仕事とは何か?
生活を維持するために行われる「仕事」ですが、その職種や内容は多岐に渡ります。
一方で、職種によって報酬額にも違いがあり、一般的には専門性や高いニーズのある場合には金額も増加します。
学校を卒業する頃、学歴による進路に違いはありますが、多くの職種に進むことができるはずです。
また、専門性の高い職種は、資格制になっていることも多く、大学や専門学校などでその専門知識を身につけることになります。
中高年になると、職種は限られてきます。
これまで親しんできた業界、さらに介護をはじめとした窓口の広い職種が候補になるでしょう。
個人的な見解ですが、中高年になると職種が限られてしまう理由があるとすれば、「仕事」への解釈が若いことよりも柔軟になっていくからでしょう。
具体的に言えば、「どんな仕事をしている」かよりも、「どれだけ稼げる」のかが仕事選びの基準となり、採用されるのであればある程度の仕事ならこだわらなくなります。
仕事と家庭
昭和世代の家庭で育ったこみちのような中高年にとって、「仕事をする父親と家庭を守る母親像」がまだまだ残っていました。
しかし、今では女性の社会進出も珍しくなくなり、企業のトップや管理職を女性が担っているケースも当たり前のことです。
それに伴い、男性の家事も特別なことではなく、夫婦で家事を分担することも不思議ではありません。
高い専門性のある仕事をしている人でも
仕事ができるからと言って、「家事は人任せでもいい!」という人は減っているはずです。
なぜなら、専門性が高い職種は、確かに精神的に疲労したり、肉体的に酷使することも多いようですが、「仕事に対する報酬」は案外と曖昧に決定されているからです。
例えば、医師の給料は医療行為によって得られるものですが、その報酬は予め割り振られた「点数」が基になっています。
初診料なら288点のように、項目ごとに点数が決められていて、それが医師の給料へとなっていきます。
もしも、その点が288点から144点に引き下げられれば、理論上の給料が50%ダウンすることになるわけです。
もちろん、市場の動きやマーケットの動向を確認しなければ、点数だけが勝手に上下動するわけではありません。
しかし、各業界に存在する「大手企業」が窓口となり、「中小企業」へと仕事が流されているとすれば、市場を動かせるのは限られた存在とも言えなくありません。
何が言いたいのかというと、仕事に対する報酬の高い低いは、制度や組織と深く関わり合いながら決まっていくものなのです。
そうだとすれば、自身の仕事に関係なく、生活を営む上での「家事」を疎かにするべきではありません。
なぜなら、生活がしっかりと確保されていることがベースであり、そこに仕事が付いているからです。
茶碗洗いや料理、洗濯をしたことない人が、ある「特定の仕事」ができるというだけで、家事に関心を示さない時代は過去のように感じます。
それは介護士になって顕著に感じることなのですが、食事や入浴、トイレのような誰もが当たり前に行う生活動作に不便を感じると「仕事」どころではなくなります。
「絶対」と「できるなら」の違い
仕事をする上でポイントになるのは、「絶対」なのか、「できるなら」なのかということ。
介護士の仕事は、利用者の生活支援という性質から、悪天候だからという理由で欠勤はできません。
もちろん、そこには限度もありますが、一般的なサラリーマンが先延ばしにできる仕事でも、介護士なら日々の生活に関わるので難しいのです。
つまり、介護士の仕事は「絶対」なのです。
120%の余力が合っても、100%以上はカウントされません。
しかし、現場が慌ただしくて、80%になってしまうと20%削減された理由が問われます。
一方で、「できるなら」という仕事もあります。
片手間に行う仕事などがそれに当たるでしょう。
疲れたから、やる気が起きないから、どんな理由でもできないならそれでも良いという類の仕事です。
しかし、実際にはそんな仕事は数えるほどしかありません。
もしも先延ばしにすれば、待っていた人にとっては落胆ですし、場合によっては別の人がこっそりとカバーしてくれたりするからです。
介護士の仕事は、何かと「絶対」が多いようです。
「できたら」の仕事は、利用者との団らんくらいです。
エ?っと思われるかも知れませんが、介護士はそれくらい「絶対」が多い仕事で、イメージにあるような高齢者との触れ合いは仕事で空いた時間を使います。
忙しい現場では、利用者と介護士とが別々の時間を過ごしていることも珍しくないのも頷けるでしょう。