「介護」は特別なものではない。でも、当たり前のものでもない。
利用者は何らかの原因があって、施設のサービスを必要としています。
「トイレに行きたい!」
今さっき行ったはずでも、利用者がそう思うことは無いとは言えません。
我々だって、お腹が痛い時、トイレで用を足したつもりで出たものの、しばらくすると「トイレ」に行こうかなと思ったりするでしょう。
ある人は、「お腹を壊していたらね!」と言ったりします。
そんな思考をしてしまうのは、介護士として危険だなぁと思うのです。
こみちの先輩ですが、2時間を経過しないとトイレに連れて行かない人がいます。
理由は簡単で、まだ我慢できるからだそうです。
「さっき行ったから、大丈夫です!」
介護士が利用者の気持ちを代弁し、行きたいと言っても連れて行かないのです。
確かに、利用者によっては、立位こそ取れるものの、立ち上がりなどが不安定で、介護士に負担が掛かるケースも少なくありません。
だから行かないというのはとても変な話で、こみちとしては、「だったら介護職以外の仕事を探せばいいのに」と思います。
それも、「介護」が日常生活をベースにサービスが提供されるから起こってしまう理由です。
その意味で、介護は特別なものでは無いと思います。
しかし、同時に当たり前でもなくて、利用者がなぜ訴えているのかを考えて行動するのが介護士の役割に他なりません。
つまり、頭ごなしに利用者の訴えを排除してしまう介護士ほど、迷惑な存在はありません。
先輩である人に申し訳ないと思いますが、「介護士」に向いていないと思います。
あの利用者は無口だった?
こみちの勤める施設には、いくつか支援方法があって、提供しているサービスに差を設けています。
しかし、内情を話せば、明確な差もないですし、差を設けている理由さえも気づいていない介護士も目立ちます。
ある利用者がこみちの配属先に送られて来ました。
理由は元の配属先で他の利用者との不仲が目立ったからです。
しばらくして、その利用者の性格が分かってくると、承認されやすい声掛けとされ難い声掛けがあることに気づきます。
確かに、ちょっとした言い方を間違えると、そのあとは不機嫌になったままということもあります。
しかし、懐に入ると、過去の思い出話なども積極的に話してくれ、さらにその方の人生観に触れることができたりもします。
ある時、元の配属先の介護士が来て、「あの利用者は無口だった」と言っていました。
それを聞いて、「こちらではよく喋ってうるさいくらいだ」と答えたので驚いています。
こみちは別の仕事をしながら、やり取りに耳を傾けていました。
そして、無口なのもおしゃべりなのも理由があると考えていたのです。
介護士中には、他人の人生観に興味がなかったり、「人生観」そのものを改めて考えていなかったりする人がいます。
少なくとも、なぜ思い出話をするのかに疑問や不思議を感じません。
「嗚呼、あの話でしょう!?」
話の上部を知っているだけで、そのエピソードをどうして覚えているのかも、そこで何を感じ取ったのかも、聞き出そうとしません。
そこには性格や生い立ちなど、その人の過去と現在を繋ぐポイントが詰まっています。
なのに、「無口だった」で終わってしまうのは、どこを見て介護して来たのだろうと思わざるを得ません。
「介護」の仕事が好きではなく、「介護」の仕事でしか受け入れられなかった人かも知れません。
厳しい言い方に聞こえるかも知れませんが、利用者たちが我慢している姿を目の当たりにすると、何だか申し訳ないなと思ってしまいます。
もちろん、お互い様で、上手くできないことがあるでしょう。
そういう意味ではなく、介護士自身が自分の都合で介護を捉え、それを利用者に押し付けてしまうことが多いのです。
「あの配属先の介護士たちは、面倒な利用者無視をするから、だいたいの人が無口になる」と後から聞きました。
利用者の言い分に耳を貸さないで、どんな介護を提供できるのでしょうか?
切ない人たちだなぁと思うしかありません。
介護は予測次第!?
すべてを拒絶していた利用者に、こみちが近づいて話しかけました。
「どうしてご飯を食べないの? 食べないと元気になれないよ!」
「どうしても食べない! 食べたくない!」
利用者は食事を拒絶し、自身の寝室へ連れて行って欲しいと訴えます。
他の介護士たちは、こちらの言い分に耳を貸そうとしないその利用者を放置し始めていました。
「〇〇さん。私たちも〇〇さんが嫌いで言っているんじゃないんだよ。それを分かってくれるでしょう!? 少しでも食べないと、薬も飲めないし、介護士たちも言うこと聞いてくれないんだよ! 少しでも食べてみない?」
大声で怒鳴るのではなく、小さな声で話しかけました。
「少しだけなら…」
ようやく箸を持って、小鉢に手が伸びました。
「どうかなぁ? 食堂の人が作ってくれたんだよ」
「うん。まぁ…」
二口、三口と少しではありますが、箸が進みます。
「ご飯も食べてみようよ」
段々といろんな料理に箸をつけ、食事らしくなってきました。
「もういいでしょう?」
「そうだね。お腹いっぱいになった?」
「もういらない。疲れたからベッドで寝たい!」
こみちとしては、たとえ目標値まで到達していなくても、そんなやりとりが「介護」だと思います。
「明日はもう少し頑張ってみようね! 今日は頑張ったね!」
ある意味で達成感を味わい、生活の中で成長していくことが介護士の役目だと考えています。
それは、今すぐに成果を出すのではなく、少しずつ自身の可能性を高めていくことで、実は「中高年の仕事探し」とまったく同じプロセスです。
コレがダメなら、アレはどうかなぁ?
介護士が介護する基本がそこにあります。
まさに、介護は予測次第なのです。
ところが、「もう少し食べないといけなかったのに…」利用者を寝かせて戻ってくると、先輩介護士が不満そうに言い出します。
「明日は頑張りますよ!」
そう言っておきましたが、何とも言えない気分でした。
介護技術は後からでも進歩します。しかし、介護に対する考え方は、早い段階で身につけないと、固定化された支援となってしまいます。
介護士が利用者を怒鳴ることがあるとすれば、他人に危害を加えているなど迷惑行為が目に余る時くらいです。
なのに、何かにつけてキツい言い方で利用者を押さえ込む声掛けになってしまうのは、介護士それぞれが利用者の性格に寄り添えていないからでしょう。