、子どもも2人いますが、すでに家を出てしまっている。
現在は妻と二人暮らしで、35年ローンで建てた郊外の一軒家でのんびりと暮らす。
しかし、最近は膝に痛みを感じ妻とも的に出歩かなくなり、自室でテレビを観て過ごすことが増えた。
心配になった妻から相談を持ちかけられた』
今現在は、自宅で暮らし、室内であれば一人でも歩くことができる。
料理や家事は得意ではなく、風呂洗いを日課にしていたが、膝が痛い時は「休み」にすることもある。
オヤツが好きで、テレビを観ながら食べることも多く、最近はお腹周りが気になってきた。
中高年の我々が気掛かりなのは、「生涯の仕事」に巡り合えるかということ。
年金で暮らせれば良いのですが、それも難しいとなれば、「収入確保」がとても重要だからです。
こみちも、介護の仕事に関係する記事を書きますが、「介護=生涯の仕事」と呼ぶべきかどうかは微妙です。
その理由は、介護は体力が必要で、中高年なら耐えられる仕事も60代を超えてできるのかは分かりません。
働きやすいので、仕事探しに困っているならきっかけとしてはオススメですし、こみちのように感じることなく生涯の仕事になる人もいるでしょう。
そんな人にとっては、あれこれ悩むことなく「介護」をやりがいある仕事として取り組めばいいと思います。
また、介護以外の仕事を見渡しても、結局は自身に合っているかどうかがポイントになってきて、それは「幸せ探し」にも似ているのです。
「自身の感性」を「自身の創造力」に置き換えて、価値あるものをどれだけ生み出せるかが「仕事」なのでしょう。
「生涯の仕事」を見つけるには、自分が何を専門とし、そこでどんな魅力を発揮できるかが重要です。
逆に、専門と呼べるものも生み出す力もなければ、生涯の仕事には巡り合えないでしょう。
つまり、無いものから何も生まれるはずはなく、やはり「目的」があるからこそ何らかの方法が見つけられるのです。
先に紹介した75歳男性の幸せって何でしょうか?
お腹が出ていることが気になっているかも知れませんが、テレビを観てオヤツを食べなくなったら、「幸せ」になれるでしょうか?
例えば、実は楽器演奏が趣味で、数多くの人と交流を続けてきたという経歴があれば、もう一度、活動的な暮らしをとりも出す中で幸せを見つけられるかも知れません。
しかし、特に趣味もなく、人付き合いも積極的でなかった場合、社会的な側面から「幸せ」に繋げるきっかけは見つかり難いでしょう。
生活費が確保できれば、人は趣味がある方が良いと思います。
なぜなら、それがきっかけになって「幸せ」を見つけやすいからです。
もっとも、ひとりの時間に幸せを感じることだってあります。
そんな人に、趣味を作って仲間を作りなさいといっても、ストレスが増えるだけかも知れません。
自分の幸せを探すことも大変ですが、さらに他人の幸せとなると難易度がアップします。
それは、自分が思う「幸せ」がその人にとってそうとは限らないからです。
こちらの想いを押し付けるべきではなく、相手の想いを尊重するのは最低限のルールでしょう。
しかし、幸せの形がないことも珍しい話ではなく、何となく生活してきた人も少なくありません。
「幸せですか?」「そうだなぁ」と答えるのも、もしかしたら「幸せ」を改めて考えたことがないからかも知れません。
高齢者が介護サービスを利用する場合、少なくとも自分自身の「幸せ像」を聞かれます。
その時にどうしたいのかが言える人は問題ありません。
しかし、絶対かと言われれば、何となくと曖昧になります。
ある意味では、我々の仕事探しと同じで、高齢者の幸せも考えて答えられるものではないのでしょう。
どんなことをして来たのかや、どんなことで心が揺さぶられたのかなど、これまでの経験が伴わないと「幸せ」なのかも判断できないはずです。
ケアマネになれば、利用者の要望に応じたプランを作ります。
しかし、どんな計画にするかは、ケアマネの仕事力と利用者の人生観がマッチしなければ難しいでしょう。
形式的なプランなら、パターン化すればできます。
しかし、そんなプランばかりになれば、AIが作っても遜色ないでしょう。
「幸せとは何か?」を深く考えて来たからそこ、ケアマネとして、利用者として盛り込みたい内容が出てくるはずです。
現状に満足した人は、苦労してまで自分を変えることはないでしょうし、その以上に努力する理由も見つかりません。
何を変えたいのかが見つかっていない人に、周囲があれこれと心配しても、「幸せ」にはならないでしょう。
結局は、その状況になってみて初めて困惑するのであって、アドバイスで自分を律せられる人はとても優秀です。
ダメな生活を指摘されても直せないように、普通は段々と自分の可能性を狭めながら年を重ねていきます。
そして、ちょっとした意識の変化で見つけられる「小さな幸せ」を探すのです。
もう少し早く、そんな気持ちになっていれば、自分が求める「幸せ」だって掴み取れたかも知れないのに、変えられなかったという理由で「あの時に…」と後悔するのでしょう。
中高年の我々が、20代の若者に戻ることはできません。
しかし、70代80代を楽しく過ごせるために今を使うことはできます。
「幸せ」探しは、1秒でも早く始めた方が可能性を残すことができるのです。