現実的な問題
正直な話をすると、こみちが「介護士」になるのには大きな抵抗がありました。
別の記事にも書いたように思いますが、高齢者の世話をすることに戸惑いがあったからです。
もう少し具体的に言えば、「シモの世話」が自分にもできるのだろうかと思いましたし、高齢者に情が湧いて来て「もしもの時」どれだけ落胆するだろうと考えたからです。
実際、施設介護をしていると、それぞれの利用者の性格が掴めます。
高齢者はつまらない駆け引きをしませんので、喜怒哀楽がはっきりとしています。
「要りますか?」
素直に尋ねれば、「要る!」か「要らない!」と教えてくれます。
つまり、もしかしてして欲しいのでは無いかと思ったことは、何でも聞いてみればはっきりとします。
それだけに、介護士としてできる可能性はかなり広がります。
しかしながら、多くの介護士がそんなことを考えているわけではありません。
むしろ、少数派です。
もしかすると、それはこみちが勤務している施設だけの話かも知れませんが、みんな割り切って働いています。
利用者に対する行動も、自立支援という観点よりも、事故やアクシデントになるか否かが基準だったりします。
なので、利用者に言われて定時以外の作業をしていると、「どうしたの?」と他の介護士から尋ねられます。
「確認して、必要なら作業をしようかと…」
なぜなら、利用者から申し出があった場合、「不要です!」と介護士が声を荒げても、それで静かになることがありません。
むしろ、いつまでも「見てください!」「替えてください!」を繰り返してしまいます。
本人にすれば、何らかの異変を感じているのですから、見もしないで「不要」と言われても納得出来ないでしょう。
だからこそ、少し手間に感じるかもしれませんが、「確認」というOne行程が必要なのです。
ところが、実はこみちの前に言われていて、無視していたという介護士が「どうしたの?」と聞いてくるのです。
こみちにすれば、別の介護士が出来なかった(しなかった)理由には興味もありません。
というのも、こみちが終えた後になって「言ってくれたら代わったのに!」という介護士がいるからです。
とにかく動かないし、しているフリがうまい。
そんな介護士が結構な数います。
つまり、シフト勤務で、手抜き介護士と一緒になった場合、自身ものらりくらりと作業するか、彼らを無視してドンドン仕事をしていくかのどちらかしかありません。
評価されないことも多い!
介護の仕事が難しいのは、評価できないところでしょう。
事故やアクシデントなど、明確な失敗は分かるとしても、良いオムツ交換とちょっと良いオムツ交換の差は曖昧です。
オムツ交換の後、どこまできれいに衣類を整えたかも程度問題になってしまいます。
そこで、自分が利用者に関わった時に、この状態で満足かはどうかは本当に自己満足の世界です。
「エエ!?」という状態でも平気な人がいれば、「きっちりしているなぁ」と思う人もいるからです。
変化する様子
ある利用者の容態が安定しません。
1日の中で数時間くらいは意思疎通もできて、表情にも変化が見られます。
しかし、気づくと傾眠状態になっていて、体調不良なのか、加齢によるものなのかと気がかりです。
介護士の仕事を敬遠していた理由でもありますが、その人のことをよく知っているのに、何もできないで見守る状況がとてももどかしく、やるせない気持ちになります。
できる限りのことをしてあげたいと思っても、「介護士」という立場では限界もあります。
とは言え、他の介護士の接し方は、本当にドライです。
わざと感情移入しないようにしているのかと思うほどです。
休み明け、その利用者がいつもの席に座っていてくれたらと思いながら休日を過ごすこともあります。
実際に、休み明けで出勤し、連絡ノートで「旅立ち」を知ったこともあります。
携わっている仕事はとても大切なのに、その大切さに見合ったスキルや評価は期待できません。
だからこそ、介護士としてはできることをしっかりとしてあげたいのです。
時には、他の介護士の問い掛けに気づかないフリもして、できる作業を率先しています。
そうでなければ、どうやって介護士としてのモチベーションを維持できるのか分からないからです。
「事故さえ起こさなければいいのだ」
そんな気持ちで利用者に接するのは、ちょっとこみちにはできません。
施設での生活は「人生の終わり」ではなく、「終わりに向かう途中」です。
自宅に帰る人もいますし、そこで全うされる方もいます。