介護過程を学べば
介護の仕事を始めるにあたって、初任者研修と実務者研修がオススメです。
両者の違いは「即戦力」か、「ケアプラン作成」までを見越しているが異なります。
初任者研修は、通学でも2ヶ月ほどで終了するので、介護の基礎を駆け足で学ぶコースになっています。
介護施設で働きながら、現場での経験をプラスして、介護士として活躍することが期待される存在です。
一方の実務者研修は、3年以上の実務経験を加えて介護福祉士となり、さらにはケアマネまで目指して欲しいというコースになっています。
ご存知の方もいると思いますが、ケアマネの仕事は「ケアプランの作成」です。
もちろん、計画書を作るだけではなく、利用者やその家族、さらには支援する医師や看護師、訓練士や介護士など、いろいろな立場でサービスを提供する人たちと連携することも役割となります。
「介護過程」とは、基礎部分については初任者研修でも触れますが、メインは実務者研修の受講者たちが関わる分野で、利用者の支援方法を検討するのが役割です。
ICF(国際生活機能分類)とは?
こみちが最初にこの「ICF」に触れた時、なんだか小難しい話だなぁと感じました。
なぜなら、因子と呼ばれるカテゴリーがあって、さまざま項目をこのカテゴリーに分類するからです。
こみちの解釈が正しいのかは分かりませんが、介護で欠かせない「複数の視点を持つこと」を系統的に学ぶものだと理解しています。
例えば、「心身機能・身体構造」というカテゴリーには、手先が上手くつかないなどの原因が当てはまります。
また、「活動」のカテゴリーには、日常生活でしていることやできることを挙げていきます。
具体的な検討として、「買い物に行ける」ということも、「歩けること」「欲しいものを認識すること」「お金の計算ができること」など、いろいろな行動が満たされなければできません。
そこで、この「ICF」では、心や体の問題として「できるのかどうか?」を判断します。
また、「活動」として、何ができるのかを検討します。
例えば、「活動」のカテゴリーに、「毎朝、散歩をしている」と記されていれば、「ある程度の歩行」は問題ないと判断できるでしょう。
また、「家計簿をつけられる」のであれば、「計算や記入」などもできそうです。
しかし、「身体構造」の部分で、「手に震えがある」という場合、もしかすると財布から小銭を出すことが困難なのかも知れないと予測できます。
このように、ある目的をゴールと考えた時に、何ができればクリアできるだろうと項目としてピックアップし、利用者の現状と比較します。
そうすることで、何ができて、何が問題なのかが確認できます。
また、ここからがICFの最大の目的なのですが、「どんなやり方が考えられるのか?」、「どんなサポートがあればできるようになるのか?」も確認できるのです。
介護支援では、利用者のできることを奪うことはしません。
衣類の着脱ができる人に世話を焼けば、やがてできなくなってしまうからです。
そうではなく、できないことも原因を探ることで、どこに問題があり、どんな解決策が考えられるのかをあぶり出すことの意味があります。
不登校になってしまう子どもたちから学ぶ
近年、学校に馴染めない子どもたちが増えているそうです。
こみちは「イジメ」が原因だと思っていました。
しかし、問題はそんなに単純ではなく、心の問題だったり、環境の問題だったり、これまでの習慣が影響しているということもあるかもしれません。
つまり、「なぜ、学校に馴染めないのか?」をカテゴリー別に検討することで、その原因がもう少し明確になると思うのです。
学校では、知識を学ぶこと同様に、社会性を学ぶことも大きなテーマでしょう。
塾や参考者を使えば、知識を補うことはできます。
つまり、学力不足が問題なら、もう少し分かりやすく教えてくれる環境を見つければ良いと言えるでしょう。
一方で、社会性につまづいた場合、「集団行動」になれることから検討しなければいけません。
人の考え方は本当にさまざまなので、本来の正解がその場の正確とは限りません。
ある人にとっては、「合わせること」に戸惑いを感じ、ある人は「間違えたことを正解」と理解することもあるでしょう。
実際、大人になっても100%「正解」を理解した人はいませんし、誰でも歳を重ねながら成長しています。
ただ、「経済力」が身につけば、それだけで生きていくことができます。
そして、「生きていくこと」と「社会性」は別のもので、「生きる力」があっても他人と馴染めない人だっているはずです。
周囲からは「あいさつもしない」とか、「いつも壁を作っている」とか言われてしまいます。
こみちも社会性豊かな人間ではないので、人の中にいると疲れるなぁと感じます。
「介護の仕事」に向いていないと思ったのもそんな理由からです。
少し話を変えて、「小学校や中学校」と「高校」さらに「大学」では社会性の内容に変化があります。
小学校のクラスメートが、近所の友だちだったとすれば、「大学のクラスメート」は全国から集まります。
帰国子女で外国語が堪能な人もいれば、ひと回りも年上の人もいて、それぞれが別の世界観を持っています。
しかし、「大学」という括りの中では共通した仲間なので、同じカリキュラムを一緒に学びます。
発想も違えば、経験値も違うので、「そんな答えもあるのか!」といい刺激になるわけです。
社会性=生き方の選択肢と考えると、「いい大学」の役割は大きいでしょう。
特に、自分よりも優れた人に会うことがポイントで、劣等感を持つのではなく、自分の役割や価値観を考えることに意味があります。
なぜなら、偶然にビジネスで成功して大金持ちになっても、人の痛みや弱さを知らなければ、お金で夢を叶えるしか思いつきません。
お金でできることや感じられることってとても少なくて、手に入りやすいものばかりです。
なぜなら、そんな風に「商品」は価格をつけて販売されているからです。
一方で、「自身の掛けがえのないモノ」は、自分の成長が伴わないと手に入りません。
思うに「幸せ」などの類いはそうだと思います。
介護の仕事でも、利用者のできないことを手伝うだけなら手を貸せば済みますが、利用者の幸福を支えるには、その人の人生観を理解しなければ難しいはずです。
そこまで深く介護を考えると、「介護士」として働くだけでは不十分で「社会性」が欠かせません。
不登校になった子どもたちも、最初は本当にちょっとした原因から始まっているように思えます。
「からかわれた」ということだって立派な不登校の原因ですが、もしかすると相手のコミュニケーション力不足が問題だっただけかも知れません。
本当はもっと親しくなりたくて、でもどうすればいい関係になるのか分からずに、「からかい」を手段にしたケースだってあると思うからです。
同様に、誰をイジメでしまったの場合も、自身の環境に気づいて欲しくて「乱暴的な行動」に表すしか思いつかなかったのかも知れません。
本来なら大人が気づいてあげられるといいのですが、大人だってさまざまなので、全ての人がフォローできるわけではないでしょう。
高齢者介護と同じ目線で考えるべきではないと思いますが、両者ともにちょっとしたことがポイントで、それがとても難しいように感じます。
特に信頼されると人は成長できますが、批判の中では思うように成長できません。
失敗を批判せずに、長い目で見守る心の余裕さが、これから求められると感じます。