介護士の誇りとは?

介護の仕事がしたいのか?介護の仕事しかなかったのか?


介護現場で働いていると、利用者のプライドを傷つけるような振る舞いをしている介護士を見かけます。

それが無意識によるものなのか、それとも意図的なものなのか、はた目には判断できません。

ただ、とても微妙な振る舞いなので気になります。

例えばこんな感じです。

「〇〇さん、これもリハビリですよ」

いつもなら間違いなく車イスを使っている利用者Aさんを押して移動する場面。

その利用者は、戸惑いながら両腕を懸命に使って進もうとしています。

しかしながら、その速度はとてもゆっくりで、はた目から見ると「なんでそんなことを?」と感じさせるのです。

しかも、5メートルほど進んだ利用者に「上手くできたじゃないですか!?」と言いながら、その介護士が急に車イスを押し出します。

見ようによっては、できないという事実を認識させ、介助するという強みを見せつけているようにも取れるのです。

同じような場面は、いくらでもあります。

両者の違いは、介護士に「温かさ」を感じるか否かでしょう。

その介護士の態度に疑問を持つ原因は、普段の介助方法や後輩介護士に面倒な仕事を押し付ける姿をよく見かけるからです。

ステーションの一角でファイルをいくつも広げて、事務仕事をしているような雰囲気を演出したかと思うと、その日のスケジュールで発生する作業を後輩介護士たちに振り分けます。

「〇〇号室、排せつ介助ね!」

「〇〇号室の〇〇さん、〇〇薬の塗布ね!」

「洗濯物が出来上がったらよろしくね!」

こんな具合で、後輩介護士をアゴで使います。

ところが、先輩介護士がいるとまるで別人のように動きます。

見ていて驚くぐらい人が変わります。

その介護士が見ているのは利用者ではなく、会社の組織なのです。

自分が評価される相手か否かで180度方法を変えます。

利用者に寄り添えないなら介護士を続ける意味があるのか?


ある利用者は、既に亡くなった配偶者のことをまだ生きていると思い込んでいます。

その利用者の娘夫婦は、悩んだ末に事実を伝えたそうです。

しかし、軽い認知機能の低下が見られた利用者は、「元気だろうか?」と配偶者のことを訊ねます。

「こみちさんは、妻に会ったことがあるか?」

「いいえ。ありません」

「実はこれからタクシーを呼んで欲しいんだ。妻のいるところまで行きたいと思っていてね」

「今からですか?」

事実を告知するだけなら簡単です。

しかし、それだけでは利用者が事実を理解することはできません。

先に紹介した介護士が「〇〇さん、そんなの無理です! できません!!」と強く言いました。

どうなるのかなぁと見ていると、利用者が「タクシーを呼んでくれ!!」と感情的になって叫び始めました。

「どうしました?」

そこから利用者への寄り添いが始まります。

話を聞くと、利用者は数年以上会っていない配偶者のことが気がかりで、できればその姿を見てみたいと思っていて、もしもタクシーで行ける距離なら今すぐにでも会いたいというのです。

もちろん、配偶者は数年前に他界しているので、もう会うことは出来ません。

「アイスクリームを持って行こうと思っているんだ」

「アイスクリームが好きだったんですか? 〇〇さんが好きなアズキのアイスですか?」

「タクシーを呼んでくれないか?」

「今日は外が寒いですよ。風も強いし、もう少し暖かくなる春以降にしてはどうですか?」

「そんなに風が強いのか?」

一緒に窓から外を眺めながら、「よく晴れているですけど、ほらあの木、ずいぶんと揺れているでしょう?」

「そうだなぁ。今日は難しいかも知れないなぁ…」

一瞬、上手く話が収まると思いました。

「そうだ、こみちさん。アイスクリームを買って来てくれ! お金は…今度家族が来たら払ってもらうから」

仕事の合間に、その利用者から呼び出され、そんな会話をつづけました。

結局のところ、初夏を迎える頃に考えることで納得してもらえました。

驚いたことに、「妻とは会えなくても仕方がないんだ。覚悟もできている。ただ、どんな風に過ごしているのか知りたいんだ」と教えてくれたのです。

こみちの記憶が間違えていなければ、配偶者の方はその利用者の顔を見ても気づかないくらい認知機能の低下していたそうです。

それだけに、家族も積極的に合わせようとしなかったという話を聞きました。

その利用者が本当はどこまで認識しているのかこみちには断定できません。

しかし、認識というのはとても曖昧で、解釈によっても随分と異なるものです。

「こみちさん、オレは間違えたことを言っているだろうか?」

「いいえ。気持ちはわかります。ただ、今すぐは手続きもありますし…」

「手続き!? そうだなぁ。悪かったよ。キミには迷惑を掛けたね」

そう言うと、その日はもう話を続けることはありませんでした。

こみちとしては、「知りません」「ダメです」という言葉で切ってしまうのは簡単でも、それをしてしまうと介護現場で働く意味を失う気がします。

言い方は悪いですが、生きているだけの利用者になってしまうからです。

たとえ願いが叶わなくても、利用者が思う気持ちに耳を傾けなければ介護ではありません。

貴方は介護の仕事を選んだ人ですか?それとも…


日常のスケジュールも細かく指示されながら、利用者の気持ちに寄り添うのはとても重労働です。

しかし、そこで手を抜いてしまうと、「介護の仕事」しか採用されなかった人になってしまうでしょう。

人の心に寄り添うのは簡単なことではありません。

事実、人は心を開いてくれると、とても我慢してくれます。

しかし、信頼関係が乏しいと、ちょっとしたことで不満が溢れ出します。

介護は技術だけでは上手くならないと思います。

利用者の立場になり、どうしてあげることが介護なのかを考えないといけません。

いつも正解を答えることが介護ではなく、一緒に悩んで考えたことが介護なのです。

介護は、時に面倒な仕事です。

要求に応じるのは無理だと分かっていても、相手の言い分から何かの意味や目的を見つけたりもします。

自身のプライドを保ちながら仕事したい人は、介護士は向きません。

働きぶりを見ると意外と分かるもので、介護の仕事を進んで選んだのか、それしかなかったのか、振る舞い方や寄り添い方に違いが現れます。