人が壊れていく過程を考える!?

「東大生」は優秀なのか?


いきなりの質問ですが、東大生は優秀でしょうか?

素直に「優秀だ!」と答える人がいる一方で、こみちのように「何に対して?」と突っ込む人もいるでしょう。

確かに何について「優秀」なのか分からないと、何も判断できません。

しかしながら、素直な人は、「きっと〇〇という意味で言っているのだろう」と自身で補完して答えているのです。

優秀という意味を「頭が良い」と置き換えた時、「頭の良い」も記憶力や計算力、判断力や行動力、またその複合系と考えられます。

東大に合格するには、一般の受験生よりも決められた時間内でより高い得点を獲得する必要があります。

もちろんですが、満点以上を取ることや、制限時間を超えた得点は認められません。

また、世の中に存在するパソコンや人脈を使うことも禁止です。

そう考えると、社会人版の「東大受験」で合格する人は、学生時代のそれとは異なることも考えられます。

ここで大切なのは、完璧な人は存在しないということ。

計算力が高い人はいてもトップになるのは1人だけで、別の分野にはまた別の1人がいるからです。

東大生の優秀さというのは、単独での事務処理やルールに沿った判断力が受験生全体の上位数%に入っているというものでしょう。

人が壊れてしまう理由


人は簡単に壊れてしまいます。

肉体的にも精神的にもです。

東大を受験するような人は、自分を壊さないように「勉強」できる人でしょう。

1日に3時間で合格する人がいる一方で、18時間も勉強して合格した人もいるはずです。

一般人というのは、数時間も勉強すると集中力を失い、勉強以外のことを始めてしまいます。

それは、ある意味で「心や体を壊さない」工夫だと思うのです。

結果を出さなければいけないことが、社会に出れば幾度もあります。

しかし、勉強をして来た人は、自分なりのペース配分をわきまえて努力を積み重ねることができます。

一方で、スポーツなどに親しんだ人もプロセスは異なりますが、同様に結果を出せるでしょう。

ところが、勉強をせずに「結果」にありつけた「天才タイプ」は、社会人になって「ルール変更」が起こると苦戦することも珍しくありません。

記憶力がすごいと言っても、パソコンのハードディスクには敵いませんし、計算力も同様です。

判断力でさえ、AIが人を超えようとしています。

つまり、学生時代に感じた「優秀さ」は、社会に出るとそのままでは使えません。

言い換えれば、学生が社会人になった時に、「何を守り、何を人に振るのか」をいち早く理解しなければいけません。

その意味で、人が壊れてしまう理由の1つは、この切り替えに失敗した場合です。

学生時代ならスゴイと言われたのに…。

そんな思い出から抜け出せないでいるのでしょう。

もう1つ、人が壊れてしまう理由は、「守るべきこと」を奪われた時です。

例えば、「働き方」や「生きる意味」というのは、自分の「守るべきもの」です。

小説になって活躍したいと夢見る人は、今は無理でもいつかは世間から評価される「1冊」を出したいと思っているでしょう。

それなのに、「キミには無理だよ!」と言われたらどうでしょうか。

編集部員に言われたならアドバイスをもらうこともできますが、本も好きではないような人に思いつきで評価されたとしたら気持ちは複雑です。

もちろん、無視すれば良いのですが、問題は就活面接官が相手だった場合です。

就職はしたいけれど、何で「自分の大切に思っていること」を面接で指摘されないといけないのかと思うでしょう。

小説でなくても、過去の経歴や家族など、大切なものを他人から批判されるのは心が痛みます。

職場ではどんなことが起こるか?


自分にしかできないような高度な案件で多忙になるのは、意外と乗り越えられます。

しかし、誰にでもできるような仕事を一歩的な理由で納期を決められて、そのために寝る間も惜しんで仕事続けるのはどうでしょうか。

「オレは何をしたいんだ?」と現実と理想の狭間で苦しみます。

ある意味で、他人から全く評価を得られない場合も「モチベーション」を保つのに苦労します。

介護職であれば、複数の利用者からコールされた時、「もう回せそうにない!」とテンパってしまうかも知れません。

仕事を処理できない自分自身に苛立ち、あたふたして「介護なんて!!」と思ってしまうでしょう。

しかし、同じ時間帯に働く介護職がいるのに、全く動いてくれない場合、「アイツ、何で動かないんだ!?」と自分自身に感じた時よりも明確に怒りとなって心が乱れます。

「(自身が思う)介護の仕事をしたい!」

けれど、コールが重なれば、そうも言ってられないのが現実です。

その時に人は、現実に合わせて理想を改めます。

それは方法かも知れませんし、理想の領域を削ぐことかも知れません。

いずれにしても、現実に直面して、人は変化していきます。

理由や原因があって、さら納得できれば、人は変化を受け入れることができるでしょう。

しかし、強制や原因不明のような場合、不条理な場合も、人は壊れながら現実を受け止めます。

その度合いが限界を超えたら、人は理性を失って、行動に理由を求めなくなります。

自分の肉体と精神が乖離すれば、もう制御することもできません。

このような状態になることを、「人が壊れてしまう」というのでしょう。

人を育てる方法!


先ずは「守るべきこと」を見つけることです。

自分の家族や恋人というのは典型例です。

そうすれば、動機ができるので、人は頑張ろうとします。

大きな守るべきことの他に、小さな守るべきものもできると、仕事の取り組み方にもその人なりのこだわりが生まれます。

質が向上する他、サービス精神も生まれて、評判が良くなります。

そんな時に出た失敗は、大きな問題にはなりません。

なぜなら、失敗を克服する努力ができるからです。

介護職の場合、上司からの「信頼」は新人教育でも重要です。

上司から認めれていないとか、不信感を新人が感じてしまうと、ヤル気が起きません。

「どうせ…」という消極さが芽生えます。

つまり、上司は新人に対して、褒めながら改善点を指摘しなければいけません。

「ここまでは良かった。でもこうしたら、この失敗も改善できる」というように、ダメ出しで終わらせないようにしましょう。

「こんな風になれる!」という理想像を示すことで、今の困難さに意味づけをすることも重要です。

「介護は人手不足だから仕方ない!」というと、犠牲的精神しか残りません。

高齢者の生き生きとした笑顔に、介護職としてどう理由づけし、モチベーションに変えられるかがポイントです。

介護は、介護職からの一方向ではないことも理解する必要があります。

それぞれのステージに合った介護支援が求められるのでしょう。

環境作りをすることで、苦労もやりがいに変化できます。

コーチング理論も、同じようなことを目指して行うのでしょう。

新人に対しては上司が、上司に対しては施設が、「理想像」を語る必要があります。

そこの掘り下げが浅いと、指示や命令も雇用上の意味合いしかなくなり、場合によっては別の仕事に目移りしてしまう新人も出て来ます。

離職者も多くは、初めから辞めるつもりではありません。

しかし働く中で違和感を持ち、疑問や目的を見出せずに解決を諦めたことで職場から離脱するのです。

つまり、厳しさの中にも目的や根拠が明示されないと、人は思うように育ちません。